第47話 雪崩事故と、失いたくない人
完結まで後3話
その朝、窓の外は一面の白だった。夜通しの雪で屋根も通りも埋まり、扉の隙間から刺す冷気が頬を刺す。
「……ひどい積雪ですね」
カウンター越しに外を眺めると、マリアが「領主館から外出自粛と峠道封鎖の通達が」と告げた。
(この前の報告書にあった雪崩危険区域、たしかあの辺りよね)
ディルク様と一緒に見た地図の赤い印が、頭に浮かぶ。
「スープを多めに仕込みましょう。怪我人や足止めされた人が来るかもしれません」
「かしこまりました」
大鍋に火を入れ、根菜と干し肉を放り込み、ミルクで伸ばした穀物ポタージュをいつもの倍量用意する。せめて、この店の中くらいは温かく。
ちょうど味見をしたところで、扉のベルが荒々しく鳴った。
「リリアナ! 領主館から急ぎの伝令!」
雪まみれのノエルの背後から、鎧姿の兵士が飛び込んでくる。
「辺境伯様はここに!」
「すぐ呼びます!」
暖炉脇で書類を読んでいたディルク様が立ち上がり、兵士の言葉に目を細めた。
「雪崩、だと」
「はい。峠道の中腹で行商人の隊が巻き込まれ、荷馬車が数台、雪に飲まれて……」
店内の空気が一瞬で冷える。
「負傷者は?」
「すでに何名かが運び込まれていますが、まだ埋まっている者も」
「分かった。すぐ向かう」
コートをつかむ彼の背中が、やけに遠く感じられた。
「リリアナ、ここを救護所に使わせてもらう。湯とスープ、毛布をありったけ用意してくれ。礼拝所と治療所にも連絡を」
「もちろんです」
(行くんだ、この雪の中に)
覚悟はしていた。けれど妻になってから、彼の背中が前よりずっと怖い。
「必ず、戻ってきてくださいね」
気づけば、声が震えていた。
ディルク様はわずかに目を細める。
「お前のスープを飲み損ねるわけにはいかん」
それが、彼なりの「大丈夫だ」の代わりだと分かっている。それでも不安は消えない。
「帰ってきたら、特別あったまる一杯をご用意しますから」
「……期待しておく」
彼は兵士たちと白い世界の中へ消えていった。
(全員、帰ってきて)
◇
そこから数時間、カフェは戦場だった。
北門から担架が途切れなく運び込まれ、テーブルは簡易ベッドに変わる。雪に埋もれて凍えた行商人、荷馬車から投げ出されて骨折した御者。床には溶けた雪と血がにじみ、湯気と祈りの声が交じり合う。
「弟子たちは靴と濡れた服を脱がせて、乾いた布で体を拭いて。マリアは毛布を」
「はい!」
「ノエルは北門との連絡役。到着順に状態を叫んで!」
「了解!」
《生活鑑定》
手首に触れると、淡い文字が浮かぶ。
体力:4/10 低体温:中
「この方は体を温めてから足を固定しましょう。神官様、浄化より先に温かい飲み物を!」
「わ、分かりました!」
別の担架。浅い呼吸、青ざめた唇。
《生活鑑定》
体力:2/10 意識レベル:低
「この方を暖炉の一番近くに。毛布は二重、礼拝所には『重症者』と伝えて!」
前世のブラック企業で叩き込まれた危機管理マニュアルが、まさか異世界のカフェで役に立つなんて。でも今は、その経験にしがみつくしかない。
(優先順位、呼吸・出血・体温。できることから)
「スープの次の鍋、もう火にかけました」
「助かります。味が薄くなったら干し肉を足してください」
無心で動き続けるうち、昼を過ぎていた。
◇
午後、扉のベルがまた乱暴に鳴る。
「報告! 第二隊と合流予定だった辺境伯様の隊と、現在連絡が取れていません!」
その一言で、喧噪が凍りついた。
「……今の言葉、どういう意味でしょうか」
「雪崩の規模が想定以上で、迂回路も塞がれています。斜面が不安定で、これ以上近づくなとグンター殿が。一旦、隊を戻して態勢を立て直しているところで」
兵士のコートには、凍りかけた血がこびりついている。
《生活鑑定》
疲労:大 不安:大
(そんな顔、させないで)
「つまり、まだはっきりしたことは何も分かっていないのですね」
「は、はい。しかし──」
「今は、戻ってきた人を一人でも多く助けましょう。あなたも怪我を治療してから前線へ」
「ですが!」
「あなたが倒れたら、また誰かが運ばなければなりません」
静かに、しかし退路を塞ぐように言うと、兵士は唇を噛んでうなずいた。
兵士が去ったあと、マリアがそっと水を差し出す。
「……リリアナ様」
「大丈夫。泣くのは後です」
冷たい水が喉を通り、張りつめていた心がわずかに落ち着く。
◇
夕方、吹雪がようやく弱まった。
救護室と化したカフェでは、毛布にくるまれた人々が眠り、弟子たちは交代で仮眠を取り、ノエルは北門との連絡と配膳で走り回っている。
「リリアナさん、外の風、だいぶましになってきた」
「そう……ですか」
