アリスとエイリスの学園生活①
次回より本編を更新していきます。
アースラ王国の西部に位置する都市、カルディア。
王国貴族であるサンドフォート公爵が治めるこの都市は、アースラ王国では王都に次ぐ人口を擁する大都市である。
カルディアの特色の一つとして、様々な種族の人間が暮らしていることがあげられる。
『人族こそ唯一の純粋な人間であり、他の種族は魔物と混じった雑種である』と他種族の排斥を公言する西部のシルヴァリエ帝国。
『魔導国家』と謳われるほど多くの魔術士を擁し、国教であるサクリナ教の教義で他種族を人間と認めていない南部のローレンツ教皇国。
人族以外が奴隷のような扱いを受ける西部・南部に対して、アースラ王国は他種族と手を取り合う道を歩んできた。
他の人族の国に戦力では劣るアースラ王国が他種族と手を取り合うのは、必然であったといえるかもしれない。
そんなカルディアの都市中央部に、広大な敷地を構えるのがカルディア学園である。
五年間の教育計画を組んでいるこの学園には、一学年ごとに凡そ二百人、全体では千人弱の生徒が通っており、その中には様々な種族が在籍している。
他種族が暮らす東の大地と距離があるため人数は少ないが、人族と他種族が机を並べて学ぶ学園というのは、この大陸では珍しい光景だ。
――そんなカルディア学園の中庭で、二人の少女が顔を突き合わせていた。
いまは昼の休憩時間だ。講義で張り詰められていた空気が弛緩し、学校全体に緩やかな空気が流れ込む。
そんな穏やかな雰囲気に包まれる学園の中で、二人の少女の周囲はあきらかに異質だった。少しの衝撃でも破裂してしまいそうな緊迫感が漂っている。
二人の少女はどちらも容姿の整った娘だ。纏う雰囲気は対照的だが、非常に似通った顔立ちをしている。
金髪の少女は愛らしい顔に怒りを貼り付けて相手を睨み、黒髪の少女は迎え撃つように不遜な表情でその視線を受け止める。
言わずもがな、アリスとエイリスである。
この学園に二人が通うことになって二ヶ月の時が過ぎた。その間に二人が喧嘩した回数は優に二十を越え、それに伴って数多くの学園の施設が破壊されてきた。いまではすっかり危険人物として認識されている。
二人が対峙している中庭は、食事を摂る場所として生徒たちの間で人気が高い。実際、先ほどまで多くの生徒が雑談に華をさかせていたのだ。
しかし、二人の雰囲気に剣呑なものが混じりはじめると、それをいち早く察した周りの生徒たちはお互いに合図を送り合い素早く退散していった。
その手際は鮮やかの一言で、彼女たちの諍いがいかに日常的に起こっているのかを物語っている。
「二人とも、また先生におこられちゃうよ!」
そんな二人を諌めているのは、小柄な少女だった。
緑色の長い髪を三つ編みでまとめ、どこか気弱な雰囲気を感じる瞳を眼鏡で隠している。
彼女はリズ――性はない。アースラ王国では特権階級のみ性を持つことが許されるので、平民として生まれた少女であることがわかる。
治癒系統の魔術士で、学生でありながら優れた治癒魔術を扱えるため、早くも宮廷魔術士団から勧誘されるほどの才女だ。
アリスとエイリスがカルディア学園で出来た初めての友人であるリズは、手に持っていた皿を差し出した。
「ほら、アリスちゃん。ケーキならわたしのを分けてあげるから、ね?」
そこに乗っていたのは、生の果実をつかったケーキだ。
アリスとエイリスは初めてこのフルーツケーキを食べたとき、改めてアディルへカルディア学園に入学させてくれたことを感謝したほどの一品だった。
「……リズ、わたしはケーキを食べたいんじゃないの。いや、ケーキも食べたいけど……それよりも! わたしのケーキを勝手に食べておいて、謝りもしないエイリスが許せないのよ!」
今回の喧嘩はそれ(ケーキ)が原因らしい。
「……最近肥大化している姉の体を心配しての行動だったのに、怒られるのは理不尽」
「太ってないわよ!? 変な言いがかりつけないでよね!」
「……否定する。山から下りた当初に比べて、明らかな体重の増加が見られる。現実から目を逸らすのはよくない」
