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三十路炎帝が始める第二の人生  作者: 空島 あき
第一部 ~天族の少女編~
7/12

第一話

 ――男は飢えていた。

 まともな食事を口にしたのはいつだったか。

 いまは食べるものが無いため、草などで腹を満たして命を繋いる。

 昨日までは周囲を散策して食料を探していたのだが――そんな体力は既に無い。岩の陰に隠れるように身を隠し、獲物が近づいてくるのを待つ状態だ。

 飢餓感は神経を極限まで研ぎ澄ませる。待ち伏せを開始して半日――鋭敏化された聴覚が遠くから響く音を拾う。

 ――足音だ。察するに、かなり大型の生物と思われる。

 足音は徐々に近づいてきており、男は逸る気持ちを必死に抑える。

 ――まだだ。もっと引き付けて、確実に仕留める……!

 男は獲物に気づかれないように身を屈めると、両足に力を入れる。いつでも全力で飛び出せる体勢だ。

 ついに岩陰から獲物の姿を視界に捉えると、男は獣のごとく襲い掛かった。




 大小の岩と荒地が広がる殺風景な景色。そんな中を駆ける一つの人影があった。

「ついてないね、まったく」

 どこか達観したような響きを含むその声は、少女のものだ。フードを被り全身をすっぽりと外套で覆っている。

 ここはアースラ王国の東部に広がる平野だ。

 この平野は起伏が少なく、視界を遮るものが少ない。振り返ると、足跡を響かせながら一体の魔物が迫ってくるのがはっきりと確認できる。

 一見すると蜥蜴のように見えるが、その大きさは規格外だ。体長は優に五メートルを超えるだろう。

 バジリスク――人々からそう呼ばれ恐れられる魔物の一種だ。

 全身を覆う鱗は鉄に等しい強度を持つといわれ、ずらりと並ぶ牙には強力な毒が仕込まれている。

 個体数が少ないため遭遇率こそ低いが、毎年バジリスクに襲われて命を落とす人間は少なくない。この平原のバジリスクは人の味を覚えており、視界に入ると率先して襲ってくるためだ。

 近くの町では討伐依頼を出すこともあるが、その危険性から熟練の冒険者であっても受けることは少ない。

 そんなバジリスクに追われているというのは絶望的な状況だ。

しかし少女の声に悲壮感は無く、ただただ面倒といった響きがあった。

「蜥蜴くんと遊んでる暇はないんだけどね、このまま着いてこられると厄介だ」

 撒ければ最善と考えていたが、バジリスクの速度は少女の想定以上のものだった。徐々に引き離してはいるが、このままでは魔物を町に近づけることになる。

 ――ここで仕留めるか。

 討伐を決意すると、少女は足を止めバジリスクと対峙する。

 少女はフードを脱ぐ。現れたのは薄い水色の髪を持つ美しい娘だった。金色の瞳、すっと通った鼻梁、小振りの唇が繊細なバランスで配置され、どこか現実離れした美しさは御伽噺に出てくる妖精を連想させた。

 少女は背中に差していた二振りの剣を抜くと、バジリスクに切っ先を向け構える。刀身に複雑な文様が刻まれた双剣は、一見しただけでもかなりの業物とわかる輝きを放っていた。

「襲う相手は選びたまえ。来世での教訓にするといい」

 余裕さえ感じられる口調で告げると、少女はバジリスクに向かい走り出した。

 迎え撃つように、バジリスクも速度を上げたその時――


 ――ドゴォ!


 鈍い音と共にバジリスクが宙に舞う。

 巨体のバジリスクが宙を飛ぶ姿というのは、どこかシュールな光景だった。

 一瞬の出来事に思わず放心する少女の目に入ってきたのは、バジリスクと入れ替わるように現れた赤髪赤眼の男だ。蹴りを放った体勢で立っているところを見ると、おそらくバジリスクを蹴り飛ばしたのだろう。信じられない脚力である。

