第2章:第7話『その男』
その男は帽子を目深に被り、眼鏡をかけ、大きめのマスクで顔の半分以上を覆っている。パーカーのポケットに手を入れ、大きめのジーンズの裾を地面に擦りながら商店街を歩く。街の喧騒を煩わしく感じながら、それでも一日一回は日の光を浴びなければならないという強迫観念にも似た思いで足を動かしていた。最近は人の少ない公園等に散歩に出る事が多かったので、気分を変えるために街中にやってきたが、想像以上の人の多さに少し後悔を始める。
(…皆、楽しそうだったり、仕事か何か、目的を持っていたり……何もない僕とはちがう)
通り過ぎていく人々を見ながら、その対比で自分を卑下する。何もなし得ず、何者にもなれない自分という存在にどうしようもない嫌悪感を抱く。
(…全部、魔導士のせいだ)
どんなに考えを巡らせても、男の答えはいつも一つだった。それだけが、自分の中で確立されている唯一の真実。
「魔導士なんて…この世から消えればいい。その方が平和になるんだ。皆、その方が嬉しいんだ」
頭の中で考えていた事をいつしか無意識に口走っていたが、男はそれに気づかない。ブツブツと独り言を言いながら、人混みを掻き分けて進む。大学生だろうか、若者達が明日の授業がめんどくさいとか、お金が無いとか、雑談をしながら通り過ぎていく。背広を着た男性は、道の隅に立ち止まって頭を下げながら電話で誰かと話している。しばらくぶらついたが、どうしても人混みに馴染む事ができず、コンビニに逃げ込んだ。
「なんか頭がふらつく…コーヒーが飲みたい…」
ゆらゆらとした足取りで男はコンビニの店内を闊歩する。紙パックのアイスコーヒーを見つけたが、持ち運びに不便なので男はあまり好んでいなかったので、少し考えた後に素通りした。すると、コンビニの隅に二人組の女子学生を見つけた。背丈からみて中学生くらいだろうか、お揃いの制服を着て何やら談笑している。
(女性…特に若い女の人は苦手だ。さっさと行こう)
男はコンビニ店内の冷蔵庫にペットボトルのコーヒーを見つけ、それを素早い動きで取り出した。レジに持っていくと、今では珍しくもなくなったセルフレジが備え付けてあったので、そちらで会計を済ませてコンビニを後にした。
(…あれ、なんだろう。何かが引っ掛かってる)
喉に魚の骨が刺さったような、もどかしい気持ちになりながらも、自分は何が気になっているのか、その答えがわからない。コンビニを出てからしばらく歩いたが、それは変わらない。気付くと、先ほどの通りよりも人が少ない場所に辿り着いていた。無意識のうちに歩いていたので、自分がどの辺りにいるのかは定かでは無い。
(…喉、乾いたな。お腹もすいた)
周囲に他に立ち止まっている人がいない事を確認し、道の端に避けてペットボトルを開栓した。思えば目覚めてから何も飲んでいなかった。乾き切った喉に黒く冷たいコーヒーを流し込む。特段美味しいというわけではないが、乾きを誤魔化すには十分だった。
(…あれは、さっきの二人だ。せっかくコンビニからここまで歩いて来たのに)
男がぼんやり人並みを眺めながらコーヒーを飲んでいると、先ほどコンビニ店内にいた二人の女子学生が歩いて来た。苦手意識のある女子学生から距離を取ろうとしてコンビニからここまで歩いて来たが、二人の行く方向も同じだったらしい。何を話しているのかはよく聞こえないが、「ヤバい」や「ウケる」などの言葉だけはやたらと大きく発語するので、それは嫌でも聞き取れた。たまたま周囲の人気が引いて、その場にいるのが男と女子学生だけになった事が、声の聞こえた要因の一つだったのだが、男はそこまでは考えが及んでいなかった。
(…そうだ。あの、制服は…)
男はここで自分の頭の中で引っ掛かっていた物の正体に気付く。あの二人の女子学生が着ている制服は、日本魔導学園の物だ。東京にある、日本で最も大きな魔導学校。
(こんなところにも…魔導士…)
男は魔導士が嫌いだ。なのに、少し街を歩いただけで、こんなにも身近に連中は存在している。見たくもなかったのに。男の頭の中で様々な感情が渦巻く。真っ黒なそれが、全身を駆け巡っていくような感覚。それに囚われていた男は女子学生に目線を送ったところで動きが止まり、硬直していた。すると、女子学生二人がその目線に気付いて男を見る。しかし男は気付かず、固まったままだった。
「ねぇ…あの人、目がヤバくない? 」
「うん…なんかずっとこっち見てる。こわ…」
