ドラゴンにだってジレンマはある。
バシャ、シュー、バシャ。
定期的に水音が響く。ドラゴンが首をもたげる音だ。ゆっくりと漆黒の水路で泳いでいるのは、阿美たちが遭遇した、あのドラゴン。
ドラゴンが泳いで行ける範囲は決まっている。ある地点を超えると急に壁がせり出してきて、大きな体が入らなくなるからだ。以前、壁を壊そうと暴れたこともある。どのぐらい前なのかも忘れてしまった。体中が傷だらけになり、ドラゴンから出る血の匂いをかぎつけて、多くの魔物や生物が集まってきた。傷口にとりついていた亀や魚たちはそのうちに形を大きく変えて、このドラゴンが住む小さな沼から逃げて行った。集まった有象無象、その中から動きに鈍いものたちを何とか食べることで、ドラゴンは傷ついた時期を生き延びた。今も空腹が続くときはドラゴンは自分の体を傷つける。
ときどき、餌のようなものが投げ込まれることがある。ぬめっとした不思議な食べ物。美味しくはないが、しかたないので食べている。投げているのは細長い棒のような4本を体から出し、縦に伸びて動く生き物・人間だ。餌を投げ出す人間は光る石の欠片を持っている。あの石を持つ生き物は食わない、そう昔にあの不思議な生物と約束した。あの生物はドラゴンに告げた。約束を守っていれば、いつかここから出られると。
ゆっくりと泳いでいたドラゴンは、葦の茂った場所にある巣に戻っていった。これからの時間は眠るだけ。何かが流れ着いてくるまで、ここで眠るだけだ。少し前に流れてきた人間を逃したのは残念だった。しかし、、あれは食ってはいけない生き物だったのではないか、とドラゴンは感じている。発光があった。あの人間には石と同じ匂いがあった。ドラゴンの巣の後ろには深い洞穴がある。ドラゴンはその穴の先に何があるのかは知らない。
以前のことは覚えていない。どうしてここに閉じ込められたのか。小さなドラゴンだった時にここに来て、そのまま大きくなり動けなくなったのか、だとしたら、なぜ出られなくなる前に動かなかったのか。
水路の流れが激しくなり、水が濁りだした。水が変わるときには、多くのものが流れてくる。獣の匂いがする。餌が来るのかもしれない。
「仲間は来ないのか」
ドラゴンが待っているのは餌だけでない。いつか仲間のドラゴンが流れてくるのでは、と。
ドラゴンは、光る石が来るときに水面に移る自分の姿を見たことがあった。だから、仲間が来ればわかるはずだ。自分と同じ姿なら。ただ、仲間だと、同じ種族だと、相手は気が付くだろうか。もし本当に仲間が来たら…。食い合いになるとドラゴンは感じている。きっと食ってしまうだろう。それか食われてしまうか。
獣の匂いが近づいてくるのを、ドラゴンはじっと待っている。