ふぅ。わざとらしいため息にアリスは感情を爆発しそうになるが、渦巻く激情を無理やり押さえ込むと、嫌みったらしい笑みを浮かべて視線をおろした。
アリスが見ているのは、エイリスの胸部だ。
顔も身長も酷似している双子の二人だが、胸部には明確な差があった。平均を上回る胸をもつアリスに対して、エイリスのそれは絶壁という言葉が相応しい。
「そうだね~、エイリスはスレンダーだもんね~。山にいた時も、学園に来てからも、まぁっっっったく変化が無いもんね~」
「……どこを見て言っている、脳筋」
控えめな胸に引け目があるのだろう、エイリスは顔を引きつらせる。
そんなエイリスが面白くて仕方ないのか、アリスは勝ち誇ったような顔で追い討ちをかける。
「ぶえっつに~? ただ、わたしの方が体重があるのはしょうがないかなって納得しただけだよ? エイリスは痩せてるもんねー、一部だけ」
「……ふ、ふふ、ふふふ、面白いことを言う。今日の私はすごく気分がいい、アリスのダイエットに協力してあげる」
怒りのせいか、目の焦点が若干合わなくなってきているエイリスの全身から黒い魔力が溢れ出す。
魔力はエイリスの背後で意思があるように蠢き、形を変えていく。
「まずは、その脂肪を削り取ってやる……!」
「……やってみなさい、根暗貧乳!」
対するアリスも全身に魔力を巡らせると、戦闘態勢を整えていく。
いままで二人の間をおろおろと行き来していたリズは、魔術の発現を目にすると顔色をはっきりと悪くする。
ケーキを投げ出してアリスとエイリスの間に無理やり体を捻じ込むと、必死に引き離そうとする。
「だ、だめだって魔術は!? まだ寮の部屋を壊してから一週間も経ってないんだよ? 今度は反省文じゃすまなくなるよ!」
「止めないで、リズ。今日こそ姉の偉大さってヤツをエイリスに分からせてやるんだから!」
「……それは前回の筆記テストで十分理解している。偉大なるアリスが叩き出した記録(2点)は、誰も越えることができない。プッ」
ちなみに、満点は百である。
「あ、あ、あれは調子が悪かっただけよ!? 本気を出せば、エイリスなんかよりいい点採れるんだから!」
「私(95点)に? 冗談は解答用紙のバツの数だけにしてほしい。アディルおじさんには私から報告しておく」
「それだけはやめて! お願いだから!」
アリスは魔力を霧散させて土下座する。怒られるネタは潰しておく必要があるのだ。
エイリスも魔術を解除すると勝ち誇った顔でアリスを見下ろす。やはり、この姉を屈服させるのは恐怖が一番効果的である。
「……ちょうどいい。その体勢のまま、私の胸部を侮辱したことへの謝罪を要求する」
「はぁ!? それは関係ないじゃん! だいたい、エイリスの胸が貧相なのは事実でしょ!」
「二点。おじさん。報告」
「ぐっ……!?」
実に楽しそうにアリスを追い詰めるエイリス。リズは魔術合戦の危機が去ったことに胸をなで下ろした。
「……相変わらず、賑やかな姉妹ですわね」
そんな彼女達に声をかけてくる人物がいた。
三人が視線を向けると、そこにいたのは豊満な体を学園指定の制服に身を包んだ美しい娘だった。
蜂蜜色の髪に、強い意志の宿る宝石のように煌く碧眼。名匠が作り上げたような彫刻のように、完璧なバランスで構成される容姿は非の打ち所が無い。
このカルディアを治めるサンドフォート家の令嬢であり、魔術士でもあるカテリーナだ。
彼女は三人と同じ教室で学ぶクラスメイトであるが、歳は二つ上になる。
これは、魔術士は学年に関係なく同じクラスに所属しているからだ。魔術士の才能を持つものが少ないがための措置である。
学園に来た当初、アリスはカテリーナことを警戒していたのだが――原因はエイリスが吹き込んだホラ話で、アリスは彼女が自分にいじめを行ってくると危惧していたのだ――、いまでは面倒見の良さと頼りになる性格の彼女を姉のように慕っている。
エイリスもカテリーナのことは好ましく思っているのだが、いまの状況では一番会いたくない人物でもあった。
高貴な身分であり魔術士としても優秀なカテリーナは、常に生徒達の模範であろうと振舞っている。そんな彼女に、アリスとエイリスは喧嘩するたびにコッテリ絞られているのだ。
エイリスはバツの悪そうな顔でカテリーナへ反論する。
