第44話 異国の商人と新しい豆
完結まで後6話
朝のカフェに、焙煎した穀物の香りが広がる。
(……もうお前なしでは生きていけん)
昨日、領主館の書類部屋で聞いたひと言を思い出し、耳がじわりと熱くなる。
そんな自分をごまかすように豆をかき混ぜていると、マリアがくすりと笑った。
「リリアナ様、さっきから表情がころころ変わってますよ」
「き、気のせいです。寝不足かもしれません」
誤魔化したところで、入口のベルが元気よく鳴った。
「やあ、カフェ聖女様は今日も元気かい?」
聞き覚えのある軽い声。顔を上げると、荷物をどさっと下ろす行商人ラウルさんと、その隣に見慣れない男性が立っていた。
浅く焼けた肌に、黒曜石みたいな瞳。肩からかけた袋には、色とりどりの小袋がぎっしり詰め込まれている。
「ラウルさん、お久しぶりです」
「嬢ちゃん……じゃなかった、辺境伯夫人さん。結婚おめでとう。で、今日は面白いもんを連れてきた」
ラウルさんは隣の男性の肩をぽんと叩く。
「南の方の商業都市から来た商人、サミール。香りの強い豆とか、変わった葉っぱとかを山ほど運んでるやつだ」
「『変わった』は傷つきますね」
サミールと名乗った男性が、苦笑しながら一礼する。
「初めまして。遠い雪の国に、不思議なカフェがあると聞きまして。サミールと申します」
「リリアナです。ようこそ、ノルドハイムへ。その袋の中身が、噂の品ですか?」
カウンターの上に並べられた小袋から、見たことのない色の豆や粉が顔を出す。
柑橘に似た爽やかな香り、甘く温かい香り、鼻の奥がツンとする匂い。
サミールが静かな声で続ける。
「各地で、人々が疲れています。だから、温かい飲み物や香りの強いスパイスがよく売れるのです。けれど……この国の人に合うかは分からない」
「そこで、うちの店で試してみようって話になりましてね」ラウルさんがにやっと笑う。
「ここなら、兵士も子どももお偉いさんも来るだろ? 『眠くなる味』『しゃきっとする味』、すぐ分かる」
「少しだけなら、面白そうですね。営業時間が終わってからでよろしければ、試飲会をしましょうか」
「マジっすか店長!」
いつの間にか近くで耳をそばだてていたノエルが、ぱっと顔を輝かせる。
「ミアとロルフさんにも声かけていい? 新しいおやつ、絶対喜ぶって!」
「分かりました。ただし、辛いのは本当に少しだけですよ」
こうして、その日の夜はプチ試飲会が決まった。
◇
日が傾き、最後のお客様を見送ってから「準備中」の札を裏返す。
テーブルを中央に寄せ、大きなポットと試食用の皿を並べた。
「わあ、なんかお祭りみたい」
「お邪魔するぞ。辛いのはほどほどにな」
兵士代表ロルフさんも姿を見せた。マリアとノエルが手際よくカップを並べ、サミールはいろいろな道具を広げていく。
「まずは、この豆Aからいきましょう。香りは強いですが、味はまろやかですよ」
サミールが豆を挽き、私の焙煎器とは少し違う方法で、じっくりと温める。
立ちのぼる香りは、いつもの穀物コーヒーより少し甘く、柔らかい。
「いい匂い……」
「なんか、眠くなりそうっすね」
ノエルが欠伸をかみ殺す。カップに注がれたそれを、みんなで一口。
「……ああ、これは」
ロルフさんが、思わず肩の力を抜いた。
「穀物コーヒーより軽いけれど、体がふわっと温まりますね」
「口当たりが優しいです」
私はすぐさま《生活鑑定》を起動する。
《生活鑑定》
対象:豆Aの飲み物
体温:小
リラックス:大
眠気:中
(完全におやすみ前ドリンク)
「これ、夜のメニューに合いそうです。巡回から戻った兵士さんとか、仕事終わりの方に」
「名前はそうだな……『おやすみ前ブレンド』なんてどうだい?」
「分かりやすくていいと思います」
わいわいしていると、サミールが次の小袋を手に取った。
今度は、赤い粒が混ざった粉だ。
「こちらは、少し入れると体が温まり、頭もすっきりします。ただし、入れすぎると泣きます」
「その説明だけで怖いんですが」
私は眉をひそめつつ、《生活鑑定》でざっくりと効果を確認し、分量を決めた。
「飲み物に入れるより、クッキーにほんの少し混ぜるのはどうでしょう。勉強や書類仕事の前に食べる用で」
