第4話 学生寮
日も落ちた頃、極東魔導学園学生寮に到着した三木、誠奈人、莉央奈。正面玄関を抜けるとロビーがあり、食堂や浴室、談話室などの共有スペースに繋がる。奥に進むと男子寮と女子寮に続く道へと分かれている。
「結構綺麗で広いんですね。すごいなあ」
ロビーに入り、きょろきょろと辺りを見回す莉央奈。すると待ち受けていた初老の男女が話しかけた。
「よく来たね。私はここの寮母、舘野和子。こっちは守衛の仙田玄治さん」
「仙田です。ようこそ、極東魔導学園学生寮へ。ここは私を含め魔導士の職員が何人かいるからね。住んでいる生徒さんも魔導士が多いし、安全に寝泊まりできるはずだよ」
「ありがとうございます! 実莉央奈です。今日からお世話になります」
「こう見えて玄治さんはすごく強いし、和子さんも怒らせたら怖い。気をつけた方がいい」
少し苦い顔をしながら口を挟む誠奈人。それを見てすかさず言い返す和子。
「あたしみたいに聖母の如く優しい寮母は、世界中探しても居やしないね。そうだろ? 玄さん」
「ははは、そうだね。和子さんはいつも子供たちのことを第一に考えてくれてる優しい人だよ」
「お二人とも、急な話ですみません。彼女をよろしくお願いします」
二人に頭を下げる三木。
「事情を聞いたらほっとけないしね。まかせておくれよ。女子寮の空き部屋を掃除して、家具や家電も一通り使えるようにしてあるよ」
話をしているうちに、寮の奥の方から一人の少女が歩いてきて、莉央奈はそちらに目を向けた。誠奈人の同級生、佐倉律華だ。
「協会の方と電話してて、少し遅れました。すみません」
「律華ちゃん、この子が莉央奈ちゃんだよ。仲良くしてやっておくれ」
和子が莉央奈の方を手のひらで示す。少女はそちらを向き、姿勢良く一礼した。
「初めまして。佐倉律華です。極東魔導学園高等部の二年生です。実さんの事情は一通り聞いています。女子寮にいる時は、私を頼ってください。同姓だから話せることもあるでしょうから 」
「これはご丁寧に…実莉央奈です。よろしくお願いします! 」
一通り挨拶が終わったところで、和子が切り出した。
「さて、誠奈人と莉央奈ちゃんは夕飯まだなんじゃないかい? 食堂で適当になんか用意するよ。律華ちゃんも、まだだったら一緒にどうだい? 」
「ありがとうございます。夕飯、食べそびれてましたから。ご馳走になります」
「では、私はこれで。何かあれば連絡ください。後のことは、よろしく頼みます」
和子らに一礼する三木。
「はいよ。あんたも働き過ぎには気をつけな」
「三木隊長さん、今日は付きっきりでありがとうございました」
声をかけた和子と莉央奈に会釈し、寮を後にする三木。ちょうど莉央奈の腹の虫が鳴り、えへへと笑いながら頬を赤く染める。ひとしきり笑った後、誠奈人達は食堂へ向かった。
食堂の長机に並んで座る誠人、莉央奈、結奈。カレーとコーンポタージュが盛り付けられ、三人の前にそれぞれ並んでいる。
「余り物だけどね。たんと食べな」
「ありがとう和子さん。いただきます」
誠奈人に続き、莉央奈と結奈もいただきますの挨拶の後、食べ始める。
「あぁっ、おいしい! おいしいですよ和子さん! 」
カレーを一口頬張り、眼を輝かせる莉央奈。
「野菜の甘みがしっかりと馴染んでるね。これはたっぷりの玉ねぎをよーく炒めてある」
「記憶失くす前は食レポでもやっていたのか? 」
「ふふ、食べることが好きなのね」
「そんなに美味しそうに食べてくれるならこっちも嬉しいよ」
無邪気な子供のようにはしゃぐ莉央奈に三者三様の反応を見せる誠奈人、律華、和子。
「こ、これは失敬。わたしったらはしたない! 」
「面白いからそのままでいいんじゃないか」
「身近な事に幸せを感じられるのは、良いことよ」
「食べ盛りなんだから、遠慮しなくていいんだよ」
照れ臭そうにしながら、食べ進める。
「ご馳走様でした」
「はい、お粗末さま」
綺麗に完食し、食器を返却口まで返す三人。
「和子さん、今日もおいしかった。いつもありがとう」
「はいはい。あんたは好き嫌い無いから、こっちとしても作り甲斐があるよ。じゃあ私は後片付けしてくるから。あんた達は風呂入って寝な」
「はい。ありがとうございました和子さん」