「……うるさいのはアリスだけ。周りに迷惑をかけるのもそう。私と一括りにしないで」
「私が知る限り、被害の規模を広げているのはあなたに原因があると思いますけど? 魔術を率先して使用するのはいつもあなたでしょう?」
「う……」
痛いところを突かれたエイリスは唸る。
確かに、身体能力でアリスに劣るエイリスは、喧嘩になると真っ先に魔術で対抗する。そうなればアリスも魔術で対抗するのは必須だ。
「へっへ~ん、怒られてやんの~! 少しは反省しなさいよね!」
「あなたも同罪です、アリス! 施設を破壊するのは、ほとんどあなたの魔術でしょう!」
わが意を得たり、といった様子ではしゃいでいたアリスだが、カテリーナから一喝されて仰け反ってしまう。
そうなのだ。二人の喧嘩の影響で様々な物が破壊されたが、実際に手を下したのはアリスが大半を占める。
これは魔術の制御の差である。
エイリスの魔術である闇色の巨人は、精密な魔力制御で構成・操作するため指定した物以外には影響を及ぼさない。壁越しに相手を殴りつけても、壁は破壊することなくすり抜け、対象だけを殴ることが可能なのだ。
対するアリスの魔術は、魔力を全力で放出して相手に叩き付けるだけである。
制御されていない魔術は無駄が多く、通常ならあっという間に魔力が枯渇してしまうが、魔力の総量がずば抜けているアリスには関係の無いことだった。そのため、魔力の制御というものを覚えなかったのである。
二人の魔術の師匠であるアディルはアリスに散々魔力制御の重要性を説いてきたが、それが報われることはなかった。
アリスとエイリスはカテリーナの言葉に並んで俯く。
少しは反省したのであろうかと思いきや「エイリスのせいで怒られたじゃない……!」「……どう考えても、アリスの責任」と、二人は懲りた様子も無く小声で罵り合っていた。
カテリーナはそんな二人をあきれた様子で交互に睨む。
「あ、あの……カテリーナ様。今回は魔術で破壊された物もありませんし、その、このあたりで……」
助け舟を出したのはリズだった。
「……あなたも大変ね、リズ。この二人の面倒をみるのは大変でしょう?」
カテリーナの同情を孕んだ視線に、リズは両手を振って答える。
「そ、そんな、大変だなんて……! 二人とも友達ですし、喧嘩した時はひやひやすることもありますけど……好きで一緒にいますから」
「……いい子ね、リズは」
カテリーナは小柄なリズの頭を自分の胸に抱きとめる。リズは「か、か、カテリーナ様!?」と驚愕する。
領主であり大貴族の令嬢であるカテリーナのこういったスキンシップは、もちろん嬉しいが、それ以上に恐れ多いというのがリズの素直な感想だ。
アリスとエイリスは、そんな二人の様子をジト目で見ていた。
「……なんか、カテリーナってリズに甘いよね」
「……待遇の改善を要求する。対等に扱うべき」
「お黙りなさい。我が魔術士クラスの筆頭問題児二人と、素直で可愛い後輩。同じように接すれば、それこそ不平等というものです」
リズを抱いたままカテリーナは厳しい口調で断ずる。
なんという言い草だ。しかしエイリスは反論すると墓穴を掘りそうだったので、話題を変えることにした。
「……そういえば、カテリーナさんはどうしてここに? 昼休憩は鍛錬所にいることが多いのに、珍しい」
「あなたたち二人に用事があったのです。これを寮母さんから預かってきましたの」
カテリーナ封筒を取り出すと、エイリスに差し出す。
「……手紙? 部屋に届けてくれればいいのに……」
「あんな、いつ爆発するか分からない部屋に近づきたく無いのでしょう」
……最近部屋を破壊した身としては何も言えなかった。
エイリスはカテリーナの嫌味を無言で流すと、手紙の差出人を確認する。
「……これ、おじさんからだ」
「おじさんから!? みせてみせて!」
アリスはエイリスから引っ手繰る様に手紙を奪うと、封筒を乱暴に破いて中身を確認していく。
エイリスはそんなアリスに魔術を横っ面に叩き込んでやろうかと考えたか、カテリーナの目もあるので自重する。後で必ず報いをくれてやる、と心に刻みながら。