 身に纏う外套は泥などの汚れが目立ち、手入れをすれば端正な顔立ちであろうその顔は、汚れと無精髭のせいである。

 盗賊を連想される風貌の男は、アディル・ノーセンカルタの現在の姿であった。

 大陸の東を目指して旅立ち一ヶ月――所持金はとうの昔に底をつき、あげく道に迷い無駄な体力と精神力が削られた結果だ。

 アディルは若干こけた頬を吊り上げ、飢えた瞳でバジリスクだけを見据える。

 その姿は、餌を求める獣を彷彿させた。

 アディルの目に体勢を立て直すバジリスクの姿が映る。強固な鱗が身を守ったようで、大したダメージは見受けられない。

 バジリスクは先ほどまで自分が立っていた場所へ視線を向けると、アディルの姿を視界にとらえる。

 どうやら自分を襲った相手であることを理解したようだ。怒りの咆哮を上げアディルへと肉薄する。

 口を大きく開け襲ってくるバジリスクに対し、アディルは右手を振り上げ――突き出した口を上から叩きつける。

 地面に叩きつけられたバジリスクの口から砕けた牙が飛び散る。

 咥内で広がる激痛に身悶えるバジリスクは、餌と思っていた者と至近距離で視線が交差する。


 そこにあったのは捕食者の目だ。狂気すら孕んだ眼光に、本能が逃げろと叫んでくる。


 即座に逃げることを選択したバジリスクは踵を返して大地を蹴るが――その足は土の上を滑るだけで、体は一歩たりとも前には進まなかった。

「逃げるなよ……!」

 アディルはバジリスクの尾を右手で掴み、逃走を許さない。魔力を集中させ握力を強化させると、鉄に等しいと謳われる鱗を易々と砕き爪を突き立てる。

 バジリスクは尻尾から上ってくる激痛に身を捩る。だがアディルの拘束を解くには到底力が足りなかった。

 必死に抵抗するバジリスクの姿に、アディルは思わず舌なめずりする。

「活きがいいなぁ……こいつは味に期待できそうだ」

 魔力を全身に巡らせ身体能力を向上させると、尻尾を掴んだ手でバジリスクを引き寄せ、もう一方の手で胴体に拳を叩き込む。

 バジリスクは内臓まで届くその威力に悲痛な叫びを上げた。

 ――魔力による身体能力の強化は、魔術士にとっては基礎中の基礎だ。魔術と呼べるようなものでもないが――使用する者次第では、魔物を素手で圧倒できるほどの恩恵が得られる。

 そこからは一方的な蹂躙だった。

 アディルは完全に怯えきったバジリスクに対し容赦なく攻撃を仕掛ける。

 強力な魔術で仕留めることもできるが、アディルは火系統の魔術士だ。炭化した肉など食べたくは無い。

 そんな理由で嬲られるバジリスクは堪ったものではないだろう。

 四本の足をへし折られ、虫の息になったバジリスクの正面にアディルは移動すると、右足を振り上げる。

「頭は食い辛いからな、潰しておくか」

 動けなくなったバジリスクの頭部に向け一気に振り下ろす。

 アディルの踵は狙い違わず突き刺さりバジリスクの頭部を粉砕した。脳漿や牙が飛び散り、血液の臭いが草原の空気に溶けていく。

 仕留めたことを確認したアディルは、そこで初めて近くに人の気配があることに気づく。そちらに視線を向けると、銀髪の少女が驚愕の表情でアディルを見ていた。

 アディルは考え込み――これだけは伝えておかなければと、バジリスクの死体を指差す。

「これ、オレの晩飯だぞ?」

「…………あ、うん」

 予想外の言葉に少女は生返事で答える。

 アディルはその答えに満足したようだ。バジリスクの尻尾を改めて掴むと、引き摺りながら立ち去ろうとする。

「あ、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 あっさりと立ち去ろうとするアディルを少女が引き止める。

 アディルは怪訝そうな顔で振り返った。

「……なんだ、やっぱり欲しいのか? 仕方ない。尻尾の肉は柔らかくて美味いからやれんが、他の部位なら分けてやるぞ?」

「いや、それは遠慮するよ」

 はっきりと断る。

 魔物を食す文化があることは知っているが、バジリスク(とかげ)を食べる勇気は無い。

 少女は剣を背中に収めながらアディルの方へ近づいてくる。

「そうじゃなくてお礼。ありがとね、助けてくれて」

 その言葉にアディルは首を傾げる。

「……なんのことだ?」

「君が倒したバジリスクに追われていたんだよ。もう少しで危ないところだった」

 自分だけでも十分対処できたと思うが、助けられたのも事実だ。少女の言葉に、アディルは苦笑いで答える。

「それなら気にしなくていい。オレは晩飯の調達をしただけだからな、助ける意図なんて無かったんだ」

 結果として助けたのかもしれないが、飢えで視野が狭くなっていたアディルは襲われていた少女の存在すら目に入っていなかったのだ。

 お礼を言われるのは筋違いのような気もするが、目の前の少女にとっては些細なことのようだ。

「そういうわけにもいかないよ。恩のある相手に感謝するのは当然だろう?」

「そうか……まぁ、好きにするといいさ」

 頑なに拒否することも無いだろう。

 少女はアディルの返事に満足げに肯いていたが――ふと、アディルの格好を上から下まで確認すると、首をかしげて訊ねてくる。

「そういえば、君はどうしてこんなところに? ずいぶんと汚れているが……?」

 この辺りは魔物が出現するため街道も整備されず、人が近づくことは少ない。少女は人目を避けるためにあえてこの(ルート)を選択したが、その道中で人に会うとは思わなかったのだ。

「あー……それはだな……」

 アディルは自分の情けない事情を晒すことに抵抗を覚えて言い淀むが……上手い言い訳が思い浮かばず、正直に話すことにした。

「……迷ってるんだ、三日くらい。ここが何処なのかも良く分かっていない」

「ふ~ん。君、迷子なのかい?」

「ぐっ……!?」

 アディルは思わず唸る。三十歳にもなって迷子と呼ばれる日が来るとは思ってもみなかった。

「何処に向かっていたんだい?」

「……マリトスだ。たぶんこの辺りだと思うんだがな……」

 アースラ王国の都市の中で、大陸東部と最も近いマリトスは交流都市と呼ばれている。

 その町並みは様々な種族の文化が取り入れられ、独自の発展を遂げている都市だ。

「丁度いい、僕もマリトスに向かう途中なんだ。助けてくれたこともあるし、よかったら道案内するよ。どうだい?」

「……そりゃ、ありがたいが……いいのか?」

「もちろんだよ。ああ、そういえば――」

 少女は言葉を切ると、右手を差し出してくる。



「自己紹介が遅れたね。僕はリリエル、よろしくね」

 名乗りと共に浮かべた笑顔は、万人を虜にするような魅力的なものだった。


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