第一章 消えた少年4
今日は何回気絶しただろうか。
奏真は自分の部屋に戻り、六畳一間のほぼ半分の面積を占めているベッドに寝転がりながらそんなことを考えていた。
奏真の部屋は飾り気のないシンプルな内装だった。必要最低限のものしかなく、勉強机とベッド、本棚ぐらい。テレビは隣のリビングに置いてあり、よく咲耶とチャンネル争いを繰り広げていた。
しかし反対に、リモコンやら本やらティッシュペーパーの箱、はたまた風邪薬など小物系はそこかしこに散らばっている。
奏真曰く、「これはこれで整理されているんだ!」らしい。「ほら、俺の手の届く範囲、三十センチ内に全てあるだろう! 見よ、計算し尽くされたこの配置!」と注意してくる咲耶にいつも言い返しているのだが、当然の如く咲耶には理解されるはずもない。
その理念に乗っ取り、ベッドの隅っこには何冊かのマンガや雑誌が置かれている。
気絶なんていつもの事だと、まだ少し痛む脇腹を押さえながら、奏真は一冊のマンガを手に取った。
タイトル、『アウェイク・ブリット』。
主人公が毎回、困っている人からの依頼を受け、一丁の拳銃片手にこなしていくハードボイルドアクション(時々コメディ)だ。
奏真がこよなく愛する一押しコミックである。
パラパラとページをめくりながら、
「かっこエエなー。しっぶいわー。日本人なら刀だろうがって言うやつもいるが、俺はやっぱ銃派だわー。いや、刀も好きなんですけどね」
と、誰に向かって言っているんだという独り言を呟いていた。
「う〜ん、リボルバーの方が好きなんだけど、オートマチックも捨てがたい。リボルバーかオートマチックか……。それが問題だ……」
いつか本気でモデルガンでも買ってみようかしら、と悩みつつ、奏真は一人の時間を満喫していた。
三十分ほどでマンガを読み終え、ふと枕元にある小さな目覚まし時計に目をやった。短針は既に十二の文字を通りすぎていた。
「ありゃ、もうこんな時間か。今日は宿題も出てないし、もうそろそろ寝ましょうかね」
咲耶がここにいたら、「あんたはあってもやらないでしょうよ」とツッコまれてしまうだろうな、と奏真は思った。まぁ、実際その通りなのだが。
電気を消そうとベッドから立ち上がり、蛍光灯から垂れ下がっているヒモに手を伸ばした。
チャラ。
奏真の首に掛かっているネックレスが揺れて音が鳴った。
「…………」
奏真は電気を消すのを止め、その伸ばしていた手でネックレスを取り、ベッドに座り直した。
――でもそれはずっとつけてるんだなー、と思ってさ。
咲耶に言われた言葉が頭の中で蘇る。
今日の咲耶は何か変だった。あのいつも明るい咲耶が珍しく感傷的だったのだ。そんなのも相まってか、何だか自分までそんな気分になってくる。
目が自然と半開きになりながらネックレスを見つめ、これをくれた人物のことを考える。
一体自分の母親は今、どこにいるのか?
何をしているのか?
なぜ自分の前から姿を消したのか?
なぜ連絡の一つも寄越さないのか?
そもそも生きているのか?
いなくなってしまったことへの悲しみとか、怒りとか、もうだいぶ時間が経ってしまっているので薄れてきてはいるのだが、疑問だけはいつまでも残り続ける。
今となっては唯一のつながりであるそのネックレスを強く、強く握りしめた。
「母さん……ッ!」
その奏真の悲痛な叫びに反応したのかはわからない。
奏真の目の前に黒い渦のようなものが顕現した。渦は急速に大きさを増していき、初めは五センチ程度だったものが、バチバチと火花のようなものも伴いながら六十センチ大にまで拡がっていく。
そこでようやく奏真はその存在に気付いた。
「何だこれ!?」
宙に浮き続ける黒い渦は拡がることを止めようとしない。そればかりか、ゴォォォォォッ! と巨大な掃除機のような音を立て、部屋中にあるものを巻き上げて、吸い込んでいく。
ノートやカバン、クローゼットにあった服など小さくて軽いものから、机の椅子のようなそれなりに重量があるものまで床を擦り、傷付けながら、渦の中へと飲み込まれる。
「なッ……、ちょ……ちょっとまっ……」
吸い込む力が強烈すぎる為に喋ることも許されない。
無慈悲な小規模ブラックホールは、最終的に一メートルを超えるまでになり、ついには奏真をも吸い込もうとしてきた。
「うぎギギギギ……ッ!!」
ベッドのシーツにしがみついてなんとか耐えていた奏真。
ところが、自分の横をある物が飛んでいくのが見えて、つい手を離してしまう。
あのハードボイルドアクション(時々コメディ)コミック、『アウェイク・ブリット』である。
「ぎゃッ、それだけは!!」
腕を伸ばし、掴もうとした。だが、ハードボイルドアクション(時々コメディ)コミック、『アウェイク・ブリット』は無情にも渦の中へと消えていく。と同時に奏真の腕も取りに行った勢いで、渦に手を突っ込んでしまった。
「だぁ……しま……ッ!!」
後悔しても、もう遅い。いや、する時間さえ与えてもらえなかった。
零距離の吸引力に抗うことなど出来るわけもなく、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッッッ!!」
奏真は体ごと渦の中へ持っていかれてしまった。