私は雪国ハニーオートクッキーの生地を少し拝借し、スパイスBをぱらりと加える。香りづけに、別の甘いスパイスも一つまみ。
「新作、試作1号。集中したい人用クッキーです」
「名前、そのまんまっすね」
「分かりやすさは正義です」
焼き上がったクッキーを、みんなでかじる。
「……うまっ」
「おお、あとからじんわり来るな」
「ちょっと舌がぴりっとしますけど、変じゃないです」
ミアが首をかしげながらも、もう1口かじる。
《生活鑑定》
対象:集中クッキー試作1号
体温:小
集中力:中
元気:小
(集中力がしっかり上がってますね)
「これは、兵舎の書類班や、ノエルくんの帳簿タイムにも良さそうです」
「俺の名前を出すなよ店長……でも、欲しい」
ノエルが照れたように視線をそらす。ロルフさんも真顔で追加を手に取ろうとしたので、私は慌てて制限をかけた。
「食べすぎると胃がびっくりしますから、1人2枚までですよ」
「ぐっ」
◇
「最後に、もう1つ試してみてもいいですか」
私は豆Aを少し取り分け、自分の焙煎器に移した。
いつもより少しだけ深めに焙煎してから、小鍋に牛乳と一緒に入れる。
「豆をミルクで煮出して、少し甘みを足します。前にいた国で、こんな飲み方をしている人がいて」
弱火でことことと煮ると、白い湯気と一緒に、香ばしくて甘い匂いが広がる。
蜂蜜をひとさじ、香りの穏やかなスパイスをほんの少し。
「『雪国ミルク豆』、試作です」
カップに注いで配ると、ミアが一番に口をつけた。
「ん……やさしい……」
「デザートみたいだな」
《生活鑑定》
対象:雪国ミルク豆
体温:小
リラックス:大
安眠:中
(これは完全に、ぐっすりコース)
「夜の締めの1杯にいいですね。今日の分が終わった、という気持ちになれそうです」
そう言うと、サミールが感心したように目を細めた。
「同じ豆でも、こちらの店で扱われると、まるで違う飲み物になるのですね」
「うちの店は、《生活鑑定》に合わせて少しずつ調整しているだけです。それに……」
私はカップを両手で包んだ。
「せっかくなら、体をいじめる飲み物じゃなくて、自分を労わるための1杯にしたいんです」
サミールは小さく頷き、ラウルさんがにやりと笑う。
「なあ、嬢ちゃん。この店のやり方ごと、外にも持って行けないかな」
「やり方ごと、ですか?」
「この豆とスパイス、王都でも売れる。けど、ただ物だけ運んでも、こんな味にはならないだろ? だったら、『のんびりカフェ式』って看板をつけて店ごと増やしちまうのはどうだ」
「店ごと……」
私が思わず繰り返すと、サミールも興味深そうに身を乗り出した。
「各地に、この空気を持った小さな店があったら、きっと人は集まります。北の雪の国だけでなく、南の港町にも、山の村にも」
暖炉の火と木のテーブル、穀物の香り。ノエルがカップを洗う音、ミアとロルフさんの笑い声。
この店の日常が、別の土地にも生まれる光景を、少しだけ想像する。
「……いつか、この街の若い子たちが、このカウンターの中に立ってくれたらいいですね」
心の中で、「私がいなくても回る店」とそっと付け足す。
「店長、いきなり俺たち置いてどっか行く予定とかやめてくださいね」
「違いますってば。帰ってくる場所は、ちゃんとここです」
慌てて否定すると、ラウルさんが肩をすくめた。
「じゃあ、将来の『支店』計画ってことで。俺が営業担当で、サミールが仕入れ担当。辺境式カフェ、いずれは他国にも」
「名前がもう渋滞してますよ、ラウルさん」
「まずは、この街で。食べて、休める場所を守って、それからですね」
私はカウンターの端に、小さくメモを書き加えた。
・集中クッキー
・おやすみ前ブレンド
・雪国ミルク豆
(未来の支店のことは、その先のお楽しみで)
目の前のカップから立ちのぼる湯気を見上げながら、私はそっと息をついた。
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次回以降、リリアナたちののんびりと騒がしい日々を一緒に見守っていただけたら嬉しいです。




