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「完結済」婚約破棄されて辺境に追放された悪役令嬢ですが、のんびりカフェを開いたら無愛想辺境伯様に溺愛されています  作者: 夢見叶
第5章 新婚とその後のスローライフ

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第43話 辺境伯夫人リリアナ、仕事を覚える

完結まで後7話

 結婚式から数日たった朝、私は領主館の廊下で立ち止まっていた。


 両腕いっぱいに書類を抱えた書記官たちが、厚い絨毯の上を行ったり来たりしている。机の上には羊皮紙の山。廊下の先には、噂に聞く「書類部屋」がある。


(……今日も元気そうですね、書類山)


「リリアナ様?」


 隣を歩いていたマリアが首を傾げた。


「どうかなさいました?」


「その……ディルク様のお仕事、私にもお手伝いできないかと思って」


「お仕事、ですか?」


 マリアの視線が、書類部屋の扉へと向かう。ここには領内の税収帳簿や兵站報告、村からの要望書が集められているらしい。


「せっかく辺境伯夫人になったのですし、肩書きだけで終わりたくなくて。カフェだけじゃなく、領地のことも知りたいんです」


「ふふっ」


 マリアが口元を押さえて笑った。


「いえ、失礼しました。ただ……本当にリリアナ様らしいな、と。普通は、あの山を見て『手伝いたい』とはおっしゃいませんから」


 前世社畜OLとしては、むしろあの山を平地にする快感を想像してしまうのだが、そこは黙っておく。


「ご本気であれば、オットーたちにお話ししておきますよ」


「ぜひお願いします」


     ◇


 扉を開けると、インクと紙と、うっすら疲れた空気の匂いが押し寄せてきた。


 長机の上には、羊皮紙が雪崩のように積み上がっている。窓際の若い書記官が、げっそりした顔で羽ペンを走らせていた。


《生活鑑定》


 視界の端に、いつもの薄い光が浮かぶ。


 若手書記官オットー

 疲労度:高

 集中力:中

 肩こり:大


(肩こり「大」はだいぶ手遅れですね……)


 そんなことを考えていると、こちらに気づいたオットーが椅子から飛び上がった。


「へ、辺境伯夫人!?」


「お邪魔します。リリアナ・ノルドハイムです。本日から、こちらのお仕事を少し手伝わせていただきたいと思いまして」


 丁寧に一礼すると、部屋の空気がぴたりと止まった。隅で帳簿を抱えていた年配の書記官まで、ぽかんとしている。


「あ、あの……この書類を、でございますか?」


「はい。税収の帳簿と、兵站の報告と、要望書ですね?」


 机の上をざっと見回す。村名も日付も書き方が統一されておらず、綴じ方も人それぞれ。前世なら悲鳴を上げていた光景だが、今は純粋に「やりがいのある現場」にしか見えない。


「よろしければ、まず分類からご一緒しても?」


「ぶ、分類……?」


「ええ。今年分、昨年分、それ以前。この三つに分けて棚を分けましょう。兵站報告は、平時と緊急時とで束を分けて……」


 私は袖を少し上げ、手前の山から帳簿を抜き取り、ぱらぱらめくる。


「村名/期間/人数/使った物資/足りないもの/備考。報告はこの順番で書いていただくよう、見本も作りたいですね。右上には提出期限も」


 さらさらと、紙の一枚に見本を書きつける。


「こうしておけば、あとで集計するとき三割くらい速くなります。……体感ですが」


「さ、三割……!」


 オットーが目を丸くし、年配書記官も「なるほど」と頷いた。


「いつも、目の前にある順に処理するしかなくて……それで終わらなくて残業に……」


「その残業を減らすための分類です。楽になるための苦労は、最初にまとめてやってしまいましょう」


 前世で散々味わった地獄を思い出しながら、私はにこりと笑った。


「マリア、棚に『今週中』『今月中』『余裕あり』の札をお願いできます?」


「かしこまりました。……健康的社畜モードですね」


「ええ。健康第一の社畜です」


 机の上の山から紙束が次々移され、部屋の空気も少しだけ明るくなっていく。


     ◇


《生活鑑定》


 集中しているうちに、部屋全体の表示が目の端に浮かんだ。


 書類部屋一同

 疲労度:高

 集中力:中

 糖分不足:中


(うん、ここで無理を続けると効率が落ちますね)