窓の外には、静かに落ちる雪。頭の中に峠道の地図が浮かぶ。赤い印の「雪崩危険区域」。荷馬車がよく通るカーブ。
(あそこに、ディルク様がいるかもしれない)
「……マリア」
「行かれるおつもりですね」
「はい。雪が弱まるこのタイミングしかありません。《生活鑑定》で、生きている人を探せるかもしれない」
「ですが、危険です。あなたまで何かあれば、旦那様が……」
「ここには、私以外にも動ける人がたくさんいます。弟子たちも、エルザさんたちも。私がいなくてもスープは回ります」
「……分かりました。ただし、お一人では行かせません。元兵士のロアンとノエル、それとグンターさんを」
「俺も行くのかよ」
「行きたくないなら店長代理を」
「行きます」
「エルザさんたちは、ここをお願いします」
「任せときな、カフェ聖女ちゃん。あんたの帰る場所は温めとくよ」
「……ありがとうございます」
◇
夜の山道は、底の見えない暗さだった。雪に覆われた森は光を飲み込み、ランプの灯りだけが細い道を切り取る。
「足元、気を付けろ。ここから先が崩落地帯だ」
先頭のグンターさんの声に、私はうなずき、雪の上に膝をついた。
《生活鑑定》
冷たい地面に手を当て、意識を広げる。淡い光の粒が視界いっぱいに散らばった。
(範囲指定……この一帯、全部)
そのうちいくつかは、もう色を持たない。
(ごめんなさい)
心の中で謝りながら、さらに奥を探る。
微かに揺れる、小さな光。
生命反応:極めて微弱 体温:低 位置:北西、十数歩先
「見つけました。北西の倒木の向こう、少し深いところ。まだ生きてます!」
「よし、掘るぞ!」
ロアンとノエルがシャベルを握り、私も雪をかき分ける。指先の感覚なんて、とっくにない。
やがてノエルの手が硬いものにぶつかった。
「鎧だ!」
雪を払うと、黒い布と銀の紋章が現れる。
(ディルク様……!)
「顔の周りからだ、胸を圧迫するな!」
グンターさんの指示で慎重に雪をどけると、かすかな吐息が漏れた。
《生活鑑定》
体力:1/10 低体温:大 骨折:複数
(間に合った)
膝が崩れそうになるのをこらえ、頬に触れる。信じられないほど冷たい。
「……どうして、いつも自分から危ない方へ行くんですか」
担架が運ばれてきた瞬間、胸の中で何かが切れた。
「お願いだから」
気づけば、私は彼の胸にしがみついていた。
「お願いだから、私を置いていかないで……! カフェも、この街も、全部あなたと一緒に守りたくてここまで来たんです。勝手に先にいなくなったら、何の意味もないじゃないですか……!」
雪の冷たさも、周りの視線もどうでもいい。
「のんびり暮らすって約束したのに。一緒に未来の話、まだ全然できてないのに……っ」
「……リリアナ……?」
かすかな声が、胸元からこぼれた。
「ディルク様!」
灰色の瞳がうっすらと開き、焦点の合わないまま私を探す。
「……泣くな」
かすれた声が震える唇から漏れる。
「……置いていかん。約束……しただろう」
短い言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
「はい。約束ですから。勝手に破ったら、本気で怒りますからね」
「……こわいな」
口元がわずかに緩む。
「今は喋らないで。息をしているだけで十分です」
そう告げると、彼は安心したようにまぶたを閉じ、力なく私の指を握り返した。
「体温が少し戻ってきています。今のうちに山を下りましょう」
「ノエル、道は?」
「さっきの道を戻ればなんとか。ロアンもグンターさんも、まだ行ける」
「揺れを最小限に。お願いします」
皆がうなずき、担架を持ち上げる。その横で、私は彼の手を握ったまま歩く。
遠くに、ノルドハイムの灯りが見えた。
(あの光の中で、また一緒に穀物コーヒーを飲む。その当たり前の未来を取り戻すために)
「ディルク様。戻ったらまず、きっちり叱りますから」
小さく告げると、担架の上で彼の指がぴくりと動いた。
「……覚悟……しておこう」
その弱々しい冗談に、張りつめていた空気がふっと緩む。
白い息と安堵の笑い声に包まれながら、私たちはゆっくりと山を下り始めた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
雪崩事故をきっかけに、ようやく本音をこぼしたリリアナとディルク。
命がけで交わした「約束」が、これからの二人の日常をどう変えていくのか、ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。
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