第46話 バフ料理の悪用と、小さな事件
完結まで後4話
昼の喧噪がやっと引いて、カウンターで穀物コーヒーを一口。
「ふいー……今日も満席でしたね」
言ったところで、扉のベルがちりんと鳴る。顔を上げると、ノエルが真剣な目つきで立っていた。
「リリアナ、ちょっと話がある。裏でいい?」
「……分かりました。マリア、少しだけお願いします」
「はい、お任せを」
◇
「裏路地で、変な賭け試合が流行ってるんだ」
厨房の奥の小さな机。ノエルは帽子を握りしめたまま言った。
「前から力比べはあったけど、最近は『カフェ聖女のバフ料理を食べたら無敵』って噂がひとり歩きしてる」
「無敵なんて、ありえませんけど」
「だよな。俺も笑い飛ばそうとしたんだけどさ」
ノエルは、くしゃくしゃになった紙を取り出した。
「これ、見てくれ」
広げられた紙には、見覚えのある言葉が並んでいた。
『集中力アップ』『筋力アップ』『疲労軽減』
うちの黒板メニューに書いている、《生活鑑定》の簡易表示にそっくりだ。ただ、隣に書いてある料理名は見知らぬものばかりだった。
「『闘士の特濃シチュー』『限界突破シチュー』……」
名前からして危険な香りしかしない。
「しかもさ、容器がうちの持ち帰り用のやつだった。『カフェ聖女公認』だって自慢された」
「公認した覚えは一度もありませんけど」
紙に指を触れ、《生活鑑定》を発動させる。浮かび上がったのは、高カロリーと塩分過多、興奮の数字。そして、その下に赤い警告のような表示。
疲労:大。怪我リスク:大。
胃のあたりが冷たくなる。
「最近、治療所で怪我人が増えてるって聞いた。試合の帰りに運び込まれてる。リリアナの料理の名前も出た」
「ノエルくんは、もうその人たちに会いました?」
「膝を引きずってる兄ちゃんがいた。『でもバフ料理があるから平気』って、笑ってた」
スキルでほんの少し背中を押すくらいならいい。けれど、「これさえあれば無理が利く」と思った瞬間、それは毒になる。
「……教えてくれて、ありがとうございます」
私は紙を畳んで握りしめた。
「ごめん。もっと早く止められたはずなのに」
「謝るのは、全部片付いてからにしましょう。ノエルくんは、ちゃんと知らせに来てくれましたから」
◇
フロアに戻ってからも、胸のざわつきは消えなかった。
カウンターには、今日も常連の兵士たち。冷え切った手をカップで温めながら、くだらない冗談で笑っている。その姿を見るのは大好きだ。けれど今は、ふとよぎる。
(あの偽物のメニューに釣られて、無茶をした人たちも、最初はこうやって笑っていたのかもしれない)
「リリアナ」
はっとして顔を上げると、ディルクがカウンターの端に立っていた。いつの間にか奥の席から移動してきていたらしい。
「ぼんやりしている。具合は」
「いえ。少し、困った話があって」
私はノエルから預かった紙を差し出した。ディルクは目を通し、露骨に眉をひそめる。
「勝手にお前の名と《生活鑑定》を使っているのか」
「はい。うちの料理をまとめ買いして、こんな名前をつけて賭け試合の前に食べさせているようです」
「怪我人が増えているという報告は、さっきも受け取った」
ディルクは低く息を吐いた。
「お前の料理が悪いわけではない。だが、このまま黙っていれば、被害も評判も広がる」
「だからこそ、はっきり線を引きたいんです」
私はカウンターの中で、拳を軽く握った。
「ディルク様、お願いがあります。関係者を、この店に集めてもらえますか。私から直接、伝えたいことがあります」
「……分かった」
短く返事をした彼の目は、静かに怒っていた。
◇
夕方、小さなカフェは、いつもと違う緊張に包まれていた。
常連たちには事情を話し、壁際や暖炉のそばに席を移ってもらう。代わりに、奥のテーブルには粗末なコートの男たちが固まって座っていた。賭け試合を仕切っていた連中だと聞く。
その前に、腕を組んで立つディルクと、控える兵士たち。
「……領主様、悪かった」
中年の男が代表して頭を下げた。
「ちょっと景気づけのつもりだったんだ。カフェ聖女のご飯は力が出るって話でよ。負け続きだった奴らが勝てるようにって……」
「結果として、怪我人が増えた」
ディルクの一言に、男たちが肩をすくめる。
「す、すみませんでした」
私は一歩前に出た。エプロン越しに胸の鼓動が速くなる。