厨房に入っていく和子に礼儀正しく頭を下げる律華。それを真似てみる莉央奈だが、背筋が少し曲がっていた。それを後ろから見ていた誠奈人は人知れず微笑する。
「まだ出会ったばかりだけど、実さんの事が少しわかった気がするわ」
先ほどより幾分柔らかい表情で莉央奈に話しかける律華。
「えへへ、お恥ずかしい。そういえば、二年生ってことはわたしと同い年だ」
「ええ、何かあればなんでも聞いてね」
「うん、ありがとう。えっと……律華ちゃん! 」
もじもじとしてから、意を決して笑顔で呼びかける。律華の方から実さんと呼ばれていたので、名前呼びすることに少し抵抗があったようだ。その様子を見て、心情を察した律華が微笑み、言葉を返す。
「あらあら。よろしくね、莉央奈。ふふ、もじもじしちゃって。かわいいのね」
「そんなそんな! もじもじなんてしてないよぉ」
莉央奈は顔を赤らめて手をぶんぶん振り回す。それをにこにこしながら眺める律華と、少しむっとした表情で見る誠奈人。
「どうかしたの? 誠奈人」
「……実さんは、俺を神楽さんと呼ぶ」
「あっ! 」
誠奈人に不意を突かれ、慌てる莉央奈。誠奈人に対しては最初に助けてもらった記憶が強く残っており、無意識のうちに目上の人間のように接してしまっていた。
「ご、ごめんなさい。神楽さんは、最初にかっこよく助けてもらった印象が強くてー。悪気があったわけじゃないんですけど、あわあわ」
弁解を試みるが上手く言葉を紡げない。それを白い目で見つめる誠奈人。
「こほん! では、改めてよろしくね。誠奈人くん! 」
「あぁ、よろしく。莉央奈」
莉央奈がなんとか落ち着きを取り戻して笑顔を向けると、誠人は満足そうに微笑んだ。
「ヤキモチ妬いてたのね。誠奈人ってばたまにそういう子供っぽいところあるんだから」
「妬いてない。ちょっと疑問に思っただけだ」
「はいはい」
夕食をすませ、男子寮と女子寮の分かれ道まで来た三人。
「じゃあ俺は男子寮に行くから、頼んだぞ律華。風呂場とかも、色々案内を頼む」
「ええ。私と莉央奈は隣の部屋だから安心して」
「今日も一日ありがとう。おやすみ誠奈人くん」
「あぁ、おやすみ。明日は学校休みだから、起きたら適当に合流しよう。ゆっくり休んでくれ」
二人と別れ、自室に向けて歩き始める誠奈人。
(記憶喪失の魔導士…か。記憶を失う前はともかく、今は悪いやつじゃない)
歩きながら、この二日間を思い返す。魔導士が関わる事件をいくつも解決してきた誠奈人だが、今回のようなケースには初めて遭遇する。
(何もかも謎だらけだ。まずは情報を集めないとな。今一番の情報源は日野剛也だが…大人しく話すとも思えないな)
通路の窓から、窓ガラス越しに外を見る。満月が高く昇り、星々が美しく煌めく。一方で、夜の闇の中で蠢く何かがいる。その対比が、清濁併せ持つこの世界の縮図であるかのように感じた。
「……宿題、早めにやっておくか」
難しい問題はひとまず置いておいて、まずは目の前の出来る事からやっていこうと決めた誠奈人。職員室での凛子との会話を思い出しながら。
律華に案内され、自分の部屋までやって来た莉央奈。入口の扉を開けて中に入り、電灯のスイッチをつける。
「わぁ、綺麗な部屋だ」
「この部屋はしばらく空き部屋だったの。和子さんが掃除してくれたみたいだし、綺麗だと思うわ。家具や家電もとりあえずは備え付けの物があるから布団とかもね」
「うん。何から何までありがたいです」
「寝巻と下着はとりあえず一着新しい物を用意したわ。普段着は自分で買った方がいいかと思ったんだけど、良かったら明日一緒に買いに行かない? 休日で学校も無いから。明日着て行く服は、悪いけど一日だけ私の服を貸すから、それを着てくれないかしら」
「わぁ、律華ちゃんが用意してくれたの? ありがとう。律華ちゃんが良ければ、明日買いに行きたいな。服は何しろ今来てるのしかないから、貸してもらえると助かるよー」
「決まりね。仕方ない事なんだから、そんなに気にしなくていいのよ」
「えへへ。どうもどうも」
莉央奈は照れくさそうに後頭部をぽりぽりと掻く。
「さて、とりあえずお風呂行きましょうか。昨日から動きっぱなしで疲れたでしょう」
「お風呂! 待ってましたー」
