第31話 「カフェ聖女」の噂、王都を駆ける
王都の空は、鉛を流したような色をしていた。
王城奥の会議室。長卓の上には地図と報告書の山が積まれ、王家の重臣と高位貴族、壁際には白衣の神官たちが並んでいる。
「……では、次の案件に移ろう」
国王の低い声に、ざわめきがしぼんだ。
「北方ノルドハイム辺境からの報告だな」
合図を受け、若い文官が前へ進み出る。緊張で指先をこわばらせながら封を切り、紙束を広げた。
「はっ。まず、魔物出現件数の推移ですが──」
討伐回数や被害状況が淡々と読み上げられていく。ここまでは、最近続いているどの会議とも変わらない。
──途中までは。
「……以上が、ここ一月の戦況です。なお」
そこで、文官の声色がわずかに変わった。
「同領にて、兵士および市井の者たちの間で、ある噂が広く囁かれているとの報告が複数上がっております」
「噂だと?」
重臣の一人が鼻を鳴らす。国王が顎で続きを促すと、文官は一枚の紙を掲げた。
「はい。行商ギルド所属の行商人、および王都から派遣した密偵の証言をまとめたものです。曰く──」
一瞬ためらい、文官は言葉をつむぐ。
「『カフェ聖女』と」
「聖女だと? 聖女はクラリス殿下一人のはずだ」
「町で流れる与太話まで、この場に持ち込むとはな」
冷ややかな声がいくつか飛ぶ。国王はそれを受け流すように短く告げた。
「続けよ」
「はっ。『カフェ聖女』と呼ばれているのは、ノルドハイム領都にある小さな店の女主人とのこと。穀物を焙煎した黒い飲み物や、体を温めるスープを提供し──」
文官は紙を追いながら読み上げる。
「それらを口にした者の体調が整い、疲労が軽減。不眠や冷えが改善し、戦士の持久力や集中力も上がると。先日の総力戦では、臨時の後方支援拠点として機能したとの記述もございます」
「茶番だ」
白い法衣の高位神官が、椅子を軋ませて立ち上がった。
「そんなものは神の奇跡ではない。ただの飲食物に、聖女と肩を並べる力などあり得ぬ」
「しかし、報告は複数ございます。負傷兵の生存率や、現地兵の士気の高さも──」
「黙りなさい」
神官の声が、ぴしりと室内を裂いた。
「奇跡をもたらすのは、唯一、光の母神と、その加護を受けた正統なる聖女のみ。教会に属さぬ者が癒やしを施すなど、異端の芽そのものです」
張りつめた沈黙が落ちる。
国王は視線を巡らせ、それから別の名を呼んだ。
「……アルバート」
「はい、陛下」
王太子は椅子から姿勢を正した。金の髪はきちんと整えられているが、その瞳の下には薄い隈が浮かんでいる。
「聖女の様子はどうなっている」
「瘴気浄化の儀を続けておりますが、瘴気の上昇に回復が追いついておりません。昨夜も儀の最中に倒れかけ、付き添いの神官が中断させたと」
青ざめたクラリスの顔が、アルバートの脳裏に浮かぶ。
それでも彼女は、「大丈夫ですわ」と無理に笑おうとしていた。
「ゆえにこそ、異端などに頼るべきではないのです」
高位神官がすかさず畳みかける。
「聖女様は、祈りに専念できる環境さえ整えればよい。余計な噂に惑わされるべきでは──」
「奇跡を待つ間に、どれだけの兵が倒れたか」
重臣の一人が、ぼそりとこぼした。
国王が、その言葉にうなずくように口を開く。
「今の我らに、余裕はない」
短くそう告げると、手元の報告書をめくった。
「……ふむ。件の『カフェ聖女』とやらの名は、リリアナ・フォン・グランツ」
その名を聞いた瞬間、アルバートの心臓が大きく跳ねた。
「……今、なんと」
「辺境の店を切り盛りする女主人の名だとある。グランツ公、間違いないか」
視線が、貴族席の一角に集まる。
氷のように冷徹と噂されるグランツ公爵は、わずかに眉を動かした。
「……報告書にある通り、我が娘の名です。ノルドハイム辺境伯領に送られたのも、事実」
淡々とした声に、ごく薄い震えが混じる。
アルバートは紙面の文字を凝視した。
リリアナ・フォン・グランツ。
大広間の光景がよみがえる。
吊り下がるシャンデリア、詰めかけた貴族たち、泣き崩れるクラリス。
自分は彼女を庇いながら、声高に婚約破棄を宣言した。
『それでは殿下。どうか末永く、お幸せに』
リリアナは静かに頭を垂れ、礼儀正しく微笑んでいた。
泣いて縋るだろう、恨み言を叫ぶだろうと決めつけていたのは、他ならぬ自分だ。
(……あれから、彼女は辺境で)
寒さと魔物の地で、誰かのために店を開いているというのか。
「王太子殿下」
高位神官が問いかける。
「その女は、あなたの元婚約者であったとか。陛下に進言なさることは?」
挑むような声音。
アルバートは、ゆっくりと息を吸い、吐いた。胸の内では、いくつもの声がぶつかる。
今さらどの面下げて、と叫ぶプライド。
国を守る責任がある、と告げる理性。
切り捨てた相手の力に縋ろうとする、自分への嫌悪。
「……国のために必要であるなら」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「利用できるものは、すべて利用すべきです。彼女が本当に人々を癒やす力を持っているのなら」
視界の端で、グランツ公爵の肩がわずかに動く。
「聖女クラリス一人にすべてを背負わせるのは、もはや限界です。彼女の補佐を名目に、辺境の女──リリアナの力を借りるべきだと、俺は考えます」
「殿下!」
神官が、思わず声を荒げた。
「異端の疑いがある者を、聖女様に近づけるなど──」
「異端かどうか、確かめに行くのだ」
国王の声は静かだが、揺らがない。
「『カフェ聖女』が真に民を癒やす力を持つのか。異端なら排除もやむなし。だがもし、国を救う一助となるならば……」
そこで一度言葉を切り、国王は短く息を吐いた。
「我らは、過去の判断の誤りを認める覚悟を持たねばならぬ」
教会側の顔色が変わる。
反論の気配を、重臣たちの視線が押しとどめた。
「派遣の人選は、いかが致しますか」
文官の問いに、アルバートはすぐに口を開く。
「俺が行きます、陛下」
「自ら行くと?」
「はい。瘴気の濃い辺境への旅路は危険ですが、聖女クラリスの力も必要になるはずです。彼女も同行させてください」
会議の端で控えていたクラリスは、驚いたように目を見開き、それから俯いて震える唇を噛んだ。
「……それに」
アルバートは拳を握りしめる。
「俺が、あの日、彼女を辺境へ送った張本人です。責任は、取るべきでしょう」
国王は頷いた。
「よかろう。王太子アルバート、聖女クラリス、そしてグランツ公爵。三名を代表として、ノルドハイム辺境伯領へ派遣する」
「畏まりました」
アルバートは深く頭を垂れた。
それでも、行かねばならない。国のために、クラリスのために。
──こうして、王都を出発する馬車の準備が静かに始まった。
雪深い辺境のカフェに、「元婚約者ご一行様」が向かう少し前のことだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
辺境カフェに、よりによって「元婚約者ご一行様」が向かうことになりました。リリアナがどんな顔をするのか、私もドキドキしながら書いています。
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