第49話 数年後の王都と辺境、それぞれのその後
完結まで後1話
店は今日も満席だった。
「ノエル、カウンターの三番と窓際の二番、穀物コーヒー追加で三つお願いします」
「了解。ノルドハイムブレンド二つと、旅人用ブレンド一つな」
「正解ですわ。さすが一人前の焙煎士さんですね」
ひと昔前なら「誰が焙煎士だよ」と耳まで赤くしていた少年は、今では堂々たるカウンターの顔だ。
焙煎場からは、深く炒った穀物と新しいスパイスの香り。ノエルの後ろには、弟子たちが慣れた手つきで豆を挽き、湯を落としている。
「そこの子たち、手は止めずに口だけ動かしなさい。ミルはリズムが命ですよ」
フロアを見回っていたマリアが、きびきびと声を飛ばした。
白いエプロンの腰にはメモ帳、腕には小さな砂時計。完全に店長仕様である。
(うんうん。立派になりましたね、うちの副店長兼店長)
私がスープ鍋をかき混ぜながら目を細めていると、暖炉の前を小さな影が走り抜けた。
「きゃっ」「転ぶな、火のそばはゆっくりだ」
「はーい!」
ミアと、うちの子どもたちだ。
いつの間にかミアは私の肩くらいの背丈になり、下の子たちの手を引いて店の中を駆け回っている。前はお客様席の椅子によじ登るのも大仕事だったのに、今ではトレイを抱えて片付けまで手伝ってくれる。
「ミア、暖炉前の席、そろそろデザートね。ハニーオートクッキーをお子さま用に小さくして」
「はーい、リリアナさん!」
返事の声は明るくて、よく通る。
その様子を、カウンターに座ったエルザおばさんが目を細めて見ていた。
「ほんと、ここは子どもが増えたねえ」
「ありがたいことですわ。おばあちゃん予備軍としては、にやにやが止まりません」
「お嬢さん、まだ自分の子の心配しな」
笑いながら小声でそんなことを言われて、私は思わず視線を客席の奥へ滑らせた。
いつもの特等席には、仕事の合間に抜けてきたらしいディルク様。
膝には、上の子がちょこんと座っている。絵本代わりの帳簿を広げて、「これはお城の台所の数字でな」とかなんとか説明しているあたり、将来有望なのかちょっと心配なのか、判断に迷うところだ。
《生活鑑定》
対象:のんびりカフェ店内(昼どき)
暖かさ:高め
満腹度:上昇中
安心感:かなり高め
騒がしさ:ちょっと高め
(騒がしさは毎年伸びてますけどね)
苦笑しながら鑑定表示を閉じる。
でも、この賑やかさを見ていると、胸の奥のどこかがいつもじんわり温かい。
◇
「本日の昼営業、お疲れさまでした」
最後のお客さまを見送って扉の鈴が鳴き止むと、店の中にようやく一息ついた空気が広がった。
マリアがテーブルを整え、弟子たちが皿を片付け、ノエルが焙煎場の火を落とす。
「いやあ、今日もいい匂いだったな。隣町の二号店よりも、やっぱり本店の空気は落ち着く」
カウンターに腰を落ち着けた行商人ラウルさんが、空になったカップを揺らした。
「二号店も、ノエルくんがしっかり育ててくれていると聞いていますよ」
「おう。あっちはあっちで若いのが張り切ってる。『カフェ聖女直伝の店』って触れ込みで、旅人にも兵士にも大人気だ」
「その呼び名は、そろそろ卒業したいんですけど」
「今さら無理だろ。あちこちの国で『よく効くカフェ』の噂が歩き回ってるんだ。俺も手伝ってるし」
胸を張られても困るのだが、ラウルさんが運んでくれる穀物や新しい豆のおかげで、ここまで店を増やせたのも事実だ。
「三号店の方はどうだ」
いつの間にか片付けを終えたディルク様が、グラスの水を一口飲んで尋ねた。
「鉱山の町の夜カフェも、順調です。遅番帰りの人たちが、温かいスープとパンを目当てに寄ってくれて」
「《生活鑑定》の数値も、概ね良好ですわ。疲労軽減・安心感アップ・眠りの質アップ」
帳簿を軽く叩きながら、私はメモに目を走らせる。
「私がいなくても回る店が増えていくのは、少し寂しくて、でも誇らしいですね」
「そういう顔をするな。お前の店が増えれば増えるほど、この辺境は守りやすくなる」
ディルク様は、いつも通りぶっきらぼうにそう言って、私の頭にそっと手を置いた。
「それに……」
《生活鑑定》
対象:ディルク・ノルドハイム
疲労:中
安心:高め
家族への甘さ:測定不能
(はいはい、測定不能ですね)
昔よりも、数値に「甘さ」系の項目が増えた気がするのは、きっと気のせいではない。
◇
午後の仕込みに戻ろうとしたところで、扉の鈴が控えめに鳴った。
「いらっしゃいませ……って、お父様?」
立っていたのは、少し白髪の増えたグランツ公爵だった。
以前より頬がこけた気もするけれど、目の奥の柔らかさは変わっていない。
「邪魔をする。……ふむ、相変わらず賑やかな店だな」
「おかげさまで。本日は、公爵様用特別メニューをご用意できますよ」
「普通のメニューでいい」
そう言いながらも、用意した雨宿りポタージュと窓辺トーストのセットを前にすると、少しだけ口元が緩む。
《生活鑑定》
対象:雨宿りポタージュと窓辺トースト
体温:+2
緊張:−1
安心感:+2
(昔、婚約祝いの日にも作ったメニューですね)
ほのかなハーブの香りと、外はかりっと中ふんわりのパン。
お父様は一口スープを味わい、ゆっくりと息を吐いた。
