第43話 辺境伯夫人リリアナ、仕事を覚える
完結まで後7話
結婚式から数日たった朝、私は領主館の廊下で立ち止まっていた。
両腕いっぱいに書類を抱えた書記官たちが、厚い絨毯の上を行ったり来たりしている。机の上には羊皮紙の山。廊下の先には、噂に聞く「書類部屋」がある。
(……今日も元気そうですね、書類山)
「リリアナ様?」
隣を歩いていたマリアが首を傾げた。
「どうかなさいました?」
「その……ディルク様のお仕事、私にもお手伝いできないかと思って」
「お仕事、ですか?」
マリアの視線が、書類部屋の扉へと向かう。ここには領内の税収帳簿や兵站報告、村からの要望書が集められているらしい。
「せっかく辺境伯夫人になったのですし、肩書きだけで終わりたくなくて。カフェだけじゃなく、領地のことも知りたいんです」
「ふふっ」
マリアが口元を押さえて笑った。
「いえ、失礼しました。ただ……本当にリリアナ様らしいな、と。普通は、あの山を見て『手伝いたい』とはおっしゃいませんから」
前世社畜OLとしては、むしろあの山を平地にする快感を想像してしまうのだが、そこは黙っておく。
「ご本気であれば、オットーたちにお話ししておきますよ」
「ぜひお願いします」
◇
扉を開けると、インクと紙と、うっすら疲れた空気の匂いが押し寄せてきた。
長机の上には、羊皮紙が雪崩のように積み上がっている。窓際の若い書記官が、げっそりした顔で羽ペンを走らせていた。
《生活鑑定》
視界の端に、いつもの薄い光が浮かぶ。
若手書記官オットー
疲労度:高
集中力:中
肩こり:大
(肩こり「大」はだいぶ手遅れですね……)
そんなことを考えていると、こちらに気づいたオットーが椅子から飛び上がった。
「へ、辺境伯夫人!?」
「お邪魔します。リリアナ・ノルドハイムです。本日から、こちらのお仕事を少し手伝わせていただきたいと思いまして」
丁寧に一礼すると、部屋の空気がぴたりと止まった。隅で帳簿を抱えていた年配の書記官まで、ぽかんとしている。
「あ、あの……この書類を、でございますか?」
「はい。税収の帳簿と、兵站の報告と、要望書ですね?」
机の上をざっと見回す。村名も日付も書き方が統一されておらず、綴じ方も人それぞれ。前世なら悲鳴を上げていた光景だが、今は純粋に「やりがいのある現場」にしか見えない。
「よろしければ、まず分類からご一緒しても?」
「ぶ、分類……?」
「ええ。今年分、昨年分、それ以前。この三つに分けて棚を分けましょう。兵站報告は、平時と緊急時とで束を分けて……」
私は袖を少し上げ、手前の山から帳簿を抜き取り、ぱらぱらめくる。
「村名/期間/人数/使った物資/足りないもの/備考。報告はこの順番で書いていただくよう、見本も作りたいですね。右上には提出期限も」
さらさらと、紙の一枚に見本を書きつける。
「こうしておけば、あとで集計するとき三割くらい速くなります。……体感ですが」
「さ、三割……!」
オットーが目を丸くし、年配書記官も「なるほど」と頷いた。
「いつも、目の前にある順に処理するしかなくて……それで終わらなくて残業に……」
「その残業を減らすための分類です。楽になるための苦労は、最初にまとめてやってしまいましょう」
前世で散々味わった地獄を思い出しながら、私はにこりと笑った。
「マリア、棚に『今週中』『今月中』『余裕あり』の札をお願いできます?」
「かしこまりました。……健康的社畜モードですね」
「ええ。健康第一の社畜です」
机の上の山から紙束が次々移され、部屋の空気も少しだけ明るくなっていく。
◇
《生活鑑定》
集中しているうちに、部屋全体の表示が目の端に浮かんだ。
書類部屋一同
疲労度:高
集中力:中
糖分不足:中
(うん、ここで無理を続けると効率が落ちますね)
「皆さん、一度休憩にしましょうか」
「きゅ、休憩……?」
「穀物コーヒーとクッキーをお持ちします。数分休んだ方が、結果的に早く終わりますから」
前世で「休憩を削って余計に遅くなる」現場を死ぬほど見た身としては、ここだけは譲れない。
