ふたつ、白城は保健室に行く
本日の昼休み、私は保健室のドアを開けた。断じて黒城薫から逃げてきたわけではない。断じて話しかけてくる黒城薫と何やら期待の眼で様子を伺っているクラスから逃げてきたわけではない。
「はい、…ああ、姫か。いらっしゃい。」
「水上先生。ここは学校なんですから、苗字で呼んでください。」
「今日はご機嫌斜めだな。どうした?」
「別に…たまには先生とご飯を食べようと思っただけです。」
「ふーん?なら、好きに座ってな。いま、お茶を煎れる。」
「ありがとうございます。」
うん、他には誰もいないみたい。
念のためベッドに人がいないかも確認したあと、先生のイスの隣にある背もたれのないイスに腰掛けた。湯を沸かしている先生の後ろ姿を眺めていると、昨日の夜と同じ鼻唄が聞こえてきた。先生とは家が近所ということもあって、よく夕飯を私の家で食べている。料理が好きなのか、先生の料理をご馳走になることも少なくない。こうしていると家にいるようで、自然と息がこぼれた。
「どうした、王子様ごっこは疲れたか。」
「別に、王子様ごっこをしているつもりはないの。どうしてか、そう言われるだけで。」
「はは、自覚ないのか。そうかーそうだよな。姫はお姫様になりたいんだもんな。」
「なっ、先生…っ」
そう、この学校で唯一、私がなりたいものを先生は知っている。幼いの頃からの付き合いで、何度となく私は彼に宣言していた。他にも色々と言っていたはずなのに、先生が覚えているのは『お姫様になりたい』だけ。
が、誰が聞いているか分からないところでさらりと言わないでほしい。姫、姫と連呼もしないでほしい。笑いながらマグカップを渡してきたって駄目なんです。熱いから気を付けろと……頭を撫でたって駄目なんですよ。
「そういえば、お前、黒城と付き合ってるらしいな。」
「ーーーっ、げほ」
「おお、大丈夫か。」
「いきなり、何を言い出すかと思えば。」
ここまで話が行っていたとは思わなかった、とは言わない。何だかんだ、保健室は人が訪れるものだし、水上先生は生徒に人望もある。ただ、いきなり話を出されたのに驚いただけで、
「それ、誤解ですから。」
これを伝えるために私は保健室にきたのだ。
「そうなのか。女子生徒が『ついに王子様とお姫様がっ!』て嬉々として俺に話していったぞ。もちろん、黒城が姫な。」
「先生、最後の情報はいりません。そこは優しさで事実をねじ曲げて伝えてくれても良いんですよ。」
「優しさで否定しておいてやったから感謝すると良いぞ。」
「謙ちゃん…っ!!」
分かってくれていると思っていましたよ、水上謙一先生!お礼に上手く揚がった唐揚げと先生の大好きなシュウマイをあげますから、次もよろしくお願いします。ああ、お茶が美味しい。
「おお、黒城。お前も感謝してくれて良いぞ。」
「っ、っ!?」
「失礼します。水上先生。」
むせた。ーー黒城薫?!なぜここにいるの。貴方は先ほど女子に囲まれていたでしょう。早々には抜け出せないくらいの人だかりだったわよ。というか、保健室に入って来ないで下さいな。
「どうした」
「あーっと、僕もここでご飯を食べても良いですか、水上先生。」
「おー良いぞ。好きに座れー」
「はいっ」
花が咲き誇らんばかりに黒城薫は嬉しそうに笑った。え、なにその笑顔。謙ちゃんは私の善きご近所さんなんだからあげないわよ。謙ちゃんも楽しそうにお茶なんて煎れなくても良いのよ。
「ちょ、謙ちゃん。 」
「ん?どうした白城。学校では苗字で呼びなさーい。」
「…水上先生。」
覚えてなさい、先生。今度私の家に来たら、先生の苦手なゴーヤを出してあげるんだから。仕方ない。なんだかんだ、黒城薫も他の生徒に追いかけ回されて疲労が顔に見てとれるし、この避難所でご飯を食べることを許してあげる。水上先生もどちらかというと癒し系だから、私たち二人を見ながら癒されると良いわ。
「ほらよ、黒城。」
「あ、ありがとうございます。美味しいですね、このお茶。」
「そうだろそうだろ。素直な黒城にはこの唐揚げも付けてやろう。」
「先生、それ、私があげた唐揚げですけど。」
「良くできてるから、黒城にも分けてやろうと思ってな。」
上達したなーと、水上先生が私の頭を撫でてくる。だから、撫でれば良いものでもないんですよ、先生。とりとめのない話をしながらお弁当を食べていると、途中で水上先生が職員室に呼ばれて出ていった。いつもは身構えてしまう状況だったけれど、空腹が満たされて気分も良かったので、二人で静かにお茶の残りを飲んだ。保健室を出るまで特に会話もなかったけれど、今日は不思議と気にならなかったように思う。
教室に帰る途中、黒城薫がぽつりと呟いた。
「…白城さん、水上先生と仲良いんだね。」
「え、あ、うん。近所なのよ。」
「…水上先生と一緒にいる白城さんは、クラスにいるときと印象が違うね。」
「そう…?」
まあ、気安い感じは出ているかもしれない。他生徒と話す時より気負わずに話しているし。
「変かしら?」
「ううん、なんていうか」
と、言葉を区切って、少し考える素振りを見せた黒城薫は、何でもないと笑った。
そして、一緒に教室に戻った私たちは再び生暖かい視線を浴びたのだった。