第三話
「いらっしゃいませーー!」
張りのある男の声が店内に響く。
ここはアースラ王国の都市の一つ、マリトス。その中央通りに店を構える宿屋だ。
昼間は一階を大衆食堂として開放しており、いまは多くの客で賑わっている。
味がよく、量も豊富で、なにより低価格。必然と客は集まり、昼時になれば店員たちは目の回るような忙しさを送ることになる。
「新入り! 一番卓にこいつをたのむ!」
「はいよ!」
厳つい顔の店主から料理を受け取ったのは、赤髪赤眼の男――アディル・ノーセンカルタだ。地味な色合いの服の上から白いエプロンを身につけている。
注文をとり、料理を運び、皿洗いをこなし、厨房で手が回らなくなれば鍋を振る。
アディルはピーク時の食堂で八面六臂の活躍をしていた。
――リリエルの案内で無事にマリトスに辿り着いて二週間、アディルは宿屋の店員として働いていた。
銅貨五枚(この食堂のランチの値段)で旅に出て痛い目をみたアディルは、これからの旅に備えて食料と水をマリトスで補給するつもりだった。
しかし、当然のことながら金が無ければそれも儘ならない。どうにか旅の資金を稼ぐ必要があった。
そんなアディルの目に飛び込んできたのが、宿屋の求人広告だった。
期間は一ヶ月。急募のためか、給金も高めに設定されている。
面接のときに聞いたが、店主の奥さんが違う町にある実家に一時的に戻っているとのこと。戻ってくるまでの一ヶ月、繋ぎの人員が必要となったわけだ。
食事は出るし、質素だが部屋も貸してくれる。アディルはその好条件に即座に飛びついた。
飲食店での労働は未経験のアディルだったが、体力には自信があるし、料理も十年間の子育て生活のおかげで一通りは出来る。
一番苦労したのは笑顔を作ることだった。慣れない筋肉を使ったせいか頬が引き攣ったりもしたが、今では客の前に立つと自然に笑顔を浮かべるようになっていた。金のためと思えば割り切れたのである。
二週間も働けば仕事にも慣れてくる。
アディルは店員として十分な活躍をしているのだった。
――おおよそ二時間のピークが過ぎ、静寂が訪れた店内。
アディルがテーブルを拭いていると、来店を告げるベルが響いた。
入り口に顔を向けると、店に入ってくる四人組が目に入る。
「いらっしゃいませー!」
「アディルさ~ん、ランチ四人前、大至急で! もう腹へって死にそうだよ~」
笑顔を浮かべて出迎えるアディルに、先頭に立つ若い男が銀貨を二枚放りながら告げる。
アディルは銀貨を受け取ると、奥の厨房へ向かって声を張り上げる。
「注文はいりましたー! ランチ四人前、大至急だとさ!」
「おう!」と店主の野太い声が返ってくるのを確認すると、アディルは四人を窓際の席に案内する。
「だいぶお疲れのようだな。今日は大した仕事じゃないって言ってなかったか?」
無料の水が注がれたコップをテーブルに並べながら、アディルは注文をした男――ラッセルへ軽い口調で話しかけた。
この宿屋で働き始めて二週間、ラッセル達は毎日のように食事に来るため、アディルとも多少面識がある。
彼らは四人でパーティーを組んでいる冒険者だ。
魔物の討伐、要人の護衛、薬草採取から庭の草むしりまで……冒険者の仕事は多岐にわたるが、危険度が高い仕事ほど高額な報酬を得られる。
一流の冒険者ともなれば、それこそ一生遊んで暮らしても有り余るほどの資産を持つ者もいる。
ラッセルは後頭部をかきながら、苦笑いとともにアディルへ答える。
「いや~、途中でトラブルがあって……」
「あれはラッセルの自業自得でしょう? 付き合わされる身にもなって欲しいわ」
横から苦言を呈したのは、頭から狼の耳を生やした褐色の女だ。
動きやすさを重視した服は布の面積が少なく、引き締まった身体を惜しげもなく晒している。
