第32話 元婚約者一行、雪の街に現る
王家の紋章旗が、雪の街を揺らした。
「リリアナ殿。閣下がお呼びです。至急、領主館へ」
仕込み中のカフェに飛び込んできた兵士は、白い息を切らしてそう告げた。通りの先に、豪奢な馬車の影が見える。屋根の上で翻る赤い旗。金の紋章。
(……本当に、来たんだ)
父からの手紙。聖女クラリスの過重な任務と、王都の危機。それを読んだとき覚悟はしていたが、現物の旗を見れば胃がきゅっと縮む。
「マリア、店をお願いします」
「承知しました。……リリアナ様」
「大丈夫です。ただの話し合いですよ」
厚手のコートを羽織り、私は雪の上に踏み出した。
◇
領主館の前には、黒い馬車が横付けされていた。扉をくぐったところで、低い声が私を呼ぶ。
「リリアナ」
振り向けば、黒いマントの男。ノルドハイム辺境伯、ディルク様だ。
「呼びつけて悪い」
「いいえ。王都からの客人、ですよね」
「ああ。王太子殿下と聖女殿、それから……お前の父君だ」
最後の一人に、胸の奥がひときわ強くざわつく。
「お前も同席してくれ。席は俺の隣だ」
「えっ」
思わず間抜けな声が出た。
「その……後ろの方で静かに見ている、ではなく?」
「お前の居場所は、ここだからな」
当たり前のように言われて、言葉が喉で止まる。
王都では断罪された公爵令嬢。ここでは、小さなカフェの店主で、領主が守るべき誰か。
「……はい」
私は小さくうなずいた。
◇
領主館の大広間は、壁にノルドハイムと王家の紋章旗が並び、いつもより少しだけ華やかだった。
長いテーブルの片側、上座にディルク様。その隣に、私用の椅子が一脚。
向かい側には、王都からの一行が並んでいる。
金の髪を整えた青年。かつての婚約者、アルバート殿下。
その隣で、小さく身を縮めている栗色髪の少女。聖女クラリス。
そして、灰色の瞳をした男。グランツ公爵家当主、私の父。
「……久しぶりだな、リリアナ」
先に口を開いたのは、アルバート殿下だった。以前よりやつれて見える。
私は立ち上がり、礼儀通りに裾をつまんで一礼した。
「お久しゅうございます、アルバート殿下」
それだけ。余計な言葉も、感情も添えない。
(ゲームだったら、ここで泣きながら縋るイベントだったんだけどね)
前世の記憶が、心の中だけで冷静にツッコミを入れる。
「……リリアナ」
父が、小さく名を呼んだ。
「お久しゅうございます。お父様」
頭を下げると、父は一瞬だけまぶしそうに目を細めた。その意味を考えるのは、今ではない。
「座れ」
ディルク様が椅子を引く。私は促されるまま、彼の隣に腰を下ろした。
「ディルク殿」
父が目を細める。アルバート殿下も、わずかに表情を引き締めた。
その視線を真正面から受け止めながら、ディルク様は無表情に口を開く。
「先に言っておこう。リリアナは、この領の大切な人間だ」
静かな声が、大広間に響いた。
「王都でどう扱われていたかは関係ない。ここでは俺の客であり、仲間であり、領民だ。彼女を傷つける言葉は、誰であろうと許さん」
(うちの辺境伯、かっこよすぎません?)
内心で転げ回りながら、私は必死で顔の筋肉を制御した。
アルバート殿下は、苦い笑みを浮かべる。
「……そこまで信頼されているとは、知らなかった」
「それだけのことをしてもらったからな」
ディルク様は淡々と返し、その視線をこちらへ送ってくる。
私は小さくうなずき返した。
◇
形式的な挨拶が交わされたあと、アルバート殿下が改めて口を開いた。
「まずは、現状の報告をさせてほしい」
瘴気の濃度が増していること。魔物の出現が相次ぎ、街道も王都も消耗していること。聖女クラリスの力だけでは、もう支えきれないこと。
そのたびに、クラリスは小さく身を縮めていた。顔色は悪く、肩が震えている。
「わ、わたしの力が足りないせいで……」
か細い声。以前の、甘えるように笑っていた少女とは違っていた。
私は彼女と目が合わないよう、視線をテーブルへ落とす。
「本題に入ろう」
父の低い声が、場の空気を締めた。
「本日の目的は、辺境の『カフェ聖女』に協力を仰ぐことだと聞いている。殿下」
「ああ」
アルバート殿下は、私をまっすぐ見た。
「リリアナ。国は今、危機に瀕している。聖女クラリスの補佐として……いな、王都を立て直すために、きみの知恵と力を貸してほしい」
懇願と責任が混ざった瞳。それでも、以前のような軽さはもうない。
私は一拍置き、ゆっくりと口を開いた。
「身に余るお申し出、痛み入ります。ですが」
そこで、隣のディルク様を見る。彼は何も言わず、静かにこちらを見守っている。
ここが、私の居場所。
「詳しいお話をうかがう前に、一度、整理する時間をいただけますか」
アルバート殿下の眉が、わずかに動いた。
「……分かった。こちらからも、資料を用意しよう」
父が小さくうなずく。
「では、本日はここまでとしよう。続きは明日、またこの場で」
そうして、初日の会談はお開きになった。
◇
大広間を出て歩く廊下は、さっきまでの緊張が嘘のように静かだった。窓の外では、細かな雪が舞っている。
「疲れたか」
隣を歩くディルク様が、ぽつりと尋ねた。
「少しだけ。けれど……大丈夫です」
私は胸に手を当て、小さく息を吐く。
「明日、ちゃんと答えを出します」
「ああ」
短い返事。でも、その一言に、変わらない信頼がこもっていた。
雪の街に現れた元婚約者一行。過去と現在と未来が、静かな辺境で交差しようとしている。
その中心で、私は自分の選ぶべき場所を確かめようとしていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
王都組がついに辺境へ乗り込み、リリアナの前でそれぞれの「今」が顔を見せ始めました。
あなたなら、どんな答えを選びますか?
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次話も全力で甘く波乱に書いていきますので、お付き合いいただけたら嬉しいです!