「……王都でも、この味が随分と評判だ」
「王都で?」
思わず身を乗り出すと、お父様は頷いた。
「今の王都には、市民食堂がいくつもできた。兵士食堂も改修され、孤児院には温かいスープとパンが毎日届く」
「アルバート殿下が、いえ、今は陛下ですね。ちゃんと続けておられるんですね」
前に送ったマニュアルのコピーが、紙束になって帰ってきた日のことを思い出す。
「陛下は忙しく走り回っているよ。食堂の視察にもよく顔を出しているそうだ」
「クラリス様は、いかがお過ごしで?」
問いかけると、お父様は少し目を細めた。
「聖女殿は、市民食堂や孤児院を回っているそうだ。自ら配膳を手伝い、子どもたちに本を読んで聞かせることもあると聞く」
「……そうですか」
目を閉じると、見たことのない光景が頭の中に浮かぶ。
灰色の王都の冬に、湯気と笑い声が立ち上る食堂。列に並ぶ子どもたちの前で、白い聖衣の女の子が、スープをよそいながら笑っている。
「お前の書いた『福祉と食堂の改善案』は、もはや王都の公式文書の一部だ。娘の書いたレシピが、国の政策に影響していると知ると……父親としては、少し誇らしいな」
照れ隠しのように、最後だけ小声になる。
その姿に、胸がじんわりした。
「ありがとうございます。……でも、あの人たちが自分で選んで、動き始めたからこその結果ですわ。私は、きっかけの一部をお裾分けしただけです」
前世で山のように書いた報告書が、こんな形で誰かの温かさにつながっているなんて、あの頃の私が知ったらどう思うだろう。
◇
「そういえば、これを預かってきた」
お父様は、懐から小さな封筒を取り出した。
整った文字で、私の名前が書かれている。その筆跡には見覚えがあった。
「クラリス様から、ですか」
「うむ。公の便に紛れ込ませるのは憚られたらしく、私に託された」
胸の奥が、少しだけ緊張で固くなる。
でも、逃げ出したいほどではない。あの日と今とでは、もう立っている場所が違うから。
「少し、読んできますね」
私はマリアにフロアを任せ、カウンター奥の小さな休憩スペースに腰を下ろした。
封を切ると、柔らかなインクの香りとともに、丁寧な文字が目に飛び込んでくる。
『リリアナ様』
その一行だけで、手紙の主がどんな顔でペンを握っているか想像できた。
『あの日、辺境でお別れしてから、もう何年も経ったのですね。
王都では、あなたからいただいたレシピと仕組みをもとに、市民食堂や子ども食堂が少しずつ増えています。
わたくしは聖女として祈りを捧げるだけでなく、鍋をかき混ぜ、パンを配り、子どもたちと一緒にごはんを食べる日々を送っています』
行間から、あの子の少し真面目で不器用な笑顔がのぞく。
『あの頃のわたくしは、ただ愛されたいと願うだけの、弱い女の子でした。
でも今は、あなたの背中を追いかけるように、「食で誰かを救う」ということを、王都で続けていきたいと思っています』
そっと息を吸い込む。
胸のどこかに残っていた棘のようなものが、少しだけ形を変えていく感覚がした。
『いつか、責任や贖罪ではなく、ただのわたくしとして。
そして、あなたの元婚約者の恋敵ではなく、ひとりの女の子として』
そこまで読んで、思わず苦笑が漏れた。
『いつか普通のお客として、そちらのカフェに行ける日を夢見ています。
その日が来たなら、どうか一杯のスープと、あなたのおすすめのパンを出していただけたら嬉しいです』
手紙は、丁寧な結びの言葉で終わっていた。
「普通のお客として、か」
私はそっと便箋を畳み、胸の前で抱きしめる。
《生活鑑定》
対象:リリアナ・ノルドハイム
心のざわつき:小
過去へのわだかまり:小→とても小
未来への期待:中→高め
(……うん。悪くない変化ですね)
顔を上げると、カウンター越しにマリアと目が合った。
彼女は何も聞いていないはずなのに、全部分かっているみたいな顔で、静かに微笑む。
「リリアナ様、よろしければお飲み物をお持ちしますが」
「穀物コーヒーをお願いします。それと……雨宿りポタージュを一杯」
自分で言って、くすりと笑う。
「クラリス様が本当にここへ来られたら、その時は雨宿りポタージュでも出そうかな、と思いまして」
「きっと、よく似合いますね」
マリアの言葉に、胸の奥の何かが、静かにほどけていく。
王都には王都の、雪の街には雪の街の、それぞれの役目とあたたかさがある。
過去の物語はもう閉じて、新しい日常が、それぞれの場所で続いていくのだ。
私は窓の外を見上げた。
今日の空は少し曇っているけれど、その向こうには、きっと星が待っている。
「さて。もうひと仕事、がんばりますか」
鍋の蓋を開けると、雨宿りポタージュの湯気がふわりと立ちのぼる。
その香りは、数年前と変わらないのに、胸に広がる温かさは、以前よりずっと穏やかで、やわらかかった。
第5章第49話までお付き合いありがとうございます!
辺境カフェも王都の食堂も、それぞれの「その後」を書けて、作者としてしみじみしております。
リリアナとクラリスの距離が、少しだけ縮まった未来を感じていただけたなら嬉しいです。
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