第1章:第9話『莉央奈、学校へ行く』
「はぁ…大丈夫かねぇ」
「どうしたんだい、和子さん」
生徒達が登校して静かになった学生寮の食堂を掃除しながら、寮母の館野和子は独り言を漏らした。守衛の仙田玄治はたまたま通りかかり、声をかけた。
「今日から莉央奈ちゃんが学校に行ってるんだよ」
「成程。転入初日というのは緊張するだろうね。その上、彼女は記憶喪失だからね」
「そうなんだよ。あの子、明るくてすごく良い子だから、そういうところは心配ないんだけどね。でも色々と大変だろうからさ」
「きっと大丈夫だよ。学園の生徒さんは良い子が多いからね。同じ魔導士として仲間意識も強い。きっと馴染めるはずだよ」
「だといいんだけどねぇ」
「和子さんはいつも強気だけど、人の事になると心配性だよね。つまり優しいってことなんだけどさ」
「からかわないでよ、まったく」
「ははは。まあ、私達にできるのは信じて待つ事だけだよ。子供っていうのはね、大人が思ってる以上にしっかりしてるもんさ」
「確かにそうだね。黙って子供達を送り出すのも大切って事かね。さすが玄さんは良い事言うね」
「年寄りの利点だね。色んなものを見てきたからね」
「歴戦の魔導士が言うと、説得力が違うよ」
「歴戦だなんて。ただのしがない守衛だよ私は」
「玄さんの事は、みんなすごいって思ってるさ。だからこそ、魔導学園の守衛の仕事を任されてるんだから。ここはもしもの事も考えないといけないから、実力や信頼がないとできない仕事さ」
「おや、今日は随分褒めてくれるね。美人に持ち上げられると気分が良くなるよ」
「あら、お互い様じゃないか。美人なんてまぁ、よくわかってんじゃないの」
「和子さんとの付き合いも長いからね」
「そうだね、気付いたらもう何年経つか。あたしら、たくさんの生徒を見送ったね」
「卒業含め、皆色々な理由でここを去って行く。彼らが自分達の人生を作り上げていくにあたって、何かの助けになれていたら嬉しいよ、私は」
「なってるさ、きっと。玄さんは人望があるから。それもあんたの日頃の行いが良いからだよ」
「ありがとう。そこまで言われると、いやぁ、照れ臭くなっちゃうね。さて、大人達は仕事をしながら、生徒達の帰りを待つとしようか」
「そうさね。さぁ、掃除掃除っと」
「実莉央奈です。記憶は無いし、魔導もまだ全然使えないんですけど…よろしくお願いします! 」
「皆さん、そう言う事なので、仲良くしてくださいね。あと、彼女の事情は部外者には話さないこと」
「わかりましたー! 」
「実さんかわいい! こっち向いてー! 」
「男子、実さんが怖がるから変な声かけないでー! 」
東京魔導学園高等部魔導科二年、朝のホームルーム。莉央奈の挨拶と担任である生田凛子の声掛けの後、わいわいと賑やかになる。後方にある席で、律華は前の席の誠奈人に話しかけた。
「早速大人気ね。あの子、不思議と人に好かれるオーラが出ているから。愛嬌があるもの」
「そうだな、馴染めそうでよかった」
莉央奈は今日から学校に通うことになった。持っていたメモを信用するなら、ちょうど誠奈人達と同じ年齢で、加えて魔力を有している為、同じ魔導科クラスに転入となった。誠奈人と律華が引き続き護衛と監視ができるようにするための措置でもある。
「記憶喪失で協会に保護された、という事以外は秘密なのよね? 」
「ああ。俺たちと同じところまで知ってるのは凛子先生だけだったな」
「それでは実さん。あそこの、佐倉さんの隣に座ってくださいね」
律華から見て右、誠奈人から見て右後方の空席が莉央奈の席となった。
「えへへ。よろしくね、律華ちゃん」
莉央奈は席に座りながら、律華に改めて挨拶をする。なんだか照れ臭い様子だ。
「ええ。よろしくね莉央奈」
休み時間になると、莉央奈の周りにわらわらとクラスメイトが集まってきた。魔導学園で転入生は珍しく、皆興味津々だ。質問責めにされて目を白黒させながらも一つ一つ答えていく莉央奈。誠奈人と律華は、少し離れた窓際から、それを微笑ましく眺めていた。
「そういえば俺がいない間、何かあったか? 」
「変わったことは何も。そっちは何か収穫あった? 」
「日野と話してみたけど、特に何も無いな。あいつが脱走したのは気掛かりだが…俺との力の差は理解してるはずだ」
「そうね、でも油断はできないわ」
「あぁ。もしあいつがまた現れるとしたら、何か作戦を考えてくるだろう。真正面から来るとは思わん方がいいな。それに、別の刺客が来るかもしれない」
「しばらくは警戒が必要ね」
「協会の勢力範囲からなるべく離れないようにな。寮や学校、協会本部の近辺は比較的安全だろう」
