第34話 「嫌です」とはっきり言わせてください
翌朝の領主館は、空気まで張り詰めていた。
小さな会談室。楕円形のテーブルを挟んで、上座にディルク様、その右隣に私。向かいには王太子アルバート殿下と聖女クラリス様、そして父・グランツ公爵。
胸の内は、不思議なほど静かだった。昨夜、クラリス様と泣いて語り合い、あの日から刺さっていた棘はほとんど消えている。
残っているのは、「二度とあの場所には戻らない」という、小さくて固い決意だけ。
沈黙を破ったのは、父だった。
「……遠路はるばる、ご苦労であったな、殿下」
「ああ。こちらこそ、急な申し出を受け入れてくれて感謝する、グランツ公爵。それと――」
殿下の視線が、まっすぐ私に向いた。以前より少し痩せ、疲れをにじませた顔。その瞳には後悔と迷いが混ざっている。
「久しぶりだな、リリアナ」
「お久しゅうございます、殿下」
必要最低限の挨拶だけを返す。
クラリス様は膝の上で両手を握りしめ、俯いていた。昨夜、「それでも助けたい人がいる」と泣いていた子だ。
(彼女はもう、あの日の聖女様ではない。なら、私もあの日の悪役令嬢に戻る必要はありませんわね)
ディルク様が小さく咳払いする。
「本題に入ろう。王都からの用件を」
促され、殿下は姿勢を正した。
「……単刀直入に言う」
灰色の瞳が、私を射抜く。
「リリアナ。王都に戻ってきてくれ。俺の婚約者として、聖女クラリスと共に国を救ってほしい」
室内の空気が、一瞬で凍りついた。
クラリス様がはっと顔を上げ、父は眉間に皺を寄せる。隣で、ディルク様の指がテーブルから離れた気配がした。
「今、国は限界だ。魔物の被害は増え、クラリスひとりに背負わせてきた結果、彼女も疲弊している。お前の力が必要だ、リリアナ。
あの日の無礼は、すべて詫びる。王家として正式に謝罪する。婚約も、やり直したい。……何もかも、元に戻したいんだ」
予感していた言葉だった。
「……お返事をしてもよろしいでしょうか」
静かに口を開くと、視線が集まる。ディルク様だけは、変わらない目でこちらを見ていた。
「もちろんだ、リリアナ」
殿下の声には、期待と不安が絡んでいる。
私は背筋を伸ばし、指先を膝の上で組んだ。
「殿下。まず、確認させてくださいませ。あの日、公開の場で婚約破棄と辺境追放を宣言なさったのは、殿下ご自身のご決断で間違いありませんか?」
白い柱、冷たい石床、押し殺した笑い声。誰も助けてくれなかった大広間がよみがえる。
「聖女クラリス様の涙と、取り巻きの方々の証言だけを信じて、私を悪役だと断じられました。私の言葉はお聞きにならず、庇うこともなさらなかった。あの裁きは、殿下が選ばれたものですよね?」
殿下の喉が、ごくりと鳴る。
「……あれは、俺が決めたことだ」
「でしたら、その結果は殿下が負うべきです」
驚くほど、穏やかな声が出た。
「私はあの日、その決定を受け入れました。怖くて悔しくて、それでも『これで終わりにしよう』と決めて、馬車に乗りました。
だからこそ、今さら『元に戻したい』と言われましても、困るのです」
「困る、だと……?」
「殿下にとっては、あの日の決断をなかったことにするのは、責任の取り方のひとつかもしれません。ですが、私にとっては人生をひっくり返された日です。お試しで選んで、失敗したから戻す、という類のものではありませんわ」
前世で仕事にすり減っていた日々。今世で飾りの婚約者として過ごしていた日々。そして今、雪の街でカフェを営む毎日。
「それに殿下は、『国のために』とおっしゃいましたね」
「ああ。俺は国を――」
「国が大事なのは分かります。でも、その国のために、一人の聖女と、一人のカフェ聖女にすべてを背負わせるのは、違うのではありませんか?」
クラリス様と目が合う。赤く腫れた瞳に、罪悪感と、それでも誰かを救いたいという思いが揺れている。
「聖女クラリス様は、もう限界まで頑張っておられます。それでも足りないからと、今度は私を呼び戻して同じように酷使なさるおつもりなら、それは『国のため』ではなく『責任の押し付け』です」
「そ、そんなつもりはない! 俺は、もう間違えたくないだけだ。お前を信じなかった。クラリスに甘えていた。だから今度こそ――」
「その『今度こそ』が、甘いと申し上げているのです」
私は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「殿下は、何度でもやり直しがきくお立場です。決断を改めれば、周囲が整えてくれる。謝罪の場も、償いの手段も、いくらでも用意できるでしょう」
けれど、と続ける。
「私の人生には、リセットボタンはございません。あの日の痛みも、辺境へ来てから積み上げた日々も、一度きりです」
薪のはぜる音、カウンター越しの「美味しい」の笑顔。戦いから戻った兵士がスープに肩の力を預ける姿。泣きそうな人が、甘いお菓子で少し笑ってくれる瞬間。
「ようやく私は、『ここにいていい』と思える場所を手に入れました。今の私は、とても幸せです。だから――」
言葉を区切り、殿下をまっすぐ見据える。
「王都に戻るつもりは、ございません」
殿下の瞳が揺れた。
「り、リリアナ……」
「殿下の謝罪は、受け取ります。クラリス様の謝罪も、昨夜きちんと受け取りました。ですが、それとこれとは別問題です。
あの日、私を手放したのは殿下ご自身。今さら都合よく『やり直し』にされるのは、困るのです」
深く息を吸い、最後の一歩を踏み出す。
「改めてお返事いたします。『王都に戻ってきてくれ』という殿下のお申し出に対する、私の答えは――」
一拍置いて。
「嫌です」
静寂が、重く降りた。
クラリス様が小さく息を呑み、父の指先がわずかに震える。殿下は握りしめた拳を見つめたまま動かない。
「……そうか。本当に……お前を失ったのか」
「最初に手を離されたのは、殿下ですよ」
責めるというより、事実を確かめるだけの声だった。
「世間で言うところの『ざまぁ』というものかもしれませんわね」
ぽつりと漏らすと、肩の力がふっと抜けた。
長い沈黙のあと、隣で椅子の脚がぎ、と床を鳴らした。
ディルク様が、静かに立ち上がる。その背中から、「ここから先は俺の番だ」と言うような、揺るぎない意志が伝わってくる。
私はそっと息を吐き、膝の上で指を組み直した。
窓の外では、雪が静かに強さを増していた。辺境の空そのものが、私の答えを肯定してくれているように感じながら。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ついにリリアナが、あの日の決断に自分の言葉で「嫌です」と言い返しました。これは彼女のざまぁであり、新しい人生への正式な宣言でもあります。
次回はいよいよ、立ち上がったディルク様のターンです。
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