PROLOGUE
小さな少女の目に映る世界に命は存在していない。
人。木。草。動物。虫……生まれてから一度も梳いたことのない灰色の長い髪の隙間から見える世界には、何も生きてはいない。
そこは小さな村だった。活気はなく、そのうち来るだろう滅びの日を、皆の必死の努力で先送りにするような生き方を世界から強いられていた。
そんな蜘蛛の糸のように儚い寿命が、無下に断ち切られた。
切ったのは獰猛な夜盗の一団だった。
彼らは暴れ馬に乗って乱暴に現れた。
粗末で小さな家々に火を放ち、慌てて転がり出てきた住人の男を、手入れの行き届いていない剣で嗤いながら屠っていく。泣き叫ぶ女子供を馬に乗せ、並々ならぬ努力によって蓄えられた食料を乱雑に奪い、いやがる家畜の首にロープを巻き付け――
夜盗の暴虐は圧倒的だった。
効率良く人を屠る手管は戦場で培われたものだった。彼らは戦士崩れなのだ。時に傭兵として戦場にも赴く。生きる術が、人生が、戦いと略奪することだけなのだ。
――さながら、自然災害。
猛り狂い川を氾濫させる暴風雨のようであり、一度火がつけば何日も消えることのない森を焼く大火だ。
そんな彼らに対し、細々とつましく暮らす村人達に為す術は皆無。逃げることができれば僥倖。
呆気なく……村は一晩で消えた。
今そこにあるのは、薄く煙を立ち上らせている家屋や小屋だった瓦礫。人間の死体。動物の死体。馬に踏み荒らされて死んだ畑。
濃い灰色の空が眩しい夕方までは命が在ったのに……すべて死に至った。
その中には、水車小屋の旦那と村人から呼ばれていた男の死体もあった。背中に無残な傷をつけられ、黒い血の海に斃れていた。
良い人だった。七年前、森の入り口に、ドングリのように捨てられていた赤ん坊だった少女を拾い、育てるほどに。
彼にとってそれは食事の世話だけしていればいい奴隷を手に入れたにすぎないが、それでも少女にとっては命の恩人だった。今のこの世界で、命を掬い上げられることが恩人となり得るかはさておき。
少女が唯一の生き残りになってしまったのは、彼女の寝床が民家ではなく、水車小屋の屋根裏であったことが幸いしたせいだ。誰もいなくなった村に生き残ったことは災いであるかもしれないが。
辛うじて人としての尊厳が保たれる程度の貫頭衣を纏った少女は、動かぬ中年太りの男をじっと見つめていた。感情の存在しない瞳で。
三つの月が沈み、夜が明けても明るくならない空から、ぽつり、ぽつりと針よりも細い雨が降り注ぎ、滅びたばかりの村を覆い始めた。
瓦礫、血、死体、少女。
すべてを包み込む――冷たく細く煙る灰色の雨が。