【side story】月と女神と恋心
「今はただ 思い絶えなむ とばかりを
人づてならで いうよしもがな………なんてね。」
マサルは馬車の完成したその夜…いままでずっと見ていたものとはどこか違う月を見上げ宿舎の屋根の上で1人物思いにふけっていた。
「…ごめんなさい。」
不意に聞こえたその声はこの世界の女神ビクティニアスだ。月の光に照らされるその姿を改めてみると透き通るような白銀色の髪に黄金色にかすかに輝く瞳…自分よりは少しだけ背は低く華奢な身体、しかし程よく上品な色気を醸し出している。
「今の…『逢えなくなって今やっと、諦めてしまおうと思っているけれど。その事を、せめて他人からの言葉じゃなく、直接会って伝える事が出来たら』って感じの詩よね?」
「あぁ、百人一首にある句だよ…中学生の頃に課題でランダムに選ばれて当たって調べたのがこの句なんだ。他の百人一首の句なんて1つも覚えてないのにこの世界にきて思い出して初めて意味を知るとは皮肉な話さ…。」
深夜の静まり返ったこの時間帯にならないと聞こえないくらい微かな波の音が何故かその夜は妙に耳に残る。
「どんな人だったの?」
「知ってるかと思ったよ…仮にも神様だしな…。小柄で可愛らしい女性さ…始めて見た時は必死に頑張ってる姿だった。
最初に声を聞いた時、他の音も声もノイズにしか聴こえなくなって…多分、一目惚れで初恋だった。それから数ヶ月してから好きだと伝えた…言葉の限りね…そういうのさ、苦手だったから拙い表現ばかりだったけど、ほんの1割でもこの心が伝わればと何度も何度も大好きだと伝えた。…でも数年後、彼女は別の人と入籍したんだ…だからさ…ビクティニアスが気にする事は無いんだ。」
「それでも大切だった?」
「…うん、大切だった。あれから僕はきっとずっと恋愛なんてしないで頑なにただ静かに彼女を想って生きていたんだろうね。…自分でもそう生きようと思ってたし。頑固でこれでも一途なんだ…馬鹿みたいだけどね。」
何でこんな生き方しか出来ないんだろうとか色々考えた事はある。でもこれしか自分の前に道は見付け出せなくて苦しんだ事もある。でも彼女が幸せなら幸せだと思える様になって、それでも良いじゃないかと思える様になったのは異世界なんかに来て絶対に会えなくなってからだ。
「どこまで女々しいんだろうな…兎人族の村あるだろ?」
「うん。」
「そこで会った兎人族の子がさ、メイって言うんだよ…でさ、好きな人が芽依って名前だったんだ…。俺は別に善人でも恩義が大切っていうような大それた人間じゃない…ただ好きな女性と同じ名前を持つ女の子を彼女と重ねて喜ばせてあげたい…そう思ってるだけの我が儘で自己中なクズなんだ。…本当は誰にも興味が持てなかった所に少しだけ気になる人が現れて救われているのも自分なんだよ。…だからさ、気にすんな。」
いつの間にか座っていたマサルの背中にもたれ掛かるビクティニアスの背中の優しい暖かさにどこかほっとする。
「なぁ、ビクティニアス…。」
「なに?」
「さっき気付いたんだけど、ホントに美人なんだな…。」
「当たり前でしょ!これでも女神なのよっ!」
やっと笑ったビクティニアスに寂しさが溶けて何だか楽になったマサルだった。
マサルが獣人たちを助けようと思ったきっかけの話でした。
正義感とか道徳とかそういう理由で動いているのではありません。きっとその他に何かが無いと人間は動けないものではないでしょうか?