第2章:第4話『穏便に、いこう』
「どうして、会った事もない人の悪口を言うんでしょう」
寮の談話室にある四人掛けのダイニングテーブルの一つに陣取り、聡太、大治、美心の三人は話していた。それぞれ備え付けられた椅子に腰掛けている。SNSに投稿されたコメントについて相談したいと、美心から持ちかけられた為だった。
「顔を合わせた人の悪口を言うのは、百歩譲って理解はできます。相性とか、その人の譲れない物とか、色々ありますから。私はあの人嫌いで関わりたくない! という意思表示にもなります」
「まぁ、そうだな。是非は置いておいて、その行動原理は分からんでもないな」
相槌をうつ大治。美心がやや興奮気味のため、冷静に応じるように努める。
「じゃあ会った事もない、自分の身近にいるわけでもない人を悪く言うのはなぜですか? しかもみーこは別に何か炎上するような事は何もしてないんですけど! 一生懸命がんばってる人の足をただ引っ張るだけってのは、どういう了見ですか!? 」
「改めて考えてみると、意外と難しいね。その人の深層心理にも関わる問題な気がする」
一気に怒りが噴出した美心に対して、こちらも冷静に答える聡太。
「美心の悪口を言って、この人は何か得するんですか? お金でも貰えるってんですかっ」
「人は自分にメリットのある行動だけをとるとは限らないぞ。ましてSNSってのは目の前に相手がいない分、脊髄反射的に発信できるからな。顔をつけ合わして話をしてるなら恐くて言えない事があったり、逆に相手について深く知る事でわだかまりが解ける事もあったりするだろうけど」
「直接ぶん殴る勇気はないけど、見えない安全な所から石を投げて相手を傷つけるコンチクショウがいるってわけですね」
「物理的な攻撃とは少し都合が違うが、まぁそんな感じか」
「そんなに違いませんよ。現代では心の病に侵される人が爆増してます。日常生活に支障が出る程体調を崩すケースもあります。だからこそ、心への暴力も体への暴力ともっと同列に語られるべきなのです」
「心の病という物が世間に広く浸透してきたってのもあるんだろうけどな」
「その病に、他人をわざわざならせるような真似はいかがと思います。正当な批評や意見ならともかく」
「確かに、お前のSNSについたコメントも具体的な主義主張はほとんど感じられないわな。魔導士が嫌いなんだろうなって事くらいか」
「みーこちゃんの事をピンポイントで嫌いという可能性もあるよ」
「そ、それは想定してませんでした。何か人に嫌われるような事したかな…」
「人は色んな理由で他者のことを嫌いになるからな。その人にしか分からん事かもしれない」
「うーん…やっぱり直接話ができたら一番良いんでしょうねぇ」
「自分のアンチと顔合わせて正面からやり合おうってのは、なかなか大した度胸だな。でも向こうは絶対に進んで会おうとはしないだろ。それにそんなのキリがないぞ」
「それは…そうですけど」
「それに直接会ったら危ない事もあるかもしれないよ。みーこちゃんもこれからもっと人気が出たら、ファンだけじゃなくて、こういう人も増えてくる。上手くいなしていくのがいいんじゃないかな」
美心の身を案じ、穏便に収めようとする大治と聡太。一方の美心は歯切れが悪い様子だ。
「みーこは魔導士も自分の好きな事をやる権利があるんだって言いたくて。色んな芸能事務所に応募したけど、魔力があるってだけで門前払い。歌やダンスだって本気で練習して行ったのに、ほとんど見てもらえませんでした」
「美心……」
「私はカワイイが大好き。自分自身もかわいく在りたい。魔力があるからなんだ! そんなのカワイイには全然関係ない! だから、魔導士をやりながらアイドルをやる。やれるんだって見せてやりたい。それが水野美心の信念なのですから」
「うん…そうだったね。それじゃあ今回のコメントは、みーこちゃんの信念に真っ向から挑戦してるような物だね」
「だからそんなに気にしてたのか」