「皆さん、一度休憩にしましょうか」


「きゅ、休憩……?」


「穀物コーヒーとクッキーをお持ちします。数分休んだ方が、結果的に早く終わりますから」


 前世で「休憩を削って余計に遅くなる」現場を死ぬほど見た身としては、ここだけは譲れない。


 ほどなくして、マリアが湯気の立つポットと焼き菓子を運んできた。香ばしい匂いが、インクの匂いに柔らかく混ざる。


「こ、これが噂の……」


「カフェ聖女の穀物コーヒー……」


 おそるおそる口をつけた書記官たちの肩から、ふっと力が抜けていく。


《生活鑑定》

 疲労度:高→中

 集中力:中→高

 機嫌:微増


「はあ……頭がすっきりしました」


「甘いものって、こんなに効くんだな……」


 ぽつぽつと漏れる声に、私は小さくガッツポーズを決めた。


(これぞ健康的社畜。無理はしない、でも仕事はちゃんと回す)


     ◇


 休憩後の作業は、目に見えて速かった。


 オットーたちは新しい書式に沿って報告書を書き直し、私はそれを確認して、緊急度の高いものだけを赤い紐でまとめていく。


「この村の訴えは雪崩の危険区域ですね。こちらは薪不足。どちらも早めに対処しておきたい案件です」


「では赤紐の束に……」


 夕方になる頃には、机の上の山はきれいな丘と整列した束に変わっていた。


「……本日分の処理、完了です!」


 オットーが信じられない、といった顔で叫ぶ。


「いつもなら半分も終わらないのに……」


「皆さんが手を動かしてくださったからですよ。私は少し並べ替えただけです」


 そう笑ったところで、扉がこん、とノックされた。


「入る」


 低い声とともに現れたのは、見慣れた黒髪の人影だった。


「ディルク様」


 私が立ち上がると、彼は部屋をぐるりと見回し、わずかに目を見張った。


「……今日は机の上が見えるな」


「本日、リリアナ様が整理から手伝ってくださったのです」


 年配書記官が嬉しそうに説明する。その間に私は、赤い紐で括った束を差し出した。


「こちらが急ぎの分です。雪崩の危険がある斜面や、薪不足の村の報告をまとめてあります」


「ああ」


 ディルク様は一枚を取り出し、すばやく目を通す。


「項目が揃っていて分かりやすい。……助かる」


 短い言葉に、きちんとした「ありがとう」が含まれているのが分かって、胸の奥がじんわり温かくなった。


「リリアナ」


「はい?」


 顔を上げると、灰色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。


「……もうお前なしでは生きていけん」


「っ……!」


 部屋の空気が、一瞬で固まる。


 オットーの手から羽ペンが落ちる音。誰も書類をめくらない。背後からは、マリアの「今の、皆さま聞きましたね?」という無言の圧が突き刺さる。


「で、ディルク様!」


「何だ」


「そのようなことを、人前でさらりとおっしゃるのは……」


「事実だ」


 あまりにもあっさり返されて、余計に顔が熱くなる。


(い、今のは仕事の話ですよね!? ですよね!?)


 心の中で頭を抱える私など気にも留めず、ディルク様は続けた。


「お前が店で人を温めている間、ここで俺と領地を支えてくれるなら、これほど心強いことはない。無理はさせん。カフェが、お前の一番の場所だということも分かっている」


「……はい」


「だが、時々こうして一緒に仕事をしてくれると助かる」


 ぶっきらぼうなのに、妙に甘い。


 胸の奥に、じんわりと熱が灯る。


「カフェが私の軸であることは変わりません。でも、この街ごと、ディルク様ごと守るお手伝いができるなら……喜んで」


 言葉にしてみると、驚くほど素直に口から出た。


 婚約破棄されて追放された悪役令嬢だった私は、今は辺境のカフェ店主であり、辺境伯夫人だ。のんびりカフェも、領主館の書類部屋も、どちらも私の居場所になりつつある。


「それでは辺境伯様、次の改善案のご説明をしても?」


「ああ、頼む」


 夕焼け色の光が差し込む書類部屋で、紙の擦れる音と、小さな笑い声が重なっていく。


 こうして私は、「カフェ店主」と「辺境伯夫人」、二つの顔で働く日々の第一歩を踏み出したのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

社畜スキルで書類山をなぎ払うリリアナと、無自覚甘々なディルクの回でした。「もうお前なしでは生きていけん」でニヤッとしていただけていたら嬉しいです。

続き執筆の大きな励みになりますので、ぜひ評価やブックマーク、感想をぽちっとしていただけると飛び跳ねて喜びます!


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