寮の中にある女子浴場にやって来た莉央奈と律華。
「広いんだねぇ。テンション上がっちゃう」
「綺麗なお風呂は女子には助かるわよね。閉まってる時間もあるから、気をつけてね」
「うん。では早速、いってみましょう! 」
莉央奈は足取り軽く、隅にある脱衣所に向かう。律華もその様子を微笑みながら見つめ、後に続く。その様はまるで姉や母のようだった。莉央奈は手早く服を脱ぎ、綺麗に畳んでから浴場の扉を開けた。
「わぁ、中も広ーい! 最高! 」
「慌ててると転んじゃうから、気を付けてね」
後からやって来た律華が釘を刺す。
「それは、気を付けないと。わたし、そういうのやりそうだからね」
シャワーの前に置かれている椅子に座り、それぞれ髪や体を洗う二人。
「莉央奈は髪が長くて綺麗ね。女の子らしい」
「律華ちゃんもだよ。いつもポニーテールなの? さらさらしてて綺麗な髪」
「一番簡単だし動きやすいから、いつもそうしちゃうの。本当は短く切っちゃえばいいんだけど、なんとなくこれくらいの長さが気に入ってて」
「わたしは、律華ちゃんならショートよりも今の長さの方が似合ってると思うよ。手を加えるにはちょうどいい長さだから、色々とヘアアレンジしてみたらどうかな」
「そんな、私の髪なんて誰も気にしてないわ」
「勿体無いよ、可愛いんだから。それにおしゃれっていうのは、誰かのためだけじゃなくて、自分のためにもする物じゃないかな。カワイイ格好してると、気分も明るくなるし」
「そう、かな。今度考えてみる」
「ぜひぜひー。その時は、わたしも強力させてね」
「じゃあ、お願いしちゃおうかな」
丁寧に髪を洗い流してから、浴槽に向かう二人。足からゆっくりと湯に浸かり、表情が綻ぶ。
「ふぁー。生き返るぅ…」
「はぁ。気持ちいいわね…」
「お風呂に浸かると、つい声が出ちゃうね」
「わかるわ。何なのかしらねー」
天井を見上げながら息を吐き、脱力し、思いっきりリラックスする。今までの人生の中で間違いなく風呂に入った事はあるはずだが、莉央奈はその事を思い出せない。しかし、気持ちいいという感情はあるし、初めてではないような、奇妙な感覚がある。
「記憶が無い…のよね。今のところ大丈夫そうだけど、日常的な事でも思い出せない事があれば、何でも言ってね」
「ありがとう。今のところ大丈夫。不思議な感じだけど、だいたいのことはわかるんだ。お風呂の入り方もわかる。記憶がないのにわかるっていうのも妙なんだけど」
「何を忘れているのかも、整理が難しいわよね」
「そうだね、その時になって初めて、これ知らない! ってなるんだろうなぁ。魔導の事もそうだった」
「現代に生きていて魔導の存在すら知らないというのはありえないから、間違いなく記憶喪失の影響なのよね…。魔導と同じように、他にも何か抜けてる記憶があるかもしれないわね」
「うん。ちょっと不安だけど、生きてくために必要な知識は覚えていられて良かったって思うよ」
「前向きなのね。ずっと笑顔で、明るくふるまってる。でも、辛い時は無理しなくていいのよ。今の莉央奈の状況になったら、辛さを感じるのが当たり前だから。周りに気を使い過ぎたりもしなくていい」
「律華ちゃんは優しいねぇ。誠奈人くんや三木さんも親切だったなぁ」
「良かった。特に誠奈人はちょっと口下手なところがあるから。たまに変な事言ったりね」
「あはは、ちょっとわかるかも。でも良い人だよ」
「そうね、協会に長くいるし、魔導士としての責任感も強いわ。本人は自覚無いかもしれないけど、周りからも信頼されてる」
「誠奈人くんて、すごい魔導士なんだね。私と同い年なのになぁ。律華ちゃんも、協会には長くいるの? 」
「そうね。誠奈人ほどではないけどね」
「そうなんだ。二人とも、ちっちゃい頃から頑張ってるんだね」
「まだまだこれからよ。魔導士は子供の時から修行を始める人が多いし、大人には私よりすごい魔導士なんていっぱいいるんだから」
「魔導士の世界は奥が深いねぇ。もっと色々知りたいかも」
「あら、嬉しい。じゃあちょっとずつ教えていくわね」
「よろしくお願いします、先生」
「はい、よろしく」
顔を見合って笑い合う二人。それからしばらく疲れを癒した後、のぼせる前に風呂から上がったのだった。




