第45話 二号店計画と弟子たちの成長
完結まで後5話
朝のカフェは、少しだけ落ち着きがなかった。
「ノエルくん、納品書は持ちましたか?」
「持ったって。さっきから三回は確認してる」
「よろしいです。それから……焙煎用の豆と、試作用のスープの材料も」
私は手帳をぱらぱらとめくりながら、出発前の最終確認をしていた。
今日は、隣町グラウベンへの日帰り視察だ。二号店候補地の現地確認である。
(本当に、二号店なんて言ってしまっていいのかしら)
胸の高鳴りを抑えつつ顔を上げると、カウンターの向こうでマリアが落ち着いた笑みを浮かべていた。
「本店は、わたくしと臨時スタッフで回しておきます。どうかお気になさらず、じっくり見てきてくださいませ」
「お願いします。何かあったらすぐ連絡を」
「ありませんよ。リリアナ様がいる時より静かな一日になるだけです」
軽い冗談に、私は苦笑いをこぼす。
「リリアナ。そろそろ行くぞ」
低い声に振り向けば、厚手のコートを着込んだディルク様が扉の前に立っていた。
「はい。準備できています」
エプロンを外し、旅用コートを羽織って店を出る。冷たい空気といっしょに、雪の匂いが肺に広がった。
◇
ノルドハイムを出てしばらく進むと、景色は少し荒々しくなる。雪をかぶった針葉樹の向こう、斜面に家々が張りつくように並ぶ小さな街が見えてきた。
「あれが、鉱山町グラウベンです」
馬車の御者が振り返って教えてくれる。
鍛冶場の煙、酒場のざわめき。ノルドハイムより少しだけ荒っぽくて、でもどこか活気のある空気だ。
広場で待っていたのは、体格のいい町長さんだった。
「辺境伯殿に、カフェの店主様まで、本当に来てくださるとは」
「リリアナと呼んでください。今日は、こちらこそお世話になります」
軽く会釈を返すと、町長さんは安堵したように笑った。
「さっそく例の物件をお見せしましょう。昔パン屋をやっていた家でしてな、今は空き家なんだ」
案内されたのは、小さな市場の外れ。石造りの店と、二階建ての住居がくっついた建物が、雪をかぶってぽつんと立っている。
「ここか」
ディルク様が扉を押すと、きしんだ音と一緒に、乾いた小麦と炭の匂いがふわりと漂った。
中はがらんとしていたが、奥には大きな窯と、カウンターの土台がそのまま残っている。
「厨房スペースも十分ですし、水場も近いですね。煙突も生きていそうです」
私は歩きながら、頭の中で配置図を描いていく。
窓際にはカウンター席。奥に焙煎台と大鍋。入口近くには子どもでも座りやすい低い椅子。
(少し手を入れれば、ここも立派なカフェになりそう)
私の隣で、ノエルも真剣な顔であちこちを見ていた。
「カウンター、ちょっと低めだな。子ども連れ多いんなら、かえっていいかもしれないっすね」
「そうですね。作っているところが見えるのも、大事な安心材料ですし」
私が頷くと、町長さんが遠慮がちに口を開いた。
「……こんなボロで、本当にいいのかね」
「いいんです。高級サロンみたいな店にすると、人が構えてしまいますから。ふらっと寄れる場所の方が、カフェらしいでしょう?」
そう答えると、町長さんの表情がほっと緩んだ。
◇
物件を見終えて外へ出ると、広場の端で様子をうかがっていた若者たちが、勢いよく駆け寄ってきた。
「俺たち、ここで働いてもいいですか!」
先頭の少年が帽子を脱ぎ、深々と頭を下げる。
「この前、討伐帰りにノルドハイムのカフェでスープを飲んだんです。体が軽くなって、すげえってなって……もしこっちにも店ができるなら、ぜひ手伝わせてほしくて」
「わたしも! 料理、ずっと好きで!」
彼の後ろから、エプロン姿の少女が顔をのぞかせる。その隣には、片脚を少し引きずる青年も立っていた。
「前線には戻れませんが、力仕事ならまだまだできます。皿洗いでも薪運びでも、何でもやります」
私は思わず頬を緩める。
「ありがとうございます。せっかくですから、皆さんに合いそうな仕事を一緒に考えましょう。少しだけ、体調や得意なことを見せていただいてもいいですか?」
私はそっと《生活鑑定》を起動し、一人一人を眺めた。
《生活鑑定》
対象:料理好きな少女リーネ
体力 :中
集中力 :高
対人ストレス:小
器用さ :高
(盛り付けやスイーツ担当がよさそうですね)
《生活鑑定》
対象:元兵士の青年ハルド
体力 :高
持久力 :高
細かい作業:苦手気味
責任感 :高
(こちらは仕込みと薪、重い鍋担当にぴったり)
《生活鑑定》
