1.モールラガードでの一夜 03
「そうだけど?」
フードの下で、女は声も変えず、しれっと嘯く。
その様子にならず者は苛立たしげに舌打ちをした。
「嘘つくなっての。このガキは、さっき走ってったガキどものうちの一人だろうが。足止めに置いてかれたの見てたんだよ」
「へえ、そんな風に見えた? そっちの勘違いよ。さっさと別のガキ攫う算段をすることね」
「馬鹿言うな。そのガキはこっちが先に狙ってたんだ。俺らが連れてく権利があるっての。お前こそ別のガキ攫えって」
後ろにいる者達が野太い声で賛同する。
男はこの一団のリーダーのようだ。
頑として引かず、女の返事を聞く前に、木偶の子に向かって手を伸ばす。
「あっだだだ!!」
その手を女が掴んだ。容姿からは想像もつかぬ豪然さに、たまらず、リーダーの男は悲鳴を上げた。
「だーかーらー。この子はこっちの連れだって言ってるでしょ? さっさと消えな」
「そんなわけに行くか! おい!」
男の声に仲間が次々と剣を抜いた。
「へー。やるの? 別にいいけど」
フードの下から響く楽しそうな女の声は、男達の怒りに油を注いだ。
殺気すべて、女へと向けられる。
まったく怯むことなく、女はならず者から手を離すと、マントの留め金をはずした。はらりと落ちる。
ふわりと広がった、腰まで届く豊かな巻き毛。
幼さが僅かに残る丸い額には、蔦を連想させる瀟洒な造形のサークレット。
華々しく大きな瞳は凜々しく煌めき、細い鼻梁はあくまで形良く、ふっくらとした唇は声と同じ、不遜に釣り上がっている。
比較的大きなこの商業都市の上級娼館でさえお目にかかれない美貌が現れたことで、一瞬、男達の動きが止まった。が、すぐに下卑た嗤みを張り付かせる。
「なんだなんだ? えらく上玉じゃねぇか。ちょうどいいや。俺達が遊んでから、お前も……」
ぽっとまぬけな息を抜く音をたて、リーダーの男の嗤いが驚愕に急変する。仲間もそれに続く。
ならず者達が凝視しているのは、豊かな丘陵を強調するかのように大きく開いた胸元ではなく、その上、鎖骨の下だ。
そこには、横に長い菱形の、色濃い宝石が瞬いている。
「口の悪い美人……胸の宝石……まさか、あんた……!」
「へー、あたしのこと知ってるんだ。んじゃあ、どうする? 続き、する?」
「ひっ、ひっ、ひぃいい!」
これから悪戯でもするかのような、無邪気な響きの美女の言葉に、男達は青ざめた顔を左右に振って走り去っていった。
黒いマントの男も静かに倣う。その背に施された金糸の紋章を見た女の目に、チリチリとしたものが小さく揺らめいた。
「いつもながら、そいつの効果は覿面だなぁ。大丈夫か、ぼうず」
長い足をゆるりと動かして近づいてくる連れの男に、女は首を傾げた。
「あいつらが狙ってたから女の子じゃないの?」
二人は子供を見て黙り込む。
いつ整えたのかまったくわからないぼさぼさの髪は伸び放題。顔のほとんどを隠し、太腿まで届いている。
大きさのあっていない貫頭衣から覗く四肢は痩せ細り棒きれのようだ。
唇はかさかさで頬は痩けている。
見ただけで性別を判断するのは難しい。
「う~ん、このままじゃあ、どっちなんだか……」
木偶の子の前に立ち、顎に指を添えて、男は困った声をあげる。
「よっと」
長身はぶっと噴いた。
女が子供の前に膝をつき、貫頭衣の裾を掴むと、ぴらりとめくり上げ、中を覗いたからだ。
大きな掌が拳になり女の頭に激突するのに一秒かからなかった。
「いっっったぁっ! 何すんのよっ!?」
「それはこっちの台詞だ! ガキ相手でも、いきなり服の中見るとか失礼だろうが!」
「ああ、この子、女の子だから大丈夫」
「何が大丈夫なんだか言ってみろ、このエロ野郎!」
「野郎じゃないわよ。失礼ねぇ」
「失礼とか、お前にだけは言われたくねぇよ! ってか、女の子か。じゃあ、あの煉組術師は母胎にするつもりで攫おうとしてたのかな」
「かもね」
男は女を少し押しのけ、少女の前にがに股で座り、背中を丸めて目線の高さを合わせると、静かに言った。
「あんな、お嬢ちゃん。さっきの黒マントは煉組術師つってな。魔法で人間と魔物を交配させたり合体させたりする悪い奴なんだ。絶対に近づいちゃいけねぇ。こういう……人を掴んで口を開けた獅子の金紋章の奴を見たら、一目散に逃げるんだぞ」
男は手近な石を使い、石畳に紋章のイメージを描いて説明する。だが、少女は微動だにしない。
「この子、それ見えてる? その前にあんたの話わかってんのかしら? 全然反応しないの、どうしてだろ?」
「んん~……」
男は立ち上がり、辺りをきょろきょろと見回して、少女に目を落とす。
「さっきのガキども、回収に来ないな」
「はなっから今回の見張りで使い捨てってとこかしら」
「じゃあ、しょうがねぇ。煉組術師を見て躰が動いちまった俺達の責任だ」
長身がマントのフードに手をかける。
その下から現れた顔は、体格からは少し華奢な印象を与える青年のものだった。
肩にかかるまっすぐな髪。
耳の上半分を守るように頭に巻かれた太い飾り紐には、精緻な菱形の刺繍が施されている。
僅かに少年の名残のある頬から顎には、長旅の証の無精髭。
少し垂れ気味の瞳を優しく細め、青年は少女に言った。
「俺達と一緒に来な。何があったかゆっくり教えてくれよ」
反応を示さない少女を、青年は軽々と抱え上げた。