「カーラ……目の前で困ってる人がいたら、助けるのは当たり前だろう?」
「だからって、魔物に襲われている人を助けるために一人で突撃なんて普通しないわよ」
「わたしもカーラに賛成。ラッセル、その後先考えない猪みたいな性格、どうにかしたほうがいい」
カーラに同調してラッセルを責めるのは、どこか眠たげな表情をした人族の少女だ。冒険者という荒事を請け負う仕事とは不釣り合いな華奢な体を、黒いローブで覆っている。
魔術師の少女――マリルは、冷たい目でラッセルを見据える。
「魔物の数はこちらより多かった。それに対して真正面から仕掛けるなんて、命がいくつあっても足りない」
「まぁまぁ、あまり責めてやるな。人の命が救われたんだ、今回はそれでよしとしよう」
ラッセルを擁護するのは大柄な男だ。屈強の戦士であることを窺わせる鍛えられた肉体に、柔和な笑みが似合う穏やかな顔つき。
このパーティーのリーダーを務めるケイオスだ。
カーラはケイオスを非難するように睨む。
「ケイオスはラッセルに甘いのよ。こういうことはちゃんと言い含めておかないと、次はわたし達の命に関わってくるわ」
「じゃあ、あの人たちを見捨てればよかったっていうのかよ!」
ラッセル達の仕事は、ある薬草の採取だった。近隣の森にしか生息しない薬草で、マリトスでは重宝される。
森には魔物が出現するため危険もあるが、ラッセル達から見れば脅威にはなりえない魔物ばかり。依頼自体は問題なく終えた。
しかし、マリトスへ帰還中に、商隊が魔物の群れに襲われている場面に遭遇したのである。
「そうは言ってないでしょう? 助けるにしても、もっとやり方があったでしょって言ってるのよ!」
ラッセルは商隊が襲われていることに気付くと、仲間の制止を振り切って一人で飛び出していったのだ。相手は格下の魔物だったが、二十を超える群れに単独で挑むのは自殺行為に等しい。
カーラ達は急いでラッセルと合流したため事なきをえたが、それでも仲間たちを危険に晒したことには変わりない。
「そんなこと考えてる間に、取り返しのつかないことになったらどうするんだよ!」
白熱するラッセルとカーラの問答の合間を縫うように、「新入りー、出来たぞー!」と奥から店主の声が響いてきた。
部外者が口を出すことではないと思い口を噤んでいたアディルは、ここぞとばかりに提案する。
「あー、飯でも食って一旦落ち着いたらどうだ? 今日のランチは評判良かったぞ?」
アディルの言葉に真っ先に反応したのはケイオスだ。
「そうだな、オレ達は飯を食いにきたんだ。この話はまた今度、な」
「……そうね、今日はここまでにしましょ」
先に折れたのはカーラだった。憮然とした表情は変わらないが、これ以上ラッセルを責めるつもりはないようだ。
ラッセルは無言で俯き、納得のいかない表情で押し黙る。
とりあえず場が落ち着いたことを確認すると、アディルは料理を受け取り、テーブルに並べていく。
「おお、今日も美味そうだな! やはり、仕事終わりはここの飯に限る!」
ケイオスは目を輝かせて真っ先に料理に手を付ける。
続けて他の三人も食事を始めると、どこか険悪だった雰囲気は食事が進むにつれて少しずつ和らいでいった。
そんな彼らの様子に安堵していたアディルは、ふと、視線を窓の外に向ける。
そこには、通りの中央を歩く深緑色の服の上に鎧を着こんだ男たちの姿があった。
体格のいい男ばかりで形成させた集団は、腰に下げた剣に手を添えたまま歩き、周囲を警戒するように列を組んで歩いている。
マリトスの警護団だ。
治安維持のために町を巡回することはよくあるが、大人数で――それも、完全武装ともいえる装備で巡回することなど、アディルは初めて目にする。
「……物々しいな、なにかあったのか?」
