第二話
夜の帳が下り、夜鳴き鳥の鳴き声だけが時折聞こえる静かな森の中。ここは、人族の王が治める『アースラ王国』の西端に位置する山の一つ、その中腹にあたる場所だ。
魔物も出現するこの山は、麓にある村の住人達も簡単に近づけず、夜になれば光源は月明かりのみとなる。
そんな場所に、一軒の家が建っていた。
周りの木を伐採して建てたであろう質素な家は、何度も修復された形跡が見受けられ、お世辞にも立派、などとは言えないものだった。むしろ、家というよりは小屋と呼んだほうがしっくりくる外観だ。
そんな家の中に、テーブル越しに向かい合う三人の人影があった。
「何度も言っていることだが――」
そう切り出したのは、家長であるアディル・ノーセンカルタだ。赤髪赤眼の美丈夫であり、質素な服からのぞく鍛えれた手足はしなやかさが感じられ、鋭い目付きと相まってどこか肉食獣を連想させる。外見は二十代前半に見えるが、最近めでたく三十になった。『おじさん』という言葉が胸に響くようになってきた男である。
そんなアディルの正面には、二人の少女が並んで座っている。今年で十三になる、双子の義理の娘であるアリスとエイリスだ。
喧嘩の罰として庭の穴を埋めさせ、食事を終えた後に喧嘩の原因を聞き――保存してあった干し果物をアリスが勝手に食べたというくだらなさに頭を抱えながら――アディルは、二人に言い聞かせる。
「お前たちはもう少し考えて魔術を使え。俺たち魔術士にとって魔術は身近なものだから忘れがちになるが――魔術はとても強力な、そして危険なものだ。軽々しく使うものではない」
魔術――『魔術士』とよばれる者たちが扱うその術は、様々な種族が共に暮らすこの大陸でも、人族だけが扱える特別な力だ。
魔術の才能を持って生まれる者は少ないが、その力は数を覆すほどのものがある。様々な面で多種族に劣る人族が、大陸の主導権を握っているのも魔術によるところが大きい。
実際、過去に起こった国家間、種族間の戦争――そして、十年前に終結した『魔王』との戦いでも、魔術師は中心的な戦力として活躍してきた。
「喧嘩に使うなんてもっての他だ。わかったな、二人とも?」
「ふぁ~~い」
「……善処します」
アリスは間延びした返事と共に手を上げ、エイリスは下を向いたまま答える。
アリスはへらへらと笑顔を浮かべており、反省の色はまったく見えない。
エイリスにいたっては、一見落ち込んでいるかのように俯いているが、あれはアディルの死角になっているテーブルの影で本を読んでいるのだ。話を聞いていたのかも疑わしい。
アディルは身を乗り出すと二人の頭を掴み、強制的にこちらを向かせる。
笑顔を浮かべ――目が据わっており、異様な迫力を湛えた顔で――ドスのきいた声で繰り返す。
「わ・か・っ・た・な?」
「うん、わかった! わかったからその怖い顔やめて!? あと頭が痛いよ!?」
「……宣誓。魔術を喧嘩で使用しません」
一言ごとに頭蓋骨を締め上げてくる恐怖に二人がコクコク、と素直に肯くと、アディルは手を離して自分の椅子に座りなおす。
「二人とも、一週間後には『カルディア学園』に入学するんだ。学園でもそんなだと、色々と苦労することになるぞ?」
『カルディア学園』というのは、ここから三日ほどの距離にある大都市『カルディア』に門を構える学園だ。
大都市の学園である『カルディア学園』には様々な身分、種族の人間達が通うと聞いている。実際、試験を受けさせるために一度訪れたときは、エルフや獣人などの姿も小数ながらあった。
「お前たちは魔術士としての才能は一流だからな。学園にも特待生として入学することになったが、問題ばかり起こすと追い出されるかもしれないぞ?」
「……むしろ望むところ」
「おいこら」
後ろ向きな決意を表すエイリスに、アディルは半眼で答える。
どうにも、エイリスは『カルディア学園』に通うことにあまり乗り気ではないのだ。明確に否定はしないが、なにか不安があるような、そんな感じがする。
そんな妹とは対照的に、サラは楽しそうに学園生活に思いを馳せている。
「学園かぁ~、私たちと同じくらいの人がたくさんいるんでしょ? 友達たくさん出来るといいなぁ~」
この山には、友達どころか家族以外に人がいない。唯一交流がある麓の小さな村でも、みな成人しているか、その子供である幼い子ばかり。そんな環境で育ったアリスには、友達と呼べる人がいないのだ。
期待に胸を膨らませる姉に、エイリスがぼそりと呟く。
「……アリスは分かってない。私が読んだ本によると、私たちみたいな辺鄙な土地から都市の学園に入学すると、『田舎者』や『おのぼりさん』と呼ばれて、いじめられる」
「そうなの!?」
アリスは立ち上がると、エイリスに詰め寄る。
迫ってくる姉を煩わしそうに押し返しながらエイリスが続ける。
「……間違いない。この本によると、都市の有力者の娘が、徒党を組んで絡んでくる。陰湿な嫌がらせからはじまり、徐々にエスカレートして直接的な手段に変わっていく。人気の無い場所に呼び出されて――大人数に囲まれて暴行を加えられた上で、最後にこういわれる。『あなた、最近調子に乗っているのではありませんの? 身のほどを弁えて山に帰りなさい、田舎者!』と」
