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自ら「囮」となって逃げ出したのに、妻である私を「待つこと」と溺愛されました  作者: ましろゆきな


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第5話 幸福な目覚めと、銀色の秘密

「……ん」


 重い瞼を持ち上げると、そこは見慣れた天井だった。

 高い天井に描かれたフレスコ画。窓から差し込む柔らかな朝日。そして、ふかふかの羽毛布団の感触。


「……ここ、は」


「あ、お姉ちゃんが起きた!」


 ベッドの脇から、元気な声が飛び込んできた。

 視線を向けると、弟のレオが心配そうに、けれど安心したような顔で私を覗き込んでいた。


「レオ……?」


「よかったぁ。お姉ちゃん、昨日いきなり倒れちゃうんだもん。ゼノン義兄様が顔面蒼白で『医者を呼べ! 聖職者を呼べ! いや、私が魔力を送る!』って大騒ぎだったんだよ」


「……えぇと」


 私の記憶が、ゆっくりと巻き戻される。

 逃亡、村での生活、ゼノン様の襲来(お迎え)、そして馬車でのネタ晴らし。

 そうだ。私は全部勘違いをしていて、あまりの恥ずかしさと衝撃で気を失ったんだった。


(穴があったら入りたい……っ!)


 私が顔を覆って悶絶していると、ガチャリと扉が開いた。


「気がついたか」


 入ってきたのは、この屋敷の主であり、私の夫(仮)であるゼノン様だ。

 彼は私の顔を見るなり、目に見えてホッと肩を撫で下ろした。


「体の具合はどうだ? どこか痛むか? まだ混乱しているなら、もう一度気絶してもいいぞ」


「い、いえ、もう大丈夫です……!」


 私は慌てて体を起こした。

 ゼノン様はベッドの縁に腰を下ろし、慣れた手つきで私の額に手を当てて熱を測る。

 その自然な仕草に、私の心臓がトクンと跳ねた。


 半年前の「白い結婚」の時は、こんな風に触れられることなんてなかった。

 彼はいつも一定の距離を保ち、私を「保護対象」として扱っていたから。

 でも今は、その瞳に隠しきれない熱がある。


「シエラ。……君が無事で、本当によかった」


「ゼノン様……」


「君が私を裏切って逃げたのではなく、レオを守るために自らを犠牲にしようとしたこと……気づいてやれなくてすまなかった。もっと早く、君に安心を与えてやるべきだった」


 彼の不器用な謝罪に、私は首を振った。


「いいえ。私が……私が勝手に思い込んで、皆様にご迷惑を……」


「迷惑なものか。君が帰ってきてくれて、この屋敷はやっと息を吹き返したようだ」


 ゼノン様が微笑む。

 その笑顔は、かつて「氷の処刑人」と呼ばれた男とは思えないほど、穏やかで優しかった。


 ◇


 それからの数日は、まるで夢のようだった。

 レオは王宮魔導師の先生について勉強を再開し、私は以前のように庭の薬草園の手入れをしたり、使用人たちとお茶を飲んだりして過ごした。

 伯爵家の脅威もなくなり、何の憂いもない日々。


 ただ一つ、気がかりなことがあるとすれば。


(ゼノン様、なんだか顔色が悪い気がする……)


