第9話 カフェ構想と穀物コーヒーの試作開始
私は、修理から戻ってきた焙煎器をテーブルの上にそっと置いた。
「おお……ほんとに直ってるっすね」
「でしょう? これで、穀物コーヒー計画が本格始動ですわ」
ノエルが暖炉の前で腕まくりをする。
「でもさ、穀物コーヒーって何なんすか。豆じゃないのにコーヒー?」
「飲めば分かります。多分」
多分、は自分でも聞かなかったことにした。
「ノエル君、火の加減をお願いできます? 落としたら泣きますから」
「分かってるって」
焙煎器を火の上に据え、私は大麦とライ麦とひよこ豆をひとつかみずつ入れて蓋を閉じる。
くるくると持ち手を回すと、中で穀物がしゃらしゃら踊り始めた。
……と思ったのも束の間、鼻をつく焦げた匂いが立ちのぼる。
「ちょ、ちょっと待って、焦げくさいんですけど!」
「うわ、黒煙出てるっす! ストップ!」
慌てて火から外し、蓋を開けると、中身は見事なまでの真っ黒だった。
「……炭?」
「ひと粒くらいなら……」
ノエルが勇気を振り絞って口に入れた瞬間、顔をしかめる。
「苦っ! てか、これ本当に飲み物にするつもりっすか」
「うん、これは実験1回目の失敗ですね。でもデータは取れましたから」
「どんなデータだよ……」
ちょうどその時、台所の入り口からマリアが顔を出した。
「あの、良い香りがすると思ったら、少し焦げた匂いも……」
「マリア、ちょうどいいところに。第2回目、お願いします」
今度は火から少し離し、時間も短めに。私は慎重に焙煎器を回した。
色づき始めたところで止め、挽いてお湯を注ぐ。
「では、試飲をどうぞ」
「え、私からですか?」
マリアが恐る恐る一口飲む。すぐに困ったような笑みを浮かべた。
「その……お湯に、穀物の影が少しだけ映ったような……?」
「薄いってことっすね」
「はい。とても優しい……優しすぎて、生っぽいです」
私も飲んでみて、同じ感想にたどり着いた。
「うん、これはこれで失敗。けれど、1回目と2回目の間くらいが狙い目ってことですわね」
「前向きだなあ、お嬢……」
私はメモ帳を取り出し、焙煎時間と見た目、味の感想を書き込んでいく。
前世で嫌というほど回した「検証と改善」のサイクル。まさか辺境の台所で使うことになるとは思わなかった。
◇
「では、本番です」
私は、焙煎前の穀物にそっと手をかざした。
大麦 体を温める:+1
香ばしさ:中
ライ麦 腹持ち:中
集中力:小
ひよこ豆 栄養:中
リラックス:小
(ふむふむ。この辺りをいい感じに組み合わせれば、仕事終わりにほっとできる一杯、みたいなやつができるはず)
配合と焙煎時間を決め、ブレンドを焙煎器へ。
焦げないよう、でも弱すぎないよう、火加減を見ながらくるくると回す。
やがて、さっきとは違う、丸みのある香ばしさが台所いっぱいに広がった。
焙煎後の穀物にもう一度《生活鑑定》をかける。
ノルドハイム雑穀ブレンド(試作3)体温:+2
集中力:+1
リラックス:+1
(いい感じ。これなら、寒いこの街でもみんなの心とお腹を温められる)
挽いた粉にお湯を落とし、カップを3つ並べる。
「さあ、試作3号の試飲会を始めます」
マリアがそっと湯気を吸い込み、目を丸くした。
「香りが、優しいです……パンを焼いた時みたいで、でももっとふわっとしていて」
「いただきますっと……」
ノエルも一口飲んで、眉をひそめ……かけて、止まった。
「どうかしら?」
「なんか……目が覚めるのに、落ち着くんすよ。変な飲み物っすね、これ」
「それは褒め言葉として受け取っておきますわ」
私はこっそり二人に《生活鑑定》をかけた。
対象:マリア 体温:ゆっくり上昇中
不安:小→微
対象:ノエル 集中力:+1
リラックス:+1
(よし。コンセプト通り)
胸の奥が少しだけ誇らしくなった、その時だった。
◇
コンコン、と扉を叩く低い音。
「リリアナ、いるか」
聞き慣れてきた声に、私は思わず背筋を伸ばした。
「ディルク様?」
扉を開けると、厚いマントに雪を乗せたままの辺境伯様が立っていた。
「街の見回りの帰りだ。住み心地に問題はないか」
「はい、おかげさまで。ちょうど今、新しい飲み物の試作ができたところなんです。よろしければ、一杯いかがでしょう?」
私は一番出来の良かったカップを差し出した。
ディルク様は無表情のまま受け取り、口をつける。
ひと口、ふた口。
沈黙。
(え、無言。沈黙長い。もしかして口に合わなかった?)
胃のあたりがきゅっと縮んだ頃、彼がふっと視線を上げた。
「……悪くない」
「えっ」
間抜けな声が漏れる。
「それは、その……本当に悪くない、のでしょうか?」
自分でも何を聞いているのか分からない質問をしてしまったが、ディルク様はほんの少しだけ口元を緩めた。
「体が温まる。香りもきつくない。兵の夜番の後に出せば、喜ぶだろう」
(今のって、つまり、最高級の褒め言葉ってことでいいよね!?)
胸の中でこっそりガッツポーズを決める。
「ありがとうございます。もっと磨いて、この街の定番の一杯にしてみせますわ」
「……期待している」
短くそう告げて、彼は静かにカップを空にした。
(追放された悪役令嬢の新しい人生は、辺境伯様の「悪くない」から始まる)
穀物コーヒーの香りが、暖炉の火と一緒に、静かに部屋を満たしていった。
第9話までお付き合いいただきありがとうございます。
今回は、リリアナのカフェ計画のはじまりとして、穀物コーヒーこと「ノルドハイムブレンド」の試作回でした。
最初は真っ黒こげになったり、お湯に影が映っただけだったりと、けっこうひどいスタートでしたが、少しずつ「仕事終わりにほっとできる一杯」に近づいていく過程を書いていて、とても楽しかったです。
そして何より、無愛想辺境伯のディルク様からの一言「悪くない」。
彼にとっては、かなりの高評価だったりします。
リリアナの胸がぽかぽかしたように、読んでくださった方にも少しでもあたたかさが伝わっていたらうれしいです。
この先も、カフェ準備やノルドハイムの人々との交流、そしてじわじわ距離が縮まっていく二人を書いていきますので、続きが気になるな、応援してもいいかなと思っていただけましたら、ぜひ
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ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
次回もお付き合いいただけたらうれしいです。