エイリスの心情を知る由も無いアリスは、嬉しそうな顔で食い入るように手紙を読み進めていたが――唐突に、顔を青く変色させ、がくがくと体を震わせる。
完全に血の気が引いた顔で顔を上げると、涙が浮かぶ目でエイリスを見つめてきた。
「どうしよう、エイリス……おじさんが、おじさんが……!」
唯ならないアリスの様子に、エイリスはアディルおじさんの身に何かあったのかと思い、手紙を取り返すと素早く目を通していく。
そこには、二人の体調を心配する文から始まり、国外に旅をする旨が綴られていた。
どうやら、昔の知り合いに会いに行くとのこと。
もし長期の休暇などで家に帰ったとき、自分が居ないと心配するだろうから手紙で知らせることにしたらしい。
他にはお金を無駄使いしないように、変な人について行かないように、色目を使ってくる男がいたら名前と住所を控えて、次に会うとき自分に教えるようにと……たまにおかしなことも書かれていたが、特に心配するような内容ではない。
「……ん?」
エイリスは手紙とは別に、小さなメモ書きがあることに気づく。そこにはびっしりと、書き殴ったような乱暴な字でこう書かれていた。
『追伸――
アリス、きみが無断で剣を持ち出してくれたおかげで、おじさんはとても苦労することになりました。
知っていましたか? 人間、草を食べるだけでは生きていけないのです。
泥の混じった水を飲み続けるとお腹を壊します。これは本当に、地獄を味わいました。
貴重な経験を積みながら旅をしましたが、おじさんはアリスへの新しい折檻を考えることで耐え抜いてみせました。
今度、ぜひ披露したいと思っています。
会えるときを本当に、本当に楽しみにしています。
覚悟しておけよ。
アディル・ノーセンカルタ』
「…………」
エイリスは顔から滝のような汗を流してそのメモ書きを見つめた。持つ手が若干震えているのは、恐怖によるものだ。
アディルおじさんは怒れば怒るほど言葉遣いが丁寧になっていく。過去の経験からそれを嫌というほど知るエイリスには、この文からアディルの怒気が滲み出ているのをひしひしと感じられる。
たとえ、それが自分に向けられたものでは無いとしても、だ。
これは怒っている。それも、かなりのレベルでだ。
アディルおじさんが前にこうなったのは一年前。アリスと魔術の練習をしていた時に熱が入り、本気の魔術をぶつけ合った結果、家を半分消滅――文字通り、敷地の半分を更地に変えた――させた時だった。
あの時の怒り狂ったおじさんは本当に怖かった。あまりの迫力に二人そろって失禁したほどだ。
忘れたいと思っていても、あまりに衝撃的だったあの光景は、いまでも脳裏に刻み込まれている。
エイリスが思い出を回想していると――ふいに強烈な視線を感じ、そちらに顔を向ける。
発生源はアリスだった。ずっと一緒に過ごしてきたエイリスも見たことが無い必死の形相で、訴えるようにこちらを見ていた。
「……ねぇ、エイリス?」
「……ご愁傷様。冥福を祈る」
アリスの呼びかけに、エイリスは視線を逸らすことで答えた。
薄情な妹へアリスは即座に掴みかかった。
「あの剣を持っていくのはエイリスも賛成したよね! ね!? そうだよねぇ!?」
「……提案したのはアリス。実行したのもアリス。私は関係ない」
「賛成したんだから同罪でしょ!? 一緒に折檻を受けるべきよ! むしろ、変な話をしたエイリスが原因なんだから、エイリスが受けるべきだよ!!」
「……この手紙には、はっっきりとアリスの名前が書いてある。観念するべき。……そもそも、剣? なんのことか、私にはさっぱりわからない」
「なに知らない振りしようとしてるの!?」
必死に縋り付いてくるアリスを、エイリスは振り払うことで答えた。
醜く責任を擦り付け合う姉妹を眺めていたカテリーナなリズは、処置なし、といった具合に顔を見合わせると首を振る。
同時に、手紙だけでこの二人がここまで恐れるおじさん(アディル)という存在に畏怖の念を抱いたのだった。
カルディア学園の平和な日常の一コマは、こうして過ぎていった――
――ちなみにだが、幸いにも使う機会が訪れなかった件の剣は、部屋に置くとスペースをとるという理由により、今では寮の共同倉庫に保管されていた。