程なくして授業開始を告げるチャイムが鳴る。莉央奈の周りに集まっていた生徒達は、一斉に退いていく。
「お疲れ、人気者」
誠奈人は席に座りながら、後方の莉央奈に茶化すように声をかける。
「なんだか恥ずかしいなあ。そんな大層な人間ではないですからわたし」
「自分がどんな人間かまだよく分かってないだろうに」
「た、たしかに。一本取られたね」
壇上に壮年の男性教師が立ち、数学の授業が始まる。
「ふー。授業ってなんだか緊張しちゃった」
授業が一つ終わり、休み時間に一息をつく莉央奈。
「実さん大丈夫だった? 途中からだけどわかった? 」
クラスメイトの女子が莉央奈を心配して声をかける。
「うん! 律華ちゃんが助けてくれたから。それに、私数学の事は結構覚えてるみたい! 」
「助けたと言っても前回何をやったかとかだけどね。この子凄いのよ。授業中にやった問題は全問正解」
「すごーい! 勉強の事は覚えてるんだね! よかったね! 」
「えへへ。記憶なくす前ちゃんと勉強してたみたい。えらいぞわたし」
誠奈人はそれを聞きながら考えた。ここまで莉央奈とそれなりの時間を共に過ごしたが、莉央奈は一般常識は特に欠ける事なく覚えている。学問についての知識も持ち合わせているようだ。しかし、魔導の事だけは何も知らない。しかし、魔力を生み出す体内器官である魔導核に、魔導を使用した者特有の痕跡である魔導刻印が刻まれている以上、記憶を失う前は魔導士だったはずだ。なぜ魔導の記憶は全て抜け落ちているのか。個人的な記憶や思い出の類も全く覚えていないが、それと関係があるのだろうか? 実莉央奈という人物は魔導と切っても切れない程の関係があったのかもしれない。ほとんどの思い出に魔導が関係しているほどに。
(憶測を深く掘り下げても仕方ないか…しかし、偶然魔導に関する記憶だけが無いと考えるよりも、そこに何か意味や理由があると考える方が自然だ。その『何か』までは現状わかるはずもないが…)
色々と考えを巡らせてみたが、判断材料が少ないため、結局憶測の域を出ない。今はここまでが限界だと判断し、誠奈人は下げていた視線を上に向ける。時計はもうすぐ次の授業が始まる時間を示していた。
昼休みになり、中庭ににやってきた誠奈人、莉央奈、律華の三人。空いていたベンチに腰掛ける。
「さて、今日は昼飯を用意してこなくていいと言われていたわけだが」
「ふっふっふ。わたしは二人に面倒見てもらってばかりです。だから二人のためになにかできないかなーって、考えました! 」
「あらあら。そんなに気にしなくてもいいのに」
「と、いうわけでじゃじゃん! わたしが作りました。お弁当です!」
勢いよく色違いの三つの弁当箱を取り出す莉央奈。青い箱を誠奈人、赤い箱を結奈に渡し、自分黄色い箱を取る。
「料理できたのか! ありがとう。助かる」
「まぁ、とっても嬉しい。ありがとね莉央奈」
「えへへ。まぁそれほどでも。早起きしてこっそり作ったんだよ。材料は、今回は和子さんに余り物をちょっとわけてもらいました。内緒だよって」
「そういえばこの前雑貨屋でこういうランチセットみたいなの見てたな」
「何を隠そう、あの時から計画は始まっていたのです」
莉央奈は二人の反応にご満悦の様子だ。得意気な顔で腰に両手を当てる。
「じゃあ早速、いただこうかしら」
「どうぞどうぞ。召し上がってー」
三人で一斉に弁当箱の蓋を開ける。中に入っていたのは卵焼きにソーセージ、ほうれん草のおひたし、アスパラのベーコン巻き。白米の上には海苔とゴマで猫の顔が描かれている。
「これは…思ってたよりもずっと立派だ。すごいぞ」
「ぐちゃぐちゃへたっぴなお弁当が出てくると思った? ふふ、初めてだし気合い入れて作ったよ」
「すごく上手よ。猫ちゃんもかわいいわね」
「可愛いでしょー? 一番のこだわりだよ」
「そこなのか。こだわり」
「まぁまぁ、召し上がれ? 」
「そうだな、いただきます」
「いただきます」
莉央奈がにこにこ笑顔で見つめる中、二人は渾身のお弁当を食べ始める。
「うん、うまい! ちょっと甘めの卵焼き、俺好みだな」
「ベーコン巻きも美味しいわ。上手く火を通すのが難しかったりするのよね」
「よかったぁ、喜んでもらえて」
「勉強も料理もできる。実莉央奈、なかなかハイスペックだな」
親指を立てながら莉央奈を褒める誠奈人。
「わたしって実はえらい子だったのかな? ちょっと、自信持てたよ! 」
「自己肯定感は大事よ。高めていきましょう」
「午後は魔導の実習あるからな。気合い入れてけ」
「よぉし! 魔導もがんばるぞぉ! 」