 幸せな空気に隠れてしまっているけれど、ふとした瞬間に見せる彼の表情が、苦痛に耐えるように歪むことがあった。

 それに、以前よりも少し、痩せたようにも見える。


「アルヴィス様、ゼノン様は体調が優れないのでしょうか?」


 こっそり副団長のアルヴィス様に尋ねてみたけれど、彼は少し困ったように視線を逸らした。


「……閣下は、公務でお忙しいですから。少しお疲れなのでしょう」


 その歯切れの悪い返答が、余計に私の胸をざわつかせた。


 ◇


 そして、その夜のことだった。


 ふと目が覚めてしまった私は、水を飲もうとベッドを抜け出した。

 喉を潤してから部屋に戻ろうとした時、開け放たれたバルコニーから、冷たい夜風が吹き込んできた。


 誘われるようにバルコニーへ出ると、隣の部屋――ゼノン様の寝室のバルコニーに、人影があるのが見えた。


「……ゼノン様?」


 こんな深夜に、どうしたのだろう。

 声をかけようとした私は、その光景に息を呑んで立ち尽くした。


 月明かりの下。

 ゼノン様は手すりにもたれかかり、荒い息を吐きながら、着ていたシャツの前を大きくはだけていた。

 そして、彼が苦しげに押さえている左胸――心臓のあたりから、禍々しくも美しい、銀色の光が漏れ出していたのだ。


「う、ぐ……っ」


 苦悶の声と共に、彼の手が力なく滑り落ちる。

 露わになったその胸には、信じられないものがあった。


 皮膚を食い破るようにして生えた、鋭利な銀色の結晶。

 それは心臓の鼓動に合わせて妖しく脈打ち、血管に沿って銀色の根を広げ、彼の体を侵食していた。


(……綺麗。でも、これは……死の輝きだわ)


 薬師としての本能が警鐘を鳴らす。

 あれはただの病気じゃない。魔力そのものが暴走し、魂ごと結晶化させているのだ。


「……誰だ」


 私の気配に気づいたのか、ゼノン様が鋭く振り返った。

 私だと認識すると、彼は慌ててシャツを合わせ、その痛々しい輝きを隠した。

 いつもの冷徹な仮面を、無理やり被り直すように。


「シエラか……。こんな時間に、何をしている」


「ゼノン様、その傷……いいえ、その『毒』は……」


 私は震える足で、彼の方へと歩み寄った。

 バルコニーの柵越しに、彼を見上げる。

 近くで見れば見るほど、彼の顔色は土気色で、額には脂汗が滲んでいた。


「見るな。部屋に戻れ」


 拒絶の声。

 けれど、それは私を遠ざけるためというより、私を巻き込みたくないという悲痛な響きを含んでいた。


「忘れろ。君たちには関係のないことだ。君とレオは私が守る。何不自由なく暮らせるように手配もしてある。……だから、私のことは放っておけ」


「放っておけません!」


 私は思わず叫んでいた。

 関係ないなんて、そんなわけがない。

 彼は私を地獄から救い出してくれた恩人であり、誰よりも私を大切にしてくれた夫なのだから。


「あなたは私を救ってくれた。今度は、私があなたを診ます!」


「……無駄だ。これは病ではない。アストレ家に代々伝わる呪いだ」


 ゼノン様は自嘲気味に笑った。


「私は多くを殺しすぎた。その報いだ。……この結晶が心臓を覆い尽くせば、私は死ぬ。それだけの話だ」


「死ぬ……?」


 血の気が引いていく。

 この人が、死ぬ?

 やっと再会できたのに? やっと、幸せになれると思ったのに?


「嫌です。そんなの、絶対に嫌です」


 私は柵を乗り越える勢いで身を乗り出した。


「私は薬師です。それに、あなたの妻です! どんな呪いだろうと、私が解いてみせます!」


「シエラ……」


 ゼノン様は驚いたように目を見開き、それから悲しげに目を伏せた。


「……君には無理だ。いや、君にだけは、させたくないんだ」


「どうしてですか!?」


「夜風が冷たい。……部屋に戻りなさい」


 彼はそれ以上何も答えず、背を向けて部屋の中へと消えてしまった。

 ピシャリと閉ざされた窓ガラスの向こうで、銀色の光がまた一瞬、苦しげに明滅したのが見えた。


(私にだけは、させたくない……?)


 一人残されたバルコニーで、私は拳を握りしめた。

 その言葉の意味は分からない。

 けれど、一つだけ確かなことがある。


 私は、もう二度と逃げない。

 たとえそれがどんなに恐ろしい呪いでも、あの方を死なせたりはしない。


(……ゼノン様が教えてくれないなら、他の方に聞くしかないわ)


 私の頭に浮かんだのは、この国の頂点に立つ人物。

 ゼノン様の兄君であり、この呪いのことを知っているはずの、国王陛下だった。

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