「ああ、おそらく誘拐事件の調査だろ」
アディルの視線を追って警備隊を見たケイオスが答える。
「誘拐?」
「ああ、一週間くらい前からな……」
ケイオスの話によると、最近マリトスでは他種族の子供が行方不明になっているそうだ。被害者の数は、確認できているだけでも十五人以上になる。
「ここは大陸東部とも近い位置にあるから獣人やエルフが多く住んでるだろ? 奴隷目的でさらったのではないかと警戒しているらしい」
アースラ王国では禁止されているが、他の人族の国では奴隷制度をとっている国もある。
代表的な国でいえばシルヴァリエ帝国がそれに当たる。特に他種族は人族よりも屈強な身体を持つ場合が多いため、労働力として人気があり高値で取引されていた。
「胸糞悪い話だわ。犯人を見つけたら、わたしが生まれてきたことを後悔させてあげるのに」
同じ獣人の子供が被害に遭っているため思うところがあるのだろう。カーラは忌々しいといわんばかりに顔を顰める。
「カーラ、頼むから無茶はやめてくれよ? 警備団の人間にも被害が出ているんだ。おそらく、犯人は相当な手練れだ」
自主的に犯人捜しを行いそうな勢いのカーラに、ケイオスは釘を刺しておく。
誘拐事件は子供にとどまらず、捜査に乗り出していた警備団にも及んでいた。
捜査中に行方不明となった警備団の人間は三人。うち一人は魔術士だと聞いている。
同じパーティーにマリルがいるため、ケイオスは魔術士という人種の強さをよく知っている。正面から立ち合えば、カーラはもちろん、ケイオスでも歯が立たないだろう。
そんな魔術士を含む三人組を下した相手となると、下手に首を突っ込めば命に関わってくる。
「なんにせよ、早く解決してくれることを祈るよ。……そんなことより、いいのかアディル、ここで油売ってて? 奥から怖~い視線が飛んできてるんだが……」
苦笑いしながらケイオスが視線を向けた先には、巨漢の男が立っていた。
厳つい顔に似合わない笑みを浮かべて、アディルに手招きをしている。そろそろ夜の仕込みの時間だ、呼びに来たところで仕事もせずに話し込んでいるアディルを見つけたのであろう。
――あの笑顔は怒っているな。
アディルは引き攣った笑みを店主に返すと、がっくりと肩を落とした。これからくらうであろう説教のことを考えると、憂鬱な気分になったのだ。
「……さて、そろそろ仕事にもどるかな」
「くっくっく、がんばれよ」
ケイオスのからかい交じりの声援を背に受け、アディルは厨房へと歩いて行った。
――遠ざかっていくアディルの背中を、マリルはぼんやりと見つめていた。
「マリル、アディルさんがどうかしたの?」
「ん~……やっぱり、あの人どこかで見たことあるんだよね……う~ん……」
カーラの問いかけに、マリルはスプーンを咥えたまま唸る。
初めて顔を見たときに感じた既視感は、会うたびに大きくなっていくのだが、肝心なことが思い出せない。
「人違いじゃない? 赤い髪の人なんて滅多に見ないし、会ったことがあるなら覚えてると思うけど?」
「そうなんだけど……あ~も~、どこで見たんだっけなぁ……」
頭を抱え始めたマリルに、ケイオスが提案する。
「そんなに気になるなら、アディルに自分と会ったことがあるか聞いてみたらどうだ? 向こうがなにか覚えているかもしれないぞ?」
「それは嫌。なんか負けた気がする」
「なんだそれは」と苦笑すると、ケイオスは手に持ったスプーンでマリルの料理を差す。
「なら、自然に思い出すのを待つしかないだろ。考え事もほどほどにしとかないと、飯が冷めるぞ?」
「……そうね。考えても仕方ないか」
思考を一旦中断して、マリルは料理を一口含む。相変わらず、ここの料理は絶品である。
料理に舌鼓をうっている内に、アディルに対する疑問は頭の隅に追いやられていった。