第7話 辺境の市場と小麦高すぎ問題
翌朝。私は台所のテーブルに、簡単な帳簿とペンを広げていた。
(カフェと言えばパンケーキ。ふわふわで、湯気が立って、バターとはちみつ……)
前世で通っていたカフェのモーニングが頭に浮かんで、思わず口元がゆるむ。
「リリアナ様、にこにこしてどうされたんですか?」
お茶を運んできたマリアが、不思議そうに首をかしげた。
「いえ、少し。将来のお店の看板メニューについて考えていただけですわ。パンケーキを出したくて」
「パンケーキ……ですか?」
マリアは聞き慣れない単語に、きょとんと目を瞬かせる。
「小麦の生地を焼いて、ふわっとした甘いお菓子ですの。問題は、その小麦なのですけれど……」
私は帳簿の端に「小麦粉 仕入れ値要確認」と書き込む。
「マリア。この辺りだと、小麦ってよく食べます?」
「えっと……お恥ずかしいのですが、あまり。お祭りか、裕福なお家のごちそう、という感じで……普段は雑穀のおかゆばかりです」
(やっぱり、そんな気はしていたのよね)
「なら、実際の値段を見ておきたいですわ。ノエル君を呼んでもらえます?」
こうして、私は再び市場へ向かうことになった。
◇
「……で、また市場なんすか」
玄関先で待っていたノエルが、分かりやすくため息をつく。
「昨日あれだけ買い込んだのに、もう足りねえとか?」
「今日は調査メインですの。特に、穀物の」
「穀物……?」
ぶつぶつ文句を言いながらも、ノエルはちゃんと先頭を歩いてくれる。家から路地を抜ければ、すぐ雪の積もった中央広場だ。
干し肉や毛皮、色とりどりの根菜が並ぶ中で、ノエルが一つの屋台を指さした。
「穀物なら、この親父んとこが一番マシっす」
麻袋が山のように積まれた屋台。ひげ面の店主が、私たちに気づいて笑顔を向ける。
「いらっしゃい。おや、きれいなお嬢さんだねえ」
「小麦粉を探しているのですけれど、こちらにありますか?」
「小麦なら……これだな」
店主が一番奥の小さめの袋をぽん、と叩く。中には見慣れた淡い色の粉。
「この袋で、銀貨1枚」
「…………え?」
思わず、素っ頓狂な声が漏れた。
「銀貨1枚、だよ。値札にも書いてあるだろ?」
小袋サイズの小麦粉。その下には、しっかりと数字が並んでいる。
(高っっっ!?)
脳内の電卓が、盛大にエラー音を鳴らした気がした。根菜ひと袋が銅貨数枚の世界で、これはほぼ高級ワイン扱いだ。
「この辺りじゃ、小麦は南から運ばれてくるんだ。雪と山道のおかげで、この通りさ。貴族様向けってやつだな」
店主が肩をすくめる。
「そもそも普段から、小麦なんて食わねえしな」
隣でノエルがあっさり言い切った。
「じゃあ、皆さんは何を?」
「雑穀の粥とか、固い黒パンとか。腹がふくれりゃ何でも一緒っす」
一緒じゃない。私の脳内で、ふわふわパンケーキの幻がパリンと割れていく。
(辺境スローライフの朝は、雪のように白いパンケーキのはずだったのに……!)
思わず膝から崩れ落ちそうになるのを、令嬢としてのプライドで必死にこらえる。
(落ち着け私。高い原料がダメなら、代わりを探せ。それが社畜時代に学んだコスト意識)
「店主さん。こちらの袋たちは?」
私は、小麦ではない別の麻袋を指さした。粒の色が白、茶、こげ茶とさまざまだ。
「これかい? 大麦にライ麦、それからこっちはひよこ豆だな。値段は小麦の半分以下だ」
「少し、見せていただいても?」
私はそっと手を伸ばし、掌に数粒ずつ取る。そして、心の中でそっと唱えた。
《生活鑑定》
「大麦」
・身体状態への影響
腹持ち +2
体温 +1
・味の傾向
香ばしさ+2
(ほう、冬向きの優等生)
次はライ麦。
《生活鑑定》
「ライ麦」
・身体状態への影響
腹持ち +2
・味の傾向
コク +2
(こっちはコク担当……)
最後に、ひよこ豆。
《生活鑑定》
「ひよこ豆」
・身体状態への影響
体力 +1
・味の傾向
甘み +1
(香ばし担当とコク担当と、ほんのり甘み担当……)
並んだ鑑定結果に、胸の奥でカチリと音がする。
「なに、一人でにやにやしてるんすか」
ノエルが怪訝そうに眉をひそめた。
「いえ、ちょっと。夢が砕けたかと思ったら、新しい夢が見えてきただけですわ」
「余計分かんねえ」
私は笑って、店主に向き直る。
「大麦とライ麦と、ひよこ豆を少しずつ、量っていただけます?」
「へいよ。物好きなお嬢さんだねえ」
さらさらと穀物が袋に流れ込む音を聞きながら、私はそっと拳を握った。
(小麦が贅沢品なら、贅沢品として特別な日に出せばいい)
(でも毎日飲めるあったかい一杯は、この子たちで作ればいい)
◇
家に戻ると、私はさっそく暖炉の前に座り込み、さきほどの袋をずらりと並べた。
「まあ……こんなにいろいろな穀物が」
「何に使うんすか、それ」
マリアとノエルが同時に首をかしげる。
「寒い日に、体の芯から温まる一杯。小麦じゃなく、この辺境の雑穀で作る飲み物を考えてみようと思いまして」
私は暖炉の火を見つめながら、小さく笑った。
「王都の真似をするんじゃなくて、この街の人たちに合う、あったかい一杯を」
「飲み物の店、なんですよね」
「ええ。だったらまず、ここから、ですわ」
ぱちぱちと薪がはぜる音が、静かな部屋に広がる。
(パンケーキ計画は一旦保留。でも代わりに、辺境オリジナルの一杯を)
私はメモ用紙を広げ、大きな文字で書き込んだ。
「小麦がダメなら、雑穀で勝負」
その下に、もう一行。
「穀物コーヒー試作計画 近日開始」
未来の不安より、楽しみのほうが少しだけ大きくなった気がして、私はそっとペンを置いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第7話は、まさかの「小麦高すぎ問題」回でした。
ふわふわパンケーキで優雅モーニング……のはずが、現実は銀貨1枚の超高級品。
リリアナの脳内パンケーキがパリンと砕けるところまで、一緒にがっかりしてもらえていたら嬉しいです。
でもそこで終わらず、「じゃあ雑穀で勝負しよう」と方向転換するのが、転生社畜令嬢らしいところ。
大麦、ライ麦、ひよこ豆で作る穀物コーヒー計画が、ここからじわじわ動き出します。
辺境ならではの「毎日飲める一杯」を、一緒に見守ってもらえたら幸いです。
少しでも
・続きが気になる
・リリアナを応援したい
・パンケーキ食べたくなった
……などと思っていただけましたら、【ブックマーク】と【評価】をぽちっとしていただけると、とても励みになります。
感想欄も、短い一言でも大歓迎です。
「ノエルのツッコミ好き」「マリアかわいい」などキャラへのひと押しも、今後の登場シーンを増やす燃料になります。
これから、焙煎チャレンジや試作品の味見会、そして無愛想なあの辺境伯様との距離も、少しずつ変わっていきますので、のんびりお付き合いいただけると嬉しいです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。




