第3話 すれ違いの捕縛劇
村の入り口にある半鐘が、けたたましく打ち鳴らされた。
カンカンカンカンッ!!
その音は、山間の静かなルル村に不釣り合いなほど切迫していた。
普段なら、熊が出たとか、山火事だとか、そういった緊急事態を知らせる合図だ。
けれど、村外れの庵にいた私、シエラには分かっていた。
それは自然災害などではない。もっと恐ろしい、「処刑人」の到来を告げる鐘の音だと。
「……来たのね」
私は薬草を刻んでいた手を止め、震える指先をもう片方の手で強く握りしめた。
予想よりも早かった。
もっとも、相手はあの『氷の処刑人』ゼノン様だ。私ごときの逃亡劇など、児戯に等しかったのだろう。
(怖い……)
本音を言えば、今すぐにでも裏口から森へ逃げ込みたい。
でも、ダメだ。
ここで私が無様に逃げ回れば、村の人たちに迷惑がかかるかもしれない。
何より、私が派手に捕まらなければ、継母の目は弟のレオに向いてしまう。
「……ふぅ」
私は深く息を吐き、覚悟を決めた。
鏡の前に立ち、乱れた髪を整える。
そして、逃亡中に泥で汚れてしまったドレス――ゼノン様が贈ってくれた最高級のシルク――を、できる限り綺麗に払った。
せめて最後は、大公妃(仮)として、恥ずかしくない姿で逝こう。
私は玄関の扉の正面に椅子を置き、そこにあえて座らず、その手前の床に正座をした。
罪人が裁きを受けるための、恭順の姿勢だ。
◇
一方、村の入り口は大パニックに陥っていた。
「ひぃぃぃ! な、なんだあの黒い軍団は!?」
「ま、魔王か!? 魔王軍が攻めてきたぞぉぉ!」
村人たちが鍬や鎌を手に右往左往する視線の先には、整然と並ぶ漆黒の騎馬隊があった。
その先頭に立つのは、闇夜のような黒馬に跨った、一人の男。
彫刻のように美しいが、触れれば凍りつきそうなほど冷徹な美貌を持つ、アストレ大公ゼノンその人である。
「……騒がしいな」
ゼノンが低い声で呟くと、それだけで周囲の気温が三度は下がった。
村の犬たちが「キャン!」と悲鳴を上げて小屋に逃げ込む。
「閣下、殺気を抑えてください。村人が泡を吹いて倒れています」
隣に並ぶ副団長アルヴィスが、こめかみを押さえながら諌める。
ゼノンは不服そうに眉を寄せた。
「殺気など出していない。私はただ、愛しい妻に会える喜びを噛み締めているだけだ」
「それが殺気に見えるんですよ。端から見たら『村の一つや二つ焼き払ってやる』という顔をしておられます」
「……失礼な。早くシエラの元へ案内しろ」
ゼノンはアルヴィスを促し、村の中へと馬を進めた。
すると、その行く手を阻むように、一人の老人が立ちはだかった。
村長だ。彼はガタガタと膝を震わせながらも、必死に両手を広げている。
「こ、こここ、ここから先は通さんぞ!」
「ほう?」
ゼノンが片眉を上げる。
「し、シエラ様は……あの方は、我らの希望じゃ! 伝説の聖女様なんじゃ! お前さんのような恐ろしい処刑人に、渡してたまるかぁぁ!」
村長の叫びに、後ろに隠れていた村の若者たちも「そうだそうだ!」「帰れ悪魔!」と声を上げる。
一触即発の空気。
アルヴィスが「まずい」と剣の柄に手をかけた瞬間、ゼノンが静かに口を開いた。
「……そうか」
ゼノンの瞳が、ふわりと和らぐ。
いや、周囲から見れば「獲物を見つけた猛獣の目」にしか見えなかったが、アルヴィスだけは主の真意を読み取った。
(ああ、感動しておられる……『私のシエラは、こんな辺境でも愛されているのか』と)
「民に慕われるとは、さすがは我が妻だ。誇らしい」
ゼノンは馬から降りると、呆然とする村長の前まで歩み寄り、なんとその肩に手を置いた。
「礼を言う。妻を守ろうとしてくれて」
「は……へ……?」
「だが、もう大丈夫だ。私が来たからには、彼女に指一本触れさせん。……案内してもらえるか?」
あまりの美形と、予想外の低音ボイス、そして圧倒的な「俺の女」オーラに当てられ、村長は腰を抜かしたままコクコクと頷いて指差した。
「あ、あっちの……ボロ小屋です……」
◇
ドン、ドン、ドン。
庵の扉が叩かれた。
その重厚な響きに、シエラの心臓が早鐘を打つ。
(来た……!)
