39代目勇者の悲劇
人々に害をなす魔王。
私は、そんな魔王を倒すために存在しうる、勇者だ。
……それなのに。
「……魔王ちゃん、田中さんのシャツにアイロンお願いねー」
「あいよー」
――倒すべく魔王は、忌み嫌われていた人間に、使役されていた。
「……あの、魔王さんに何かようですか?」
物陰で人間に使われている魔王を見ていると、急に声をかけられ思わず驚愕してしまった。
振り返ると、黒い服を身にまとった――「もしや、魔王の手下のものかっ?!」
黒い服、イコール魔王だ。
そうか、この町には魔王の手下が……。
じとっとした目を向けてくる魔王の手下に負けないよう、腰の剣を抜く。
「……僕は魔王さんの手下じゃないですよ」
「なにっ?!」
「身内です」
「……そうか。身内か……」
「……手下より悪ではないかっ!!」
一瞬諭されそうになったが、手下より身内のほうが魔王に近い。
その分悪い奴だ!
「私は39代目勇者である!お前たち悪がこの世を征服させないために異世界からやってきたのだ!」
魔王の身内と、間合いをとる。
剣は抜いたまま、若い彼を睨みつけた。
「……勇者さん、ですか」
「いかにも!」
「魔王さん、倒しに来たんですね」
「そうだ!」
「今魔王さんはバイトに励んでいるので、僕の家に来ますか?」
「なんだと?」
魔王の身内は踵を返しながら、私に2度目の驚愕をさせた。
「魔王さん、僕の姉と結婚して、今僕の家に住んでいるんです」
…………なんだと?!
「勇者さんは玄米茶と緑茶、どっちがいいですか?」
……我が城の厠並みに小さな家に招待されたかと思ったら、なにやら謎めいた箱の前に座らされた。
おずおず足を入れると。
「な、なんだこれは……!」
暖かい。長いこと外界で魔王を観察していたためか、足が芯まで冷えていたらしい。ポカポカとする箱に足全体を入れる。
「……コタツ、気に入りましたか?」
とん、と緑色の液体を差し出される。
勝手に緑茶にしましたよ、と魔王の身内は言いながら、コタツなるものに奴も足を入れた。
「……本当に魔王はここに住んでいるのだろうか……!」
「はい。そろそろ姉も仕事から帰って来るでしょうし、魔王さんもバイト終わると思いますよ」
「すまない!」
ズズ、と魔王の身内は緑色の液体を飲んでいたので、私もそれに倣い液体を飲む。
……なんだこれは……!
なんだかほっとする……!
思わずそれを飲み干してしまい、少しだけ恥ずかしくなった。
「……ところで、貴殿の姉上がよりにもよってあの魔王の嫁というのは本当なのか?!」
「ええ。この前結婚したんです」
「もしや貴殿の姉上は魔物…」
「人間です」
……何故だ。何故人間が魔王と結婚を…?!
「ただいまー」
コタツに潜り込みながら悶々と考えていると、玄関先で女性の声が聞こえてきた。
素早く立ち上がり、玄関先へ向かうと、至って普通――むしろ平凡過ぎる女性が固まっていた。
「……ちょ、鳴海!また誰かやってきたの?!魔王様みたいになっちゃうんだから誰も入れるなって言ってるでしょうが!」
「ごめんごめん」
「あ!学ランまだ着てたの?着替えてきなさい!」
「はいはい」
……恐ろしい。さすが魔王の嫁。
あまりの彼女の剣幕に、思わず身震いしてしまった。……きっと、コタツが心地良すぎて馴れてしまい、冬特有の寒さに弱くなってしまったからだろう。
けして彼女が怖かったからではない。
「あの、魔族の方ですか?今度はなんの仕事を持ってきたんです?今月の王妃の仕事はもう終えた気でいたのですが」
靴を脱ぎながら、彼女はいやいやと言葉を紡ぐ。
その後ろに。
「あれ。勇者じゃね?久しぶりー。なんで我が家にいるわけ?」
にっくき魔王が手を降りながらこちらに近づいてきた。
急いで腰の剣に手を伸ばし、そしてその切っ先を魔王に向ける。
「おのれ魔王!人間の女性を誑かし、のうのうとこの世界で生きているとはっ!」
女性は目を見開き、魔王の後ろに隠れる。いや、そちらは悪であって、隠れるのは私の後ろであろう?
「勇者、この世界には銃刀法ってのがあるんだぜー。武器はしまえよ」
魔王はそう言うや否や、魔法で私の聖剣を消し去ってしまった。
私の愛する聖剣をよくも……!
……私は魔法で攻撃しようと魔王を睨みつけるよりも早く、魔王の手が動いた。
「それと、」
魔王のアメジストの瞳が不機嫌さを漂わせたのを理解したのが先か。
「俺の嫁を怖がらせるは、俺の特権なんだよ」
私に魔法をかけたのが先か、わからない。
わかるのは。
「なんてことを……!」
私の美しい体は白い毛に包まれ、体温を下げるために舌を出す、
「勇者は犬のほうがあってると思うよー」
犬に変えられてしまったことだけだ。
「……勇者ちゃん、ご飯の時間だよ」
「かたじけない」
――犬の姿に変わり、私の力では元に戻すことは不可能だと知ったあの日から、私は奈緒さまの家に居候している。
あの時怖がらせてしまったのだが、この姿になってから奈緒さまは私を愛でてくれる。
勇者だった昔を思うと、今の姿は屈辱この上ないのだが、何せ魔法も使えず聖剣も取り上げられてしまった私は役立たずである。
それに、意外とこの姿も……。
「おー、勇者。ちゃーんとイイコでお留守番してるんだよ?」
魔王が恐れ多くも私の頭を撫でながら、ニヤリと笑みを浮かばせる。
……くそ!覚えていろ!満を持したときには、あんなことやこんなことを貴様に施してくれるわ!
――それから、奈緒と弟が、人間の姿の勇者を見たことは一生なかったらしい。
とりあえず魔王は強い。