女子学生達は小声で話したが、距離がそこまで離れていなかったため、全てではないが男の耳にもその声が届いた。男はそこでハッとなって硬直が解けたが、我に返った時に真っ先に目にしたのは、女子学生達の自分に対する嫌悪の目線。
(……なんだ、その目は。なんで魔導士が僕をそんな目で見るんだ)
我に返った時に一瞬消えかけていたドス黒いモノが、再び男の体を駆け巡る。頭の中が熱いような冷たいような不思議な感覚に陥り、男は目を見開く。女子学生達はそれを尻目に、足早に立ち去ろうとする。一方、男は遠ざかっていくその背中を見つめ続けていた。両者の距離は徐々に離れていく。しばらく早歩きで進んだ後、女子学生のうちの一人が後ろを確認しようと振り返った時……。
男は女子学生達のすぐ後ろに立ち、狂気的な目で二人を見下ろしていた。
―次の瞬間、甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。
「はぁっ。はぁっ。はぁっ」
男は全速力で駆けていた。どこを走っているのかもよく分からない。めちゃくちゃに角を曲がりながら、とにかく遠くへ。
「ふ、ふぅ…ふぅ…かはっ」
息が切れて立ち止まる。しばらくは走れそうに無い。辺りを見回すと、さっきの場所からそこまで離れていない事に気付く。自分の体力の無さが原因だ。
(あんなつもりじゃ…無かったのに。あいつらが、魔導士が! いつもいつもいつもいつもいつも!! )
「お困りですか? お兄さん」
男の体が大きく跳ねる。見つかった? 誰に? 警察? それとも魔導協会?
「そんなに怯えないで。ワタクシはあなたの味方ですよ」
そこに立っていたのは、薄ら笑いを浮かべた中年男性だった。浅黒い肌に黒い髪、彫りの深いその顔は東南アジア系の特徴に見える。黒い中折れ帽を目深に被り、グレーのスーツにキャメルコートを羽織って、手には大きなビジネスバッグを下げていた。商談に向かうサラリーマンのような出立ちだ。
「だ、誰なんだあんた…! 」
「味方、と言ったでしょう? その証拠にあなたが通った道で見つけた監視カメラは全て破壊いたしました。停車していた車のドライブレコーダーも、可能な限りね。街外れなので数が少ないのが幸いしました。これで当面は時間が稼げるでしょう」
「えっ…どうしてそんな事を」
「たまたま、あなたが東京魔導学園の生徒さんに攻撃を加えるところを拝見しましてね」
「俺を、捕まえるんじゃないのか」
「違いますよ。まずはあなたの話を聞かせていただけませんか? 魔導士を、魔導学園を、そこまで憎む理由を」
男は、その中年男性から目を離せなかった。その吸い込まれるような瞳に、まるで催眠術でもかけられたかのように見入っていた。そして、自分の身の上話を、出会ったばかりの相手に話していた。話す事で、自分の気持ちが少し軽くなっていくのを感じた。
「それはそれは…おつらかったでしょう。やっぱり、ワタクシの思ったとおりでした。あなたの眼に悲しみが宿っているのを感じていたのですが…まさしくそのとおりだったようですね」
「あんたは、分かってくれるのか。僕のこの気持ちを! 」
男は目を見開き、すがるように目線を送る。気が動転していたところに、まるで見透かしたかのように優しく声をかけられ、男の心は完全に無防備になっていた。
「勿論ですとも。ワタクシ、人生に悩み苦しんでいる方をお救いするために、日々行動しているのです。特に、魔導のせいで人生を狂わされた、あなたのような方をね。もう大丈夫ですよ…世間は冷たかったでしょう? ワタクシがあなたをお救いします。先ほどの生徒達の事も全て、お任せください。あなたの望みも、可能な限り叶えて差し上げます。絶望の淵にあった人生を、光り輝く道に向かわせる時が来たのです」
「あ、ありがとう…ありがとう…ございます」
男は地面に両膝を突く。強張っていた体から力が抜け、腕がだらんと垂れる。
「ワタクシの言うとおりにしてくだされば、あなたは自身の身を守る事ができます。いいですね? 」
「わかった…一体、どうすれば? 」
「ふふ…焦らないで。ゆっくり説明します。そのために必要な物も、ご用意いたしますよ」
「必要な物…あんた一体、何者なんだ? 」
「なぁに…ただのしがない行商人ですよ」
犯人目線で、少しサスペンスな内容に挑戦してみました。次回はまた主人公達の目線に戻ります。