暗い口調ながら楽しそうに語るエイリスを、こいつ、普段どんな本を読んでるんだ? と、アディルはあきれた様子で見ていたが、アリスはその話を信じたらしく、面白いように取り乱す。
「が、学園がそんなに恐ろしい場所だったなんて……! エイリス、どうしよう! やっぱり、対抗するために武器とか必要かな!? たしか、地下倉庫に埃かぶった剣とかあったよね、持っていく?」
持って行くな。あれはかつて共に戦った聖騎士から奪っ――もとい、贈られた名剣だ。いざという時に売り払う予定の、大切な資産なのである。
アディルがそんなことを考え、アリスを諌めようとした時、おもむろにエイリスが立ち上がる。本を掲げると、安心させるように肯いた。
「……必要ない。いじめの解決法もちゃんと載っている」
「ホントに!? 教えて教えて!」
エイリスはニヤリと笑みを浮かべ、本を開く。
「こう書いてある。『何事も第一印象が大事!』と――つまり、近づいてくる人間を片っ端から魔術で潰していけば――」
「やめんか。なに物騒なこと言ってるんだ、お前は」
どんな解釈だ。近づくだけで魔術を放ってくるなど、そんな人間はただの異常者だ。
力ずくで物事を解決しようとするエイリスに、アディルは軽い頭痛を覚えた。
「なるほど! それなら私にも出来そうね!」
「だから、やめろっつーに」
更にアリスまで完全にその気になっており、本格的に頭が痛くなってくる。
アリスといいエイリスといい、どうしてこう何でも魔術で解決しようというのか――ふと、頭に二人の母親の顔がよぎり、同時に納得する。
――そういえば、あいつも同じようなものだったな。
血は争えん。そんなことを思いながらも、アディルは二人を説得する。
「何でお前たちには言葉で解決しようという選択肢がないんだ? 色んなやつがいるだろうが、同じ人間同士なんだ。話せば分かり合えるだろうし、自然と仲も良くなる。いじめなんて、いらない心配をしなくていいんだよ」
諭すように言い聞かせるアディルの言葉に、少しは安心したのであろう。「そうなんだ、よかったぁ」と胸を撫で下ろすようにしてアリスが椅子に座る。
そんなアリスを見て、エイリスが小さな声で呟く。
「……ちッ、もう少しで獣をけしかけることができたのに……」
「おまえなぁ……」
腹黒い娘をアディルが半眼で睨むと、エイリスはそっぽを向いた。大方、騙されやすいアリスに実行させ、その様子を楽しむつもりだったのだろう。
幸いアリスには聞こえなかったようで、今度は純粋な好奇心を宿した目でアディルに問いかける。
「そういえば、おじさんも学園に通ったことあるんだよね?」
「ん? まぁな。といっても、オレはこのあたりの生まれじゃないからな、『カルディア学園』に通っていたわけでもないし、お前たちより小さい頃のことだぞ」
「それでも学園生活を経験してるんでしょ? おじさんの時はどうだったの、いじめとかなかった?」
「オレの学生時代か? そりゃもちろん――」
なかったぞ――そう言いかけて、言葉に詰まる。頭に浮かんできた幼い自分の姿が、高笑いを上げ、誰かを足蹴にしていたからだ。
アディルの小さい頃といえば、魔術士としての才能を鼻にかけ、傲慢な態度で周りに接していた記憶しかない。
端的に言えば、嫌なガキだったのだ。
ちなみに、辺境からきた同級生を『田舎者』と散々煽り、ついには殴りかかってきたその同級生を返り討ちにした覚えもある。
――流石に正直に話すわけにもいかず、アディルは僅かに視線を逸らして答えた。
「………………うん、そうだな。いじめなんてなかったぞ? 生まれも育ちも違ったが、みんな仲良く過ごしていたな、うん」
「……不自然に間がある。怪しい」
半眼で睨んでくるエイリスから、今度は完全に目を逸らして立ち上がると、アディルは不自然に明るい声で会話を締める。
「さて、話は終わりだ。二人とも、もう寝る時間だぞ? 明日は麓の村まで降りるからな、世話になった人達にちゃんと挨拶するんだぞ?」
「……アディルおじさんが明るく振舞うときは、隠し事がある証拠」
「いいから、寝ろ」
アディルは立ち上がり、核心を突いてくるエイリスを脇に抱えると、寝室まで運んでベッドに投げつける。
投げ出されたエイリスは上半身をおこして不満そうに睨み返してくるが、そこに「やっふー!」と掛け声と共にダイブしてきたアリスが覆いかぶさり、一緒に倒れ込んだ。
エイリスは鬱陶しそうに引き剥がそうとするが、悲しいかな、身体能力ではアリスの方が上だ。アリスは器用にエイリスの体に絡みつくと、動けないように拘束し、そのまま抱き枕にして寝る体勢に入っている。
「この……! 何故、いつも抱きついてくる」
「だって、わたし抱き枕が無いと眠れないんだもん。しょうがないでしょ?」
「抱き枕になった覚えは無い……!? ふっ……くぬッ……!」
幸せそうに抱きつく姉と、その拘束から抜け出そうともがく妹。
毎晩のように繰り返されるその光景に「早く寝ろよ」と苦笑混じりに告げると、アディルはそっとドアを閉め、自らの寝室へと向かった。