ほどなくして、マリアが湯気の立つポットと焼き菓子を運んできた。香ばしい匂いが、インクの匂いに柔らかく混ざる。
「こ、これが噂の……」
「カフェ聖女の穀物コーヒー……」
おそるおそる口をつけた書記官たちの肩から、ふっと力が抜けていく。
《生活鑑定》
疲労度:高→中
集中力:中→高
機嫌:微増
「はあ……頭がすっきりしました」
「甘いものって、こんなに効くんだな……」
ぽつぽつと漏れる声に、私は小さくガッツポーズを決めた。
(これぞ健康的社畜。無理はしない、でも仕事はちゃんと回す)
◇
休憩後の作業は、目に見えて速かった。
オットーたちは新しい書式に沿って報告書を書き直し、私はそれを確認して、緊急度の高いものだけを赤い紐でまとめていく。
「この村の訴えは雪崩の危険区域ですね。こちらは薪不足。どちらも早めに対処しておきたい案件です」
「では赤紐の束に……」
夕方になる頃には、机の上の山はきれいな丘と整列した束に変わっていた。
「……本日分の処理、完了です!」
オットーが信じられない、といった顔で叫ぶ。
「いつもなら半分も終わらないのに……」
「皆さんが手を動かしてくださったからですよ。私は少し並べ替えただけです」
そう笑ったところで、扉がこん、とノックされた。
「入る」
低い声とともに現れたのは、見慣れた黒髪の人影だった。
「ディルク様」
私が立ち上がると、彼は部屋をぐるりと見回し、わずかに目を見張った。
「……今日は机の上が見えるな」
「本日、リリアナ様が整理から手伝ってくださったのです」
年配書記官が嬉しそうに説明する。その間に私は、赤い紐で括った束を差し出した。
「こちらが急ぎの分です。雪崩の危険がある斜面や、薪不足の村の報告をまとめてあります」
「ああ」
ディルク様は一枚を取り出し、すばやく目を通す。
「項目が揃っていて分かりやすい。……助かる」
短い言葉に、きちんとした「ありがとう」が含まれているのが分かって、胸の奥がじんわり温かくなった。
「リリアナ」
「はい?」
顔を上げると、灰色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。
「……もうお前なしでは生きていけん」
「っ……!」
部屋の空気が、一瞬で固まる。
オットーの手から羽ペンが落ちる音。誰も書類をめくらない。背後からは、マリアの「今の、皆さま聞きましたね?」という無言の圧が突き刺さる。
「で、ディルク様!」
「何だ」
「そのようなことを、人前でさらりとおっしゃるのは……」
「事実だ」
あまりにもあっさり返されて、余計に顔が熱くなる。
(い、今のは仕事の話ですよね!? ですよね!?)
心の中で頭を抱える私など気にも留めず、ディルク様は続けた。
「お前が店で人を温めている間、ここで俺と領地を支えてくれるなら、これほど心強いことはない。無理はさせん。カフェが、お前の一番の場所だということも分かっている」
「……はい」
「だが、時々こうして一緒に仕事をしてくれると助かる」
ぶっきらぼうなのに、妙に甘い。
胸の奥に、じんわりと熱が灯る。
「カフェが私の軸であることは変わりません。でも、この街ごと、ディルク様ごと守るお手伝いができるなら……喜んで」
言葉にしてみると、驚くほど素直に口から出た。
婚約破棄されて追放された悪役令嬢だった私は、今は辺境のカフェ店主であり、辺境伯夫人だ。のんびりカフェも、領主館の書類部屋も、どちらも私の居場所になりつつある。
「それでは辺境伯様、次の改善案のご説明をしても?」
「ああ、頼む」
夕焼け色の光が差し込む書類部屋で、紙の擦れる音と、小さな笑い声が重なっていく。
こうして私は、「カフェ店主」と「辺境伯夫人」、二つの顔で働く日々の第一歩を踏み出したのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
社畜スキルで書類山をなぎ払うリリアナと、無自覚甘々なディルクの回でした。「もうお前なしでは生きていけん」でニヤッとしていただけていたら嬉しいです。
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