第36話 国と辺境、それぞれ守る場所の選択
応接室に流れる空気が、ようやく少しだけ落ち着いてきた。
ディルク様の爆弾発言と婚約者宣言。
感情の一番大きな波が過ぎたあとは、結局いつも通り、現実的な話が残る。
(……ここからが、元社畜の出番ですね)
私は膝の上で指を組み直し、深く息を吸った。
「殿下。それから、クラリス様」
呼びかけると、向かい側の視線が一斉にこちらを向く。
「先ほど申し上げた通り、私は王都には戻りません。ここノルドハイムで、辺境伯ディルク様の婚約者として、カフェの店主として生きていくつもりです」
そうはっきり口にしてから、私は言葉を継いだ。
「ですが、それと国のことは別です」
「……どういう意味だ」
殿下が眉を寄せる。私はこくりとうなずいた。
「王都に戻らなくても、私にできることはあります。料理のレシピや運営のノウハウ、兵士食堂や市民食堂の仕組みなら、こちらから提供できます」
「仕組み……?」
「まずは戦場に出る兵士さんたちの食事から、改善しましょう。以前こちらで試したバフ料理のセット、覚えていらっしゃいますか?」
ディルク様とクラウス隊長が、同時に小さくうなずく。
「遠征前の『戦士の一杯』に、持ち運びしやすいおむすびと、簡単に作れる根菜スープ。
あれを少し簡略化して、王都の兵士食堂でも回せる形に整えたいんです」
「そんなことが、できるのか」
「できます」
胸を張って言い切る。
「ここでカフェを回しているうちに分かりました。大事なのは、特別な才能よりも、『誰が作ってもそこそこの味と効果になるレシピ』と『材料と手順を分かりやすくまとめた紙』です」
(要するにマニュアルです、マニュアル)
心の中でだけ、前世用語を付け加える。
「兵士食堂用、市民向けの安価なスープ食堂用、孤児院や療養所向け……用途ごとに分けて、レシピと運営のポイントを書き出してお送りします。
費用の目安や、仕入れのコツもできる限り添えますので、それを元に王都側で調整していただければ」
そこまで一息に言うと、クラリス様がはっと顔を上げた。
「孤児院や、療養所にも……?」
「はい。聖女様の奇跡で人を治すのも大事ですけれど、毎日のごはんで少しずつ体を整えることも、とても大事ですから」
クラリス様の《生活鑑定》が、視界の端で静かに浮かび上がる。
《不安:中 罪悪感:大 決意:中》
(昨日より、決意の文字が少し大きい)
私はそっと微笑んだ。
「クラリス様が聖女として前線に立たれるなら、私は後ろから、ごはんと仕組みで支えます。この街でやっていることを、王都用に書き換えて、お送りします」
「……そんなことまで、してくださるのですか」
震える声。クラリス様は、ぎゅっと胸元の聖印を握りしめた。
「わたくし、逃げずに聖女としての役目を果たしたいんです。人を癒やすだけじゃなくて、これからは、福祉や食堂や孤児院の整備にも関わりたい。
でも、どうすればいいのか分からなくて……」
ぽろぽろとこぼれる本音に、私は静かにうなずく。
「最初から完璧な答えなんてありません。試して、失敗して、直していくしかないんです。
それなら、何度でも書類をやり取りしましょう。王都と辺境の間で、レシピと報告書を行ったり来たりさせて」
前世で嫌というほど眺めた「報告書」という単語を出してしまって、自分で少しだけ笑ってしまう。
「その代わり、クラリス様」
私はまっすぐ彼女を見る。
「どうか、ご自分一人で全部を抱え込まないでください。国も教会も、ちゃんとあなたの負担を減らす方向で動くように、殿下に働きかけてください」
視線を、アルバート殿下へと移す。
「殿下こそ、今度こそ王子として責任を取ってください」
殿下の肩が、びくりと揺れた。
「聖女一人に国の命運を預けるのではなく、役所も騎士団も貴族たちも、それぞれの責任をきちんと果たす仕組みを作ってください。
誰か一人が倒れたら全部が止まる国なんて、前の会社……いえ、前の国と同じです」
思わず本音が混ざってしまい、慌てて言い換える。
殿下は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「……耳が痛いな」
かすかな自嘲を含んだ声でそう言ってから、彼は椅子を離れ、こちらに一歩近づいた。
「リリアナ。俺は、お前を傷つけた責任を、一生背負うだろう。だが同時に、王太子として、この国そのものの責任も背負わねばならない」
「はい」
「今度こそ、逃げない。聖女に甘えて言い訳もしない。王としてふさわしい仕組みを作ると誓う。そのために、お前の知恵とレシピを、国のために使わせてくれ」
殿下は深く頭を下げた。
その姿には、もう昔の「聖女に甘やかされた王子様」の影はない。
「……仕方ありませんね」
私は小さく笑う。
「そこまで頭を下げられてしまっては、前の婚約者としても、カフェ聖女としても、できる範囲では協力させていただきます」
「ありがとう、リリアナ」
短い礼の言葉が、どこか名残惜しそうに響いた。
その時、隣から低い声がした。
「国のことは、お前たちが守れ」
ディルク様だ。
いつの間にか立ち上がり、テーブル越しに殿下たちを見下ろしている。
「ここは、俺たちが守る」
「瘴気がどう広がろうと、北の端にいる人間たちの暮らしを守るのが、俺の役目だ。
王都の事情で、ここで生きている者たちの生活をまた踏みにじるような真似は、させない」
きっぱりと言い切られて、アルバート殿下はまっすぐその言葉を受け止めた。
「……ああ。任せていいか」
「最初から、そのつもりだ」
短く交わされたやり取りが、私にはとても頼もしく見えた。
(王都と辺境、それぞれ守る場所がある)
私はそっと、ディルク様の袖をつまむ。
「ディルク様」
「何だ」
「国のことは王都組に任せて、ここはここで、のんびりカフェを中心に守っていきましょうね」
「ああ。そのつもりだ」
無愛想な横顔が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
暖炉の火の向こうで、殿下とクラリス様と父が、それぞれの覚悟を胸に静かにうなずいた。
この瞬間、王都と辺境の線引きが、ようやくはっきりと引かれた気がした。
(私は、ここで生きる)
カップから立ち上る湯気みたいに、私の選んだ道が、静かに天井へと伸びていく。
王都には戻らない。
けれど、そこで頑張る人たちに届くように、レシピと仕組みを乗せた紙束を送り続けよう。
(第二の人生の仕事、大幅に増えましたね)
心の中だけで苦笑しつつ、私は目の前の人たちを見渡した。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
リリアナが「国」と「辺境」、それぞれの守る場所を選んだ一話でした。
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次回も、のんびりカフェをよろしくお願いいたします。




