第42話 カフェで祝う、のんびり婚約破棄後の結婚式
完結まで後8話
窓の外は、真っ白だった。
昨夜から降り続いた雪が広場も屋根も覆い尽くしている。
「……本番、ですね」
つぶやいた声は、自分でも分かるくらい震えていた。寒さのせいか、緊張のせいか、その両方だ。
「リリアナ様、コルセット、もう少し締めますね」
背中から、マリアの落ち着いた声。きゅっと紐が引かれて、肺の中の空気が少しだけ押し出される。
「ふ、ふう……今日くらいは社畜モードより花嫁モード優先でお願いします」
「いつも通りのお仕事モードでも素敵ですけれど、今日はさすがに書類は禁止です」
鏡越しに目が合って、ふたりで小さく笑った。
今日のドレスは、王都の豪華な純白ではなく、この街に合わせて作ってもらったやわらかなクリーム色。胸元と裾に、小さな雪の結晶の刺繍が散っている。
エルザおばさんたちが夜なべして針を動かしてくれたと聞いてから、この刺繍を見るたびに胸がじんわりあたたかくなった。
「グラスどこだっけ、あ、やべっ!」
階下から、ノエルの声が響く。
「ノエルくん、割ったら追加で洗浄ですからね」
「割ってないって! 今のは、ちょっと滑っただけだ!」
ドタバタと足音が行き来している。外では兵士たちが焚き火の用意をし、子どもたちがリボン飾りを抱えて走り回っているはずだ。
婚約破棄されて辺境に追放された悪役令嬢の結婚式会場が、自分のカフェとその前の広場になるなんて。
「リリアナ」
控えめなノックと共に、低い声がした。マリアが扉を開けると、礼装の父が立っていた。
「お父様」
「……似合っているな。幸せそうで安心した」
短い言葉に、少しだけぎこちない微笑みが添えられる。
「行こうか」
「はい」
差し出された腕にそっと手を添える。かつて王都の舞踏会で何度も繰り返した動作なのに、今日は胸の高鳴りの質がまるで違っていた。
◇ ◇ ◇
カフェの階段を下りると、店内がぱっと明るくなった気がした。
「わあ……」
「本当に、お姫様みたい」
エルザおばさんが目元をハンカチで押さえ、子どもたちがきらきらした目でこちらを見上げている。ノエルは顔を赤くしながらも、さりげなく私の足元の障害物をどけてくれた。
「転ばないでくださいよ、店主がこけたら笑えないからな」
「心配の仕方がひどいですね、ノエルくん」
ミアたちが花びらの入った籠を抱えて、そわそわと入り口の方を見ている。
「おねえちゃん、準備できた?」
「ええ。あとは、皆さんのところまで歩くだけです」
カフェの扉の前で深呼吸をひとつ。
私の背中を、マリアの声が軽く押した。
「それでは、お嬢様。いってらっしゃいませ」
扉を押し開けると、冬の光と雪の白と、たくさんの笑顔が飛び込んできた。
広場には、簡素な木製のアーチが立てられている。乾いた花と木の実と色とりどりのリボンで飾られたそれは、王都の大聖堂ほど豪華ではないけれど、この街らしいあたたかさに満ちていた。
「リリアナ様ー!」
「ディルク様と末永く!」
誰かの声に応えるように、子どもたちが花びらを撒く。雪の上に、淡い色がふわりと舞い落ちた。
父と腕を組んだまま歩くと、人々が自然と道を開けてくれる。焚き火の煙と甘い焼き菓子の匂いが混ざって、胸の奥が少し熱くなる。
アーチの下には、礼装姿のディルク様が立っていた。
いつも通りの無愛想顔なのに、耳の先だけが少し赤い。
(……緊張してる)
《生活鑑定》でちらりと見てみると、体調良好、精神状態は「緊張+幸福」でメーターが忙しく揺れていた。
その表示を見た瞬間、ふっと肩の力が抜ける。
父の腕から離れ、ディルク様の隣に立つ。
簡素な式服の神父様が、一歩前へ出た。
「寒いですから、簡潔にいきましょう」
この街らしい宣言と共に、短い祈りの言葉が唱えられる。
「ディルク・フォン・ノルドハイム卿。あなたは、ここにいるリリアナ・フォン・グランツを妻とし、この街と共に、その生き方を守ると誓いますか」
神父様の問いかけに、ディルク様がまっすぐ私を見る。
「誓う」
低く、よく通る声が雪空に響く。
「俺は、この雪の国と、この店と、お前のスローライフを守り続ける」
その言葉だけで、胸がいっぱいになる。
「リリアナ・フォン・グランツ。あなたは、ここにいるディルク・フォン・ノルドハイムを夫とし、この街と共に、その背中を支えると誓いますか」