「イエス。これがもっと違う内容だったら、気にしなかったかもしれません。だけど、これはダメです。叶う事なら、この人にみーこの信念を知ってほしい。その上でもう一度問い掛けたいです。なぜアイドルを辞めてほしいのか。あなたの信念は何なのかって」
「うん、みーこちゃんらしいね。かっこいいよ。さすが鋼鉄のハートの持ち主」
「ハートの女王だな」
「せめてアリスがいいです。女王様は律華先輩一人で十分です」
「いいのかなーその発言は」
「し、失言でした…失敬」
以前、律華に対する失言を美心に咎められた大治。今回は自分のうかつな発言を大治に突かれ、見事な意趣返しとなった。
「とにかく、何かアクションを起こしたいとしたら、冷静に自分の主張を返信するくらいじゃないかな。揚げ足の取りやすい、頭に血の上ったコメントならともかく、理路整然と正論に沿った自分の主張を返せば、それ以上の誠意はないんじゃないかな」
「無視するって選択も、勿論あるからな。そっちの選択をする人の方が多そうだが」
「ありがとうございます。ちょっと考えてみますね」
そこは灯りのない部屋だった。まだ昼間だというのに窓のブラインドをおろし、カーテンを閉め切り、部屋の天井に備え付けられたシーリングライトは消灯している。唯一、机の上のパソコンの画面が点いており室内を照らすのはその画面の発光だけだった。
「なにが…魔導士だ。クソッッ! クソが。みんな消えろよ。消えろ消えろ消えろ消えろ」
暗がりで顔はよく見えないが、一人の男が椅子に座り、パソコンのキーボードを高速でカタカタと打ち込んでいる。パソコンはワープロソフトが開かれており、画面には真っ白い白紙のページに男が打ち込んだ文字が次々と出力されていった。それはめちゃくちゃな文字列で、文章の体裁は成していない。しね、きえろ、にくい、おれは、といった単語が無造作に表れるが、言語として認識できる物はそれだけだった。キーボードを打ち込む指にはどんどん力が入り、音が激しくなっていく。仕舞いには男は奇声を上げながら握り拳をキーボードに叩き付けた。
「ふーっ。ふーっ。ふーっ。許せない……くそっ…」
眼の瞳孔は開き、歯を強く噛み締め、怒りと憎しみをヘドロで煮詰めたような、どす黒い感情が全身から溢れ出す。荒々しく右腕を払うと、机の上にあったボールペンが勢いよく飛んでいき、床に落ちた。床は足の踏みどころもなく、コンビニ弁当の空容器や、少しだけ中身が残ったペットボトル、ぐしゃぐしゃに丸まったティッシュなどが大量に散乱している。男は息を荒げながら唸り声を上げる。
「魔導士なんて……いなくなればいいんだよ。いらないんだよ」
呪詛の言葉を吐きながら、男はパソコンに接続されたマウスを握った。握る手にギリギリと力を込めながら、操作する。開いていたワープロソフトが閉じ、インターネットブラウザが表示される。男が見ていたらしきインターネットのページが開き、魔導士に関するニュースや映像等を掲載したサイトが表示された。そこには容疑者を検挙するために走る魔導士の姿や、会見を行う魔導協会会長の神代の様子、学生魔導士が魔導の練習をする様子などが映されていた。それらを忌々しい眼で見つめる男。しばらく見ていると、整っていた呼吸が再び乱れ始めた。眉間に皺が入り、鬼の形相で画面を見つめる姿は、狂気すら感じさせる。やがて机から離れた男は、床に落ちていた袋をがさがさと漁る。暗がりでよく見えないが、中から出て来たのは、ナイフ程の大きさの刃物らしき物だった。それを握り締めた男は、笑いながら何も無い虚空を斬り裂き始める。
「ははは! えはははははっ! はっ! はははは!!」
しばらく振り回していると、不意にズボンのポケットの中から無機質な電子音が聞こえた。男のスマートフォンが発する通知音だ。スマートフォンを手に取り画面を点灯させると、一件の通知が表示された。それは、男がSNSに投稿したコメントに返信が来た知らせだった。一転して顔から一切の感情が消え失せた男は、スマートフォンを握りしめ、ただただその画面を見つめ続けた。




