第39話 王都の立て直しとちょこっとざまぁ
王都の冬は、灰色の雲とため息でできているとまで言われてきた。
けれど今、兵士食堂に満ちているのは、温かい湯気と腹の鳴る音だった。
「……なんだこれ、本当に同じ食堂か?」
木の椀をのぞき込みながら、若い兵士が目を丸くする。白いスープの中には、豆と根菜と細かく刻んだ干し肉。隣の皿には、片手でつまめる小さなおむすびが二つ。
「『戦士の一杯・簡易版』と『腹持ちおむすび』だとさ」
先輩兵士が肩をすくめて、スープを一口すする。
「……あったまる。前の薄い塩水とは大違いだな」
「しっ。殿下の耳に入ったら大変だろ」
「いいんだよ。殿下が一番最初に『これはひどい』って顔してたんだから」
食堂の隅で様子を見ていたアルバートは、思わず視線をそらした。
長机の端には、分厚い紙束が置かれている。丁寧な字でびっしりと書かれたレシピと段取り、その表紙には「兵士食堂改善案」と題名があり、隅に小さく「ノルドハイム辺境・カフェより」と記されていた。
(……結局、俺は判を押しただけだな)
自嘲が喉までせり上がる。だが、兵士たちの頬に戻った血色を見れば、それだけでも意味はあったのだと分かる。
◇
昼が過ぎれば、今度は市民食堂の番だ。
王都広場に面した新しい石造りの建物には、もう人の列ができている。薄い外套を着た老女、幼い子どもの手を引く母親、仕事帰りの職人たち。
「今日の分は、あと三十人前ですよー! お子さん連れ優先で!」
係の声に、列の端から安堵の息がもれる。
器を受け取った老女が、恐る恐るスープを口に運んだ。
「……うまい。塩辛すぎもせんし、薄くもない。こんなもん、何年ぶりかね」
隣の少年は、おむすびをかじって目を輝かせる。
「中に野菜が入ってる! ただの固いパンより、こっちの方が好きだ!」
「殿下が決めたんだってさ。変な贅沢宴会を減らして、市民食堂を増やすって」
「へえ……殿下も、たまにはやるじゃないか」
そんな会話を耳にしながら、クラリスは給仕台の端でほっと息をついた。
今日一日、彼女が使った魔力はほんのわずかだ。代わりに働いてくれたのは、温かいスープと、にぎりたてのおむすび。
(リリアナ様の言った通り……ごはんは、私一人の奇跡より、ずっと長く人を支えてくれる)
白い聖衣の袖をまくり、彼女は次の器を手に取る。
「お待たせしました。熱いので気をつけてくださいね」
◇
改革は、食堂だけで終わらない。
かつてリリアナを「悪役令嬢」と呼び立て、断罪の場で声高に辺境行きをあおった伯爵家は、今や王都から遠く離れた寒村の役所で、雪とにらめっこしているという。
「辺境なんてひどい場所だ」と笑っていた男が、今度は自分で雪かきをしながら「この冬を越せるだろうか」と青ざめている、などという噂話も、酒場ではちょっとした酒の肴だ。
教会強硬派の高位神官は、「異端対策室の縮小」という名目で事実上の更迭となった。豪奢な執務室は空になり、代わりに孤児院付きの小さな礼拝堂を任されることになったらしい。
「光の母神は、すべての子に等しく」と、今度は自分で子どもたちの前に膝をついて言う羽目になっていると聞き、ある者は「ざまぁだ」と笑い、ある者は「少しは人間になるだろう」と肩をすくめた。
それでも、誰も知らない。
そんな人事の一つ一つが、王太子の署名と、一本のペンから始まっていることを。
◇
日が沈み、城の喧騒がようやく静まるころ。
大教会に隣接した小さな礼拝堂では、まだ一人の少女が祈りを捧げていた。
クラリスは両手を組んだまま、長く息を吐く。
疲れているのは確かだ。だが、以前のように「全部自分で抱え込まなければ」と思い詰める苦しさは、少しずつ薄れてきている。
(……いつか)
胸の内で、そっと言葉を転がす。
(いつか、普通のお客さんとして、あのカフェに行きたい)
聖女でも、殿下の恋人でもなく、ただの町娘として。
冬の日にふらりと訪れて、穀物コーヒーと、その日のおすすめスープをひとつ。
カウンターの向こうでエプロン姿の女主人が微笑んで、「今日の一杯は、よく頑張った人のための味ですよ」とでも言ってくれたら。
それだけでいい。
彼女が自分のことを覚えていなくても、覚えていて、少しだけ眉をひそめても。
湯気の向こうのその人が、幸せそうに笑っているなら、それでいい。
「……どうか」
ぽつりと、声がこぼれた。
「どうか、あの人の選んだ場所が、ずっと温かいものでありますように」
祭壇のロウソクの炎が、ゆらりと揺れる。クラリスは目を閉じ、小さく頭を下げた。
◇
同じころ、王城の塔の上では、冷たい風がマントをはためかせていた。
アルバートは石造りの手すりに背を預け、遠い北の空を見上げる。
視線を落とせば、王都のあちこちから、遅くまで灯りがこぼれていた。新しい市民食堂の煙突から立ちのぼる煙も、そのひとつだ。
「……俺は、ようやく少しはマシな選択ができるようになったのかもしれないな」
自嘲混じりに呟き、拳を握る。
執務机の上には、まだ読み切れていない書類が積まれている。その一番上にあるのは、「福祉・食堂政策 強化案」と題した紙束。端には、見慣れた丁寧な字で小さな注釈が書き込まれていた。
無理をして働く人ほど、ちゃんと食べてください。
あの日、「嫌です」と告げた彼女の声が、風に混じってよみがえる。
「……リリアナ」
名前を呼んでも、返事はない。代わりに、冷たい空気が肺を刺した。
「俺は、お前を呼び戻さない」
誰もいない夜空に向かって、はっきりと言葉にする。
「お前が選んだ場所を壊さないように。王都を、今度こそ守る王になる。それが、せめてもの償いだ」
拳をぎゅっと握りしめると、かすかな痛みが現実に引き戻してくれる。
失ったものは、戻らない。
けれど、その痛みごと抱えて立ち上がることはできる。
「……やり直すさ。王として、ゼロからだ」
遠い北の空に、ひときわ強く光る星があった。
そこに、小さなカフェの灯りが重なる気がして、アルバートは目を細める。
吐き出した白い息が夜空に溶けていくころ、王都の冬は、ほんの少しだけ優しい色を帯びていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
39話は、王都側からの「ちょこっとざまぁ」と、アルバートの決意、クラリスのささやかな願いを書いてみました。
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