「少し、私からも話させてください」
ざわめきかけた空気を、マリアが配る穀物コーヒーの香りがそっと落ち着かせる。
「まず、うちの料理を選んでくださったこと自体は、嬉しく思っています」
代表の男たちが、意外そうに顔を上げた。
「寒い中で働いて、疲れた体を少しでも温めたい。そのためにここを選んでくださるのは、とてもありがたいです。でも──」
そこで、言葉を区切る。
「私の料理は、人を無茶させるための薬ではありません」
じん、と空気が張り詰める。
「《生活鑑定》で、その日の体調を見て、少しだけ背中を押す。それが、ここでやっていることです。決して『どれだけ無理をしても大丈夫』なんて保証はできません」
「けど、実際力が出るって……」
「それは、皆さんの体が、ちゃんと頑張ってきたからです」
私は代表の男の手をそっと取った。ごつごつした掌に《生活鑑定》を重ねると、疲労と古傷と、うっすらとした不安がにじんで見えた。
「限界近くまで酷使して、そこに塩辛い料理や興奮する味を重ねれば、その場は動けます。でも、その先で倒れたら、本末転倒です」
「……分かってる。怪我人が増えたのは俺たちのせいだ。けど、盛り上がりがないと客が寄りつかねえと思ってよ」
「盛り上げる方法なら、他にもあります」
私は小さく笑った。
「勝ったあとに皆で飲む、体に優しいご褒美スープ。明日も働けるように整える雑穀粥。そういう『次の日も元気でいられる料理』なら、いくらでも協力します」
「次の日も、か」
ぽつりと漏れた言葉に、何人かがうなずいた。
「はい。私が力を貸したいのは、今日だけ命を削る人ではなく、明日も明後日も、おいしいものを食べて笑っていたい人です」
私はカウンターの方を振り返る。
「それで、今日から入口に一枚、紙を貼ることにしました」
皆の視線が、扉の横に集まる。
『この店の料理は、自分を大事にしようとする人のための一杯です』
「自分を粗末に扱うために料理を使う人には、私は力を貸しません。無茶な頼まれ方のテイクアウトは、お断りします」
静かな沈黙のあと、代表の男が深く頭を下げた。
「……悪かった。本当に。偽物のメニューもやめる。怪我した連中の治療費だって、きっちり払う」
「治療費については、領主様からお話があります」
私は退き、ディルクに任せる。
「偽メニューは没収する。二度と使うな。賭け試合の内容も報告しろ。危険と判断したものは許可しない」
淡々と告げる声に、男たちは真っ青になりながらも頷いた。
「怪我人の治療費は、お前たちで負担しろ。払えぬ分は、街の雪かきでも何でもして働いて返せ」
「……はい」
決まりごとを告げ終えると、ディルクはふっと息を吐き、店内を見渡した。
「それと、もうひとつだけ」
静かながら、よく通る声。
「この女の料理は、この街の誇りだ」
思わず、胸の奥がきゅっと鳴った。
「ここで出される一杯に、どれだけ救われたかを、俺は知っている。だから、それを利用して誰かを壊そうとする真似は、二度と許さない」
常連の兵士たちがうなずき、エルザおばさんが目元をぬぐっているのが見えた。
「……ディルク様」
呼ぶと、彼は少しだけこちらを振り向き、真っすぐに見つめる。
「お前は、これまで通り、自分の思うように料理を作れ。力の使い方を決めるのは、お前だ」
「はい」
胸のざわつきが、ゆっくりと温かさに変わっていく。
「それでは、皆さん。今日は反省会用の、体に優しいスープをご用意しています」
私はカウンターに戻り、大鍋の蓋を開けた。野菜と豆と雑穀がたっぷり入ったスープが、ことことといい音を立てている。
木の匙で味を見て、《生活鑑定》をそっとのぞく。
体温:上昇
筋肉疲労:少し軽減
安心感:少しプラス
「……うん。これくらいが、ちょうどいいですね」
そうつぶやきながら、最初の一杯をよそう。カウンター越しに差し出したスープを受け取る手は、さっきよりも少しだけ、力が抜けているように見えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
今回はバフ料理の「悪用」に少し踏み込みましたが、リリアナたちの選んだ答えはいかがでしたか?
少しでも続きが気になると思っていただけたら、ぜひ評価やブックマークで応援していただけると、とても励みになります。感想もお待ちしています!




