番外編2 王都の聖女は、辺境の噂を聞く (クラリス視点)
今日は、何人目だったかしら。
光の粒が、私の指先からこぼれ落ちていく。
ベッドの上の青年の顔色が、少しだけましになった。
「次、こちらをお願いします、聖女様」
「……はい」
神官様の声に応じて、私はまた隣のベッドへと歩く。
足が少しふらついたけれど、誰も気づかなかったふりをしてくれた。
王都の大教会の治療室は、今日も人でいっぱいだ。
瘴気に当てられた人、怪我をした兵士、働きすぎて倒れた人。
みんな、助けを求めて私を見る。
(私が聖女である限り、応えなくちゃいけない)
そう思うたびに、胸の奥で固く結ばれた糸が、少しずつギリギリと音を立てる気がする。
◇
日が暮れて、ようやくひと区切りがついた頃。
「本日の治癒はここまでといたしましょう。聖女様、少しお休みを」
神官長様がそう言ってくれた。
私はうなずいて、礼拝堂の片隅にある小さな控え室に下がる。
椅子に腰掛けた瞬間、全身から力が抜けた。
「ふう……」
指先がじんじんする。
さっきの最後の光は、いつもより弱かった気がする。
(でも、まだやれる。まだ、やらなきゃ)
そう思い直したところで、扉がノックされた。
「クラリス殿。少し、よろしいか」
入ってきたのは、王城からよく来る文官の人と、見慣れない旅装束の男性だった。
「本日はご苦労だった、聖女殿。少し伝えねばならぬ情報があってな」
「……情報、ですか?」
私は背筋を伸ばす。
宮廷の話は、たいてい重い。
旅装束の男が、頭をかきながら口を開いた。
「俺は行商人のラウルって言います。南から北まで、あちこちふらふらしてる者で。今回は北の辺境から戻るついでに、ちょっと変わった噂をお届けに」
「辺境?」
思わず聞き返してしまう。
ラウルと名乗った男は、楽しそうに笑った。
「ええ。ノルドハイムっていう寒いとこがありましてね。そこで、とんでもなく不思議なカフェを見つけたんですわ」
「カフェ……?」
私は思わず身を乗り出した。
カフェ。
前に、一度だけ王都の小さな喫茶店に連れて行ってもらったことがある。
甘いお菓子と温かい飲み物と、小さなテーブル。
あの時間は、少しだけ普通の女の子にもどれた気がした。
「その店じゃあ、ただのご飯じゃなくてですね。食べると体が温まるのはもちろん、心まで軽くなるって評判なんですよ」
ラウルは、手振りを交えて続ける。
「疲れた兵士が一杯飲んだら、すっと立ち上がってもう一戦行けるとか。寝込んでた人が、数日でけろっと起き上がるとか」
私は、神官様たちの顔色が変わるのを感じた。
同じように、胸の奥で何かがちくりと痛む。
「……それは、その方が、神の奇跡を?」
思わず口から出た言葉に、ラウルは少しだけ肩をすくめた。
「さあ、そこは俺には分かりませんけどね。ただ、街じゃもう、その人のことを」
一瞬、言葉を区切ってから、彼は少しおどけた調子で言った。
「カフェ聖女、なんて呼んでまして」
控え室の空気が、ぴんと張り詰めた。
神官長様が、低い声で問いかける。
「その者の名は。出自は分かるか」
「名前は……ええと、確か、リ……」
ラウルはそこで、わざとらしく口をつぐんだ。
私の心臓が、どくんと跳ねる。
(リ……?)
知っている名前が、頭の中で勝手に浮かんで、私は慌ててかき消した。
でも、一度浮かんでしまったものは、簡単には消えてくれない。
(リリアナ様)
王太子殿下の元婚約者。
私が、守られたくて。愛されたくて。
そして、嘘をついたことで、悪役にされてしまった人。
私の胸の奥の、一番触れたくない場所の名前。
「詳しい身分までは存じません。ただ、料理と不思議な力で人を救う、ってことだけは確かで」
ラウルの言葉が続いているのに、耳にうまく入ってこない。
神官長様と文官の人が何かを話し合っている気配がする。
「辺境」「女神の加護」「聖女候補」という言葉が聞こえた。
私は、自分の膝の上で握りしめた両手を見つめた。
ひび割れた爪。魔力を流しすぎて少し痺れた指先。
(もし、本当に、同じような力を持つ人がいるなら)
ずっと一人で抱えてきた重さを、少しだけ分けてもらえるのかもしれない。
そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。
でも同時に、別の感情がひやりと顔を出した。
(私よりも、ずっとすごい、本当の聖女だったら)
私の居場所は、どうなるのだろう。
殿下は、国は、教会は。
そして、彼女は。
私が奪ったものを、責めるだろうか。
笑うだろうか。
それとも、優しいあの瞳で、ただ首をかしげるだけだろうか。
答えは、分からない。
分からないからこそ、怖い。
◇
報告が一通り終わった後、私はひとり、礼拝堂に戻った。
高い天井から、夕方の光が差し込んでいる。
ひざまずいて、両手を組む。
「光の大いなる母神様」
小さく、声に出して祈る。
「どうか、その方が……辺境のカフェ聖女と呼ばれている方が、本当に人々を救っておられるなら」
そこで一度、言葉が詰まった。
喉の奥から出てこようとする小さな本音を、飲み込むかどうか迷って。
結局、私はそっと続ける。
「いつか……普通のお客として、そのカフェに行けますように」
聖女としてではなく。
王太子殿下の側にいる人としてでもなく。
ただの、ひとりの女の子として。
温かいスープを飲んで、「おいしいですね」と笑って言えるように。
もし、その時が来たら。
私はきっと、ちゃんと謝らなければいけない。
それが怖くても。
それでも、そうしたいと思う自分がいる。
祈りを終えて顔を上げると、窓の外の空は、少しだけ北の方角が明るく見えた。
そこに、噂のカフェがあるのだろうか。
知らない街角、小さな扉。
扉を開ければ、あたたかい湯気と、香ばしい匂いと、誰かの笑い声。
私はまだ、その匂いも味も知らない。
でも、いつかきっと。
その時まで、私もここで、できる限りのことをしよう。
北の辺境で生まれたという、もうひとつの光が、消えてしまわないように。
祈りの言葉を胸の中で繰り返しながら、私はそっと目を閉じた。
番外編2まで読んでくださりありがとうございます。
今回はクラリス視点で、「奪ってしまった側の罪悪感」と「それでも触れてみたい温かな世界」を描いてみました。
辺境のカフェと王都の聖女、その距離感やいつかの邂逅にわくわくしていただけたなら嬉しいです。
続きが気になる、と少しでも思っていただけましたら、評価やブックマークで応援してもらえると励みになります!




