第5話 小さな木の家と、最初の落ち着くため息
辺境伯邸での面談を終え、私は案内役の兵士さんと一緒に城門を出た。
「こちらです、公爵令嬢様」
「リリアナで構いませんわ。案内、ありがとうございます」
白い息を吐きながら歩く。雪をかく子ども、薪を担ぐ大人、屋根から伸びる煙突の白い煙。兵士さんは、さりげなく私の歩幅に合わせてくれていた。
(ゲームだと一枚絵で終わっていた街なのに、ちゃんと音も匂いもあるんだ)
少し歩いた先の通りの端に、小さな木造の家がぽつんと建っていた。黒い屋根と丸い煙突。ほかの家より少し新しい。
「こちらが、リリアナ様のお住まいになります」
(これから私が暮らす家)
公爵家の屋敷と比べれば本当に小さい。けれど胸の奥が、ほんのり温かくなった。
「中も、家具や寝具は整えてあると伺っています」
「感謝いたしますわ」
扉を開けると、木と火の匂いが流れ込んでくる。
石組みの暖炉に火が入り、厚手のカーテンが窓を覆うリビング。丸いテーブルとソファがひとつ。質素だけれど清潔で、足を踏み入れた瞬間、言葉がこぼれた。
「……落ち着きますわ」
自分でも驚くくらい自然な声だった。兵士さんが目を瞬く。
「は?」
「あ、いえ。こういう家、好きなんです。人が暮らしている感じがして」
「そう、ですか。てっきり、もっと派手な屋敷でないとご不満かと」
(悪役令嬢の噂、ここまで届いてるわよね)
「これからお世話になる場所ですもの。大切にさせていただきますわ」
そう告げると、兵士さんは玄関の奥に声を張った。
「マリア、入っていいぞ」
扉が開き、茶色の髪をまとめたメイド服の女性が現れる。
「リリアナ様でいらっしゃいますね。家の管理と身の回りのお手伝いを任されております、マリアと申します」
慌てて深く頭を下げる肩が、こわばっている。
「頭をお上げください、マリア。これからお世話になるのは、私の方ですわ」
おそるおそる顔を上げたマリアの瞳が、じっとこちらを探る。
「その……お嬢様のご期待に沿えるよう、精一杯」
「あの、少しお願いがございますの」
タイミングを見計らって口を開く。
「ここでは、あまりお嬢様扱いはしないでくださいませ。私も、一緒に働く一人でいたいのです。掃除も料理も、できることはやりますから」
「リリアナ様が……ですか?」
「はい。辺境の暮らしを覚えたいのです。色々教えていただけると助かりますわ。マリアは先輩ですもの」
先輩、という言葉に、マリアの肩から力が抜けた。
「先輩だなんて……。いえ、その……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
やわらかな笑顔が浮かぶ。さっきまでの恐怖の色は、少し薄れていた。
兵士さんが咳払いをする。
「それじゃ、俺はこれで。何かあれば領主館まで。……マリア、頼んだぞ」
「はい」
扉が閉まり、暖炉のぱちぱちという音だけが残る。
「それでは、お部屋をご案内しますね」
マリアに続き、家の中を見て回る。寝室には厚い羽毛布団のベッドと衣装棚。隣には小さな机の置かれた部屋。そして、私が一番気になる場所――台所。
「こちらが台所でございます」
石造りの調理台、小さなかまど、壁に掛けられた鍋やフライパン。少し古いが、よく手入れされている。
「前に住んでいたのは職人の方でして、道具も置いていかれたそうです。使いづらければ片づけますが」
「いえ、とても助かりますわ。今日からここが、私の主戦場ですもの」
思わず本音が出て、私は小さく咳払いした。マリアがくすりと笑う。
「そういえば、こちらに物置があると聞きました」
マリアは調理台の横でしゃがみこみ、床板の取っ手を持ち上げる。きぃ、と床下収納が現れた。
乾いた木箱と布をかけた棚。その奥に、見覚えのある形の金属の器具が見える。
「マリア、その奥のを取ってもらっても?」
「こちらでしょうか?」
受け取ると、ずしりとした重み。丸い網のついた蓋、横に伸びた持ち手。
(これって、もしかしなくても)
わくわくを抑えながら、《生活鑑定》を起動する。視界の端に淡い文字が浮かんだ。
焙煎器 状態:使用可能 要修理 効果:穀物や豆の香りと風味を引き出す
(来た。カフェアイテム)
「以前の住人が豆を炒るのが好きだったそうですが、壊れてしまってからはそのままで……。持ち手がぐらついて、中の網も少し破れているようです」
「こんな素敵な物を残してくださっただけで十分ですわ。修理すれば、きっとまだ使えます」
「領内の鍛冶屋のトルフ様なら直せると思います。少し無愛想ですが、腕はいい方で」
「では、今度一緒にお願いしに行きましょう。ここで、大活躍してもらわなくては」
焙煎器を撫でながら言うと、マリアはぱっと笑顔になった。
雪国の小さな木の家。暖炉と台所と、焙煎器。
(ここから、カフェの形を作っていくんだ)
胸の奥で、前世で叩き込まれたタスク管理用の脳が動き出す。家を整えること、道具や食材を集めること。
◇
その夜。片づけを終え、私は寝室のベッドに倒れ込んだ。
「ふかふか……」
分厚いマットレスが体を受け止め、羽毛布団の温かさがじんわり広がる。
(前世のオンボロ社宅と大違い)
枕元には、焙煎器をそっと置いた。頼りないようで、不思議と心強い相棒だ。
「ここから、私の第二の人生が始まるのね」
小さく呟いて目を閉じる。窓の外では、静かに雪が降り続いている。
(次は、この家をカフェに変える番)
暖炉の火がぱち、と音を立てた。私は布団の中でこっそりガッツポーズを決める。
のんびりカフェ開店ルート。その本編が、ようやくここから始まる。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第5話では、いよいよリリアナが辺境で暮らす「家」を手に入れました。公爵家の豪華な屋敷とは真逆の、小さな木の家と暖炉、そしてちょっと緊張しいなメイドのマリア。ようやくスタートラインに立った感じが書いていても楽しかったです。
今回ひそかに重要アイテムとして登場したのが、あの焙煎器です。
ここから、のんびりカフェ計画が少しずつ形になっていきます。次回以降は、家を整えたり、街の人たちと関わったり、カフェオープンへの準備が本格的に始まる予定です。無愛想辺境伯様の出番も、じわじわ増えていきますので、お付き合いいただけたら嬉しいです。
少しでも続きが気になる、リリアナやマリアを応援したい、カフェの完成を見届けたいと思っていただけましたら、評価やブックマークをポチっとしていただけると、とても励みになります。感想もいただけると、今後の執筆のエネルギーになります。
ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
それでは、また次話でお会いできますように。