「入ってください。鍵は開いています」
シエラは震える声を必死に抑えて、そう告げた。
ギィィ、と軋んだ音を立てて扉が開く。
逆光を背負って入ってきたのは、長身の影。
見間違えるはずもない。この半年間、遠くから見つめ続け、叶わないと知りながら心を寄せてしまった人。
「……ゼノン様」
シエラは床に額を擦り付けるようにして、深く平伏した。
「申し訳、ありませんでした……!」
シエラの声が、静寂な室内に響く。
「大公印を盗み、あまつさえ逃亡などという愚行……弁解の余地もございません。ですが、どうか、どうか弟のレオだけは……!」
涙で床板が滲む。
殺される。きっと、その剣で首を落とされるのだ。
それでもいい。私が罪人として裁かれれば、レオは被害者として保護されるかもしれない。
シエラが処刑の宣告を待って、目をぎゅっと閉じた、その時だった。
ふわり。
温かい何かが、シエラを包み込んだ。
痛みではない。衝撃でもない。
それは、力強く、それでいて壊れ物を扱うように優しい、抱擁だった。
「……え?」
シエラが恐る恐る顔を上げると、目の前にはゼノンの顔があった。
いつもは氷のように無表情な彼が、今は眉を下げ、痛ましそうに、そして愛おしそうにシエラを見つめている。
「シエラ……無事でよかった」
「……は、はい?」
「痩せたな。こんな粗末な小屋で、寒い思いをさせてすまなかった。……怖かっただろう」
ゼノンの大きな手が、シエラの泥で汚れた髪を優しく撫でる。
(えっ、なに? どういうこと?)
シエラの思考が停止した。
これは尋問? それとも、油断させてから絶望に突き落とす高度な拷問テクニック?
「あ、あの、ゼノン様? 私は、大公印を盗んだ大罪人で……」
「ああ、あれか」
ゼノンは懐から、シエラが盗み出したはずの『黄金の印』を取り出した。
シエラが持っていたものと、瓜二つの印だ。
「き、君が持っているのは、私が職人に作らせた精巧なダミーだ。本物はここにある」
「……はい?」
「君が夫人に脅されていることは知っていた。だから、君が盗み出しやすいように、わざとダミーを目立つ場所に置いておいたのだが……まさか、それを持って家出するとは思わなかった」
ゼノンは困ったように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。
「君は、本当に真面目で、優しいな」
「や、やさ……?」
シエラの脳内処理能力が限界を超えた。
盗んだのは偽物? 最初からバレてた? 優しい?
待って、じゃあ私は何のために、泥だらけになって夜の森を走り、川を渡り、洞で震えていたの?
「さあ、帰ろう。レオも待っている」
「レ、レオも!? まさか、レオも捕まって……!?」
「捕まって? いや、保護して今は屋敷でケーキを食べているはずだが」
「ケ、ケーキ……」
シエラはガクンと力が抜け、ゼノンの腕の中に崩れ落ちた。
安堵と、混乱と、脱力感。
そして何より、目の前の男性から伝わってくる体温が、どうしようもなく心地よかった。
「……閣下」
入り口で様子を見ていたアルヴィスが、呆れたように声をかけた。
「シエラ様が白目を剥いておられます。情報の供給過多です。とりあえず、抱きしめる力を少し緩めて差し上げてください。愛が重すぎて窒息死します」
「む……すまない」
ゼノンは慌てて腕を緩めたが、決して離そうとはしなかった。
その様子を、窓の外からこっそり覗いていた村人たちが、ポカンと口を開けて見守っている。
「なんだ、聖女様……処刑されるんじゃなくて、愛の逃避行だったのか?」
「大公様、顔は怖いけど、聖女様のこと好きすぎじゃね?」
「よかったぁぁぁ!」
村中に歓声が響き渡る中、シエラだけが「(これは夢? 走馬灯?)」と現実を受け止めきれずにいた。
こうして、シエラの決死の逃亡劇は、国一番の過保護な大公による「お迎え」によって、幕を閉じたのだった。




