What are you doing?
意図せずとは言え俺が折ってしまったのに変わりはないので、ガキの左腕にはそこらへんに落ちていた枝きれを添えて、やはりそこらへんに落ちていた布きれで縛り上げる。
ガキはじっとその様子を見ているだけでやっぱり何も言わない。俺の腰までもないちっぽけな子供。おそらく就学前の年頃だろう。ちっ、めんどくせえもん拾っちまった。
俺がこれくらいの歳のころはもっとうるさかったはずだし、従弟なんかは全く、口を縫い合わせてやりたいくらいベラベラしゃべりたてる。
小さい生き物ってのはもっと騒ぎ立てるもんじゃないのか、犬でも猫でも?怯えてるわけでもないのに静かなガキなんて気色悪ぃ。
ガキは短い脚を懸命に動かしてついてくる。
スラム街を出て少し歩くと、小さいながら一応鉄道も通っている町がある。
細々とオリーブや小麦を作っている村が寄り集まってできたようなところであるから見るべきものは広大な畑くらいのもので、今はまだ見渡すかぎりむきだしの土しかない。
上等にも転ばずについてきたガキは、それでも吐瀉物と排泄物を混ぜ合わせたみたいないかにも浮浪者というひどい臭いを漂わせていた。そんなのをいつまでも連れ歩くなんて冗談じゃない。俺は迷わず農業の片手間に営んでいるとしか思えないこの町唯一のぼろホテルに入った。
交通の関係でスラムにやってくるマフィア連中は必ずこの町を通ることになる。奴らの落としていく金で設けているのだろう、ホテルの経営者は妖怪みたいな身なりのガキをつれた俺が部屋を要求してきても不思議そうな顔一つせず鍵をよこした。
女か。
俺が2人も入ればぎりぎりになりそうな狭いシャワールームに放り込んで服をはぎとってやっとわかった。
骨の形がよくわかる手足とあばらの浮いた胸、ふくらみかけた腹は触れると不自然にかたく、ガスがたまっているのだと知れる。典型的な飢餓状態だった。
そこから目線を下げて俺は顔をしかめた。太くない太ももに銃創がある。44口径のピストル。
他にないかと見てみたが、裸足の足が凍傷と裂傷の温床になっているだけだった。触れてみても反応しないし、ためしに指をつっこんでみてもぼーっと立ったままでいる。
痛みに鈍感なのか?
そう思ってシャワーノズルをひねった、その瞬間、ガキが動いて鼻をひっぱたかれた。
「っ!」
なんだこいついままでおとなしかったくせに!
痛かないが全く抵抗を予想していなかったから手を離しちまって逃げられかけた。
「動くんじゃねえ!ってめ、暴れんな!」
スリをしていただけあってガキは敏捷で、無理やり押さえつけたときには俺までぬれねずみになっていた。最悪だ。ガキを抱えたまま廊下に出て服と包帯を買ってくるよう命令すると経営者がイグアナでも見たような顔をしたので殴ってやろうかと思った。
実際には両手とも忌々しいガキによってふさがれていたからめいっぱい殺気をこめて睨むだけにとどまったが(それでも男は飛ぶように姿を消した)。
「じっとしてろよ」
最初はがたがた震えていたガキも少しするとおとなしくなった。足の間に小さな身体をはさんで頭から洗っていく。
当然のごとく細い髪は痛んでいて、梳こうにも絡まったり切れたり抜けたり、ええぃ面倒くさい!女とはいえガキならいいだろ!ベルトからナイフを取り出して思い切ってもじゃもじゃの根元のほうで切り落とした。それでようやくガキの顔を拝めた。
泥で汚れていたから肌の色で分からなかった。現れたのはぐりぐりした目と小さな口。俺は顎をひいた。
なんでエメリアのスラムにオサカベのガキがいるんだ?
オサカベは南の大陸で、大小いくつもの国に分かれている。それぞれ言葉も違えば国民の気性も違うが、共通しているのは北の大陸の人間に比べて肌の色が濃いことと背が低いことだ。
しかしオサカベからエメリアまで来ようと思ったら海を渡ったうえであと6つほど国を縦断しなけりゃならない。遠いどころの話じゃない、飛行機でも一日はかかる。
「おまえどこから来たんだ?」
ガキはきょとんと見上げるだけで口を開こうとしない。言葉が通じないのかと思っていくつかオサカベの言語で話しかけてみたがやっぱりダメだった。俺だってオサカベの国すべての言葉を知っているわけじゃない。諦めて臭い落としに専念することにした。
シャンプーがなかったから石鹸で髪も洗ったが、いくら使ってもちっとも泡立たないところにガキの不衛生さを感じた。
濡れたついでに俺も汗を流してホテルの男が買ってきた服に袖を通す。子供服がなかったのか気が利かなかったのか2枚とも大人用だったからガキにはTシャツのほうを着せた。
右腕をとって今度はちゃんと包帯を巻いてやると、子供は興味深そうにそこをひっかいてみたりめくろうとしてみたり、何が面白いのかさっぱりわからない1人遊びに興じ始める。ベッドにほうって窓を開けた。
夏が終わってようやく雨が降り出した。
しかしまだ地面は乾燥していて、そこに降るもんだから空気はじめっぽくなるわ中途半端に温い風がふくわ、この時期の外出は気が重い。しかも今日は余計なものまで拾っちまった。
窓枠に頬杖をついたその目の前をオリーブ山盛りのトラックが横切る。右手の丘陵地帯から運んできた今年最後の収穫だろう。山積みのまだ青い実。
そういえば洗浄にかまけて忘れていたが、ガキの腹がなったからここまで連れてきたんじゃなかったか?
「おいガキ、乾いたらどっかの店に………うおおおぉい!!」
アホかあ!振り返るとガキは自分の折れた右腕を左手で掴んで力の限りひっぱっていたアホかぁ!!治るもんも治らねえじゃねぇか!!
あわてて左手を引き離すとガキはやっぱりきょとんと見上げてきた。脱力。
「……おまえよく今まで生きてこられたな……」
ほどけた包帯を巻きなおしてやりながらため息がもれる。
痛覚が人間の本能にくみこまれている理由を実感する瞬間だ。
「、あ?」
ふと視線を落とすと洗濯のしすぎでしなびたシーツの上に点々と血痕が付着していた。ガキの足を持ち上げてみるとさっき無理やりこじあけた傷口がぱっくり裂けている。
「おいおい……」
俺はげんなりした。
面倒くせぇ。