対象:先頭の少年ヨナ
疲労 :中
好奇心 :高
口数 :多
気配り :中
(接客向き。声もよく通るし)
「リーネさんは、キッチンで盛り付けと簡単なお菓子を。ハルドさんは仕込みと薪、ヨナさんは注文取りとホールをお願いしたいです」
そう告げると、三人は顔を見合わせてから、一斉に頷いた。
「皿洗いと掃除は、全員で持ち回りですからね。そこをサボる子は、どんなに腕がよくても出禁です」
いつの間にか隣に来ていたマリアが、さらりと釘を刺す。若者たちがびくっと肩を震わせた。
◇
午後は、簡易焙煎と帳簿の講習会になった。
ノルドハイムから持ってきた焙煎器を並べ、私はノエルの背中を軽く押す。
「ノエルくん、お手本をお願いできますか」
「はいはい。みんな、こっち来て」
ぶっきらぼうな声に反して、ノエルの手つきはすっかり板についている。
豆を入れた器具を火にかけ、音と香りの変化を言葉にして見せていく。
「このぱちぱちが少し落ち着いてきたら、火を弱くする。焦げると台無しだからな。鼻と耳、両方使う感じで」
「すごい……」
「同じ豆なのに、匂いが全然違ってきますね」
きらきらした目で見つめる若者たちを眺めながら、私は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
ひと段落ついたところで、ノエルが帳簿を持って私のところへ来る。
「リリアナ様、二号店用のざっくりした計算、こんな感じで合ってます?」
「見せてください……はい、材料費と人件費、ちゃんと分けてありますね。とても分かりやすいですよ」
「だろ。前に本店の帳簿でしごかれたおかげだな」
少し得意げに笑う横顔に、私は決意を固めた。
「ノエルくん」
「うん?」
「ここは、ノエルくんの店ですよ」
さらりと言ったつもりだったけれど、ノエルの手がぴたりと止まった。
「……は?」
「もちろん、契約や責任者の名前はディルク様や領主館と相談になります。でも、焙煎と日々の判断は、ノエルくんに任せたいんです」
「ちょっと待ってくださいよ。俺、ただの孤児上がりだぞ。失敗したらどうするんすか」
「失敗したら、一緒に片付ければいいんです」
私は笑って、カウンターの土台を軽く叩いた。
「このカウンターから見える景色を、いちばん長く覚えているのは、きっとノエルくんです。だからここは、ノエルくんの店」
ノエルはしばらく口をぱくぱくさせてから、小さく視線をそらした。
「……自分の店って言われるの、ちょっと、悪くないっすね」
「ですよね」
その言葉に、胸がじんわりとあたたかく広がっていく。
◇
夕方。町長さんたちに試作メニューを出し、改装や開店時期の話を一通り終えるころには、空はすっかり茜色に染まっていた。
私たちはグラウベンを後にし、馬車でノルドハイムへ戻る。
窓の外で、小さな街の灯りが遠ざかっていく。隣で、ディルク様がぽつりと呟いた。
「お前、どんどん遠くに行くな」
「……え?」
聞き返すと、彼は視線を外の雪原に向けたまま続ける。
「王都の食堂を動かして、領主館の書類の山を片付けて、今度は隣町にまで店を出す。気付いたら、手の届かないところに行ってしまうんじゃないかと思う」
胸の奥がきゅっと痛む。私はそっと彼の腕に自分の腕を絡める。
「違いますよ、ディルク様」
「違う?」
「私が遠くに行くんじゃなくて、私のカフェが増えているだけです。帰る場所は、いつも同じですよ」
雪原の向こうに広がる夜の空を見ながら、静かに言葉を続ける。
「ノルドハイムのカフェと、領主館の暖炉の前。そこが、私の家で、職場で、居場所です」
しばらく沈黙が落ちたあと、ディルク様はゆっくりと息を吐いた。
「……それなら、いい」
絡めた腕の上に、そっと大きな手が重ねられる。
「お前の居場所を守るのが、俺の役目だ。たとえその居場所が、これから二つ、三つと増えていっても」
「増やしすぎたら、一緒に手伝ってくださいね」
「ああ。力仕事なら、いくらでも」
くすりと笑い合う。
馬車の奥では、ノエルが静かな寝息を立てていた。
(二号店も、この街も。みんなで育てていけばいい)
指先に伝わる温もりを確かめながら、私はそっと目を閉じた。
第45話までお付き合いありがとうございます!
二号店計画が動き出し、ノエルも一歩大人に近づいてきました。
リリアナの「居場所」を増やしていく物語はここから本番です。
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