今度は、私の番だ。
王城の大広間で婚約破棄を告げられた日。冷たい視線の中で、ひとり辺境行きを言い渡された日。
あの日からここまでの道のりが、一瞬で胸の中を駆け抜ける。
「誓います」
私ははっきりと答えた。
「この街と、この人と、一緒にスローライフを守っていきます。おいしいごはんと穀物コーヒーで、皆さんの毎日を、少しでもあたたかくできるように」
広場から、小さなどよめきと拍手が起こった。
「では、指輪を」
緊張で固まった顔のノエルが、トレイを抱えてやってくる。小さな銀色の指輪が、雪明かりを受けて控えめに光っていた。
「落とすなよ」
「落としません」
そう返しながらも、ディルク様の指先はほんの少し震えている。たぶん、私にしか分からない程度に。
大きな手が、私の左手の薬指をそっと包む。ひんやりした指輪が、すうっと肌を滑って定位置に収まった。
「似合う」
「ありがとうございます」
今度は、私の番だ。彼の指に指輪を通しながら、《生活鑑定》でまたこっそり覗く。
幸福ゲージが、ほとんど振り切れていた。
「これにて、ふたりは夫婦です」
神父様の宣言と共に、大きな拍手が広場を包む。
その端の方で、見慣れた金髪が揺れたのが見えた。
アルバート殿下、今は陛下と、その隣に立つ聖女クラリス様。
ふたりともいちばん後ろの席で、静かにこちらを見守っていた。
「本当に、幸せそう……よかった」
クラリス様がそう口の動きだけでつぶやく。アルバート陛下は小さく息を吐き、北の空を振り仰いだ。
「俺も、ちゃんとやらないとな」
「最後に、誓いの口づけを」
神父様の言葉に、心臓がどくんと跳ねる。
視線が合ったディルク様が、わずかに眉を下げた。
「ここは寒い。……中に入るか」
「そ、そうですね。風邪をひいたら大変ですし」
私たちはカフェの扉の前へ移動し、背中を扉に預けるように立った。
扉が半分だけ閉じられ、外の光が細くなる。
外側からは、きっと扉の隙間からうっすらとシルエットだけが見えているはずだ。
あとでミアに、
「ちゃんと見えたよ! お姉ちゃんのほっぺ、すごく赤かった」
と元気いっぱいに報告されて、床に埋まりたくなったことは、ここだけの話にしておきたい。
◇ ◇ ◇
式と簡単なパーティーが終わり、外の焚き火が小さくなった頃。
片付けを終えたカフェには、私とディルク様だけが残っていた。
さっきまでの喧噪が嘘みたいに静かで、甘いケーキと穀物コーヒーの香りだけがふわりと漂っている。
「疲れていないか」
「少しだけ。でも、心地いい疲れです」
カウンター越しに差し出されたマグカップを受け取る。白い磁器に指輪がかちりと当たって、小さな音を立てた。
「今日の店は、どうでしたか。辺境伯様」
「最高だ」
即答されて、思わずむせそうになる。
「改善点とか、反省会とかは」
「強いて言うなら、花嫁が働きすぎていた」
「ぐ」
否定できない。
肩をすくめた私に、ディルク様がふっと息を吐いた。
「リリアナ」
「はい」
「これからも、お前のスローライフを、俺に守らせてくれ」
小さなランプだけが灯る店内で、その声はやけに近く聞こえた。
胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
「こちらこそ。どうか、私にあなたとこの街と、このカフェの毎日を一緒にのんびりさせる役目を続けさせてください」
「ああ。頼む、辺境伯夫人」
その呼び方がくすぐったくて、ふたりして小さく笑った。
窓の外では、静かに雪が降り続いている。
婚約破棄されて辺境に追放された悪役令嬢の結婚式の一日は、こうしてカフェの灯りと穀物コーヒーの湯気に見送られながら、ゆっくりと夜へ溶けていった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ついに辺境での結婚式&夫婦スタート回でした。
婚約破棄からここまで見守ってくださった皆さまのおかげで、このシーンまで辿り着けました。
続きは「新婚だけど忙しいカフェの日常」をたっぷり描いていきます。
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