番外編1 カフェ見習い、戦士たちの朝を走る (ノエル視点)
その朝、俺は鐘の音で目を覚ました。
「……なんだよ、まだ外暗いじゃん……」
布団から這い出して窓の外を見た瞬間、眠気が吹き飛ぶ。
北の空に、赤い煙が上がっていた。見張り塔の狼煙だ。
「魔物か!」
心臓がどくんと鳴る。完全武装の兵士たちが、通りを駆け抜けていくのが見えた。
こんな時、昔の俺なら家に閉じこもって震えてるだけだったと思う。
でも今の俺には、走る場所がある。
「やっべ、急がないと。リリアナさんとこ!」
服だけ引っつかんで着替えると、外の冷気に顔をしかめながら路地を駆けた。雪を踏みしめる音と、兵士たちの鎧のきしみが混ざり合う。
◇
カフェの戸を開ける前から、中の熱気と匂いが分かった。
肉と野菜とスパイスの、濃くてあったかい匂い。
「ノエル、来たわね!」
カウンターの向こうで、リリアナさんがエプロン姿で振り向く。
髪はいつもよりざっくりまとめていて、頬も少し赤い。すでに全力モードだ。
「今日、総出撃みたい。ここは臨時の後方拠点ってことでって、ディルク様から」
「うわ、マジで本気のやつだ……!」
ストーブの横では、大鍋がいくつもぐつぐつと煮えている。
マリアさんが手際よく味見をして、次々とパンと器を並べていた。
「ノエル君は、まず薪と水ね。あとは……そう、外の臨時カウンター用にテーブルを運びましょう」
「了解!」
俺は返事をして、裏口から走り出る。
冷たい空気の中で、さっきまでの眠気なんて跡形もない。
俺の手で運んだ薪が、戦う人たちを温める。
俺の手で運んだ水が、スープになる。
そう考えると、胸の奥がじんわり熱くなる。
◇
中央広場の端に、簡易の台を出して、布をかける。
そこが今日だけの、戦士専用カウンターだ。
息を吐くたびに白い煙が上がる。そこへ、鎧姿の兵士たちが列を作り始めた。
「こっち、空いてます! 順番にどうぞ!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。
昔なら、こんな大人に向かって叫ぶなんて無理だったのに。
カウンターでは、リリアナさんがひたすらスープをよそい、穀物コーヒーを淹れている。
《生活鑑定》ってやつで、ひとりひとりの顔色を見て、塩加減や濃さを変えているらしい。
正直、俺には見えないけど。
「熱いから気をつけてくださいね。今日は、体力と集中力が持つように調整してあります」
いつもより少しだけきゅっと結ばれた口元で、リリアナさんがそう言うと、兵士のおっさんたちが照れくさそうに笑う。
「カフェ聖女様のスープってやつだな」
「変なあだ名、誰が言い出したんですかもう」
そう言いながら、リリアナさんの耳がほんのり赤くなる。
そういうところ、ちょっと可愛いと思うのは内緒だ。
◇
「ノエル、そっちの列、カップ足りてる?」
「あと3個で切れる!」
「じゃあすぐ持っていくから、返却用を回収してきて!」
「任せろ!」
俺は空になったカップを両手いっぱいに抱えて、雪を蹴る。
兵士たちの鎧が肩に当たっても、もう怖くない。
「小僧、悪いな。助かる」
「へへ。飲んだらちゃんと返してよね。割ったら給料から引くから」
「給料もらってんのか、ちゃんとしてるな!」
笑い声が、寒い空気を少しだけ温かくしていく。
その中に、ひときわよく通る低い声が混ざった。
「列を詰めろ。時間がない」
振り向けば、ディルク様がいた。
いつものコートの上に鎧を着込み、マントの裾には雪がついている。
「ディルク様!」
思わず背筋を伸ばした俺に、ディルク様はほんの少しだけ顎を動かした。
「ノエル。ここは任せた」
「……はい!」
短い言葉なのに、ずしんと重い。
でも、嫌な重さじゃない。
任された。ちゃんと、戦ってる人と同じ場所で。
◇
やがて、列は途切れた。
広場の空気が一度静まり、次の瞬間、兵士たちが一斉に北門の方へ走り出す。
鎧がぶつかり合う音、掛け声、雪を蹴る音。
その背中を見送りながら、俺はぎゅっと拳を握った。
「……絶対、全員で戻ってこいよ」
誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやいた声は、湯気に紛れて消えた。
◇
どれくらい時間が経ったのか、正直よく覚えていない。
鍋をかき混ぜては味を見て、カップを洗って、薪を足して。
気づけば、空は薄い灰色から、少しずつ明るくなっていた。
「戻ってきた!」
誰かの叫び声に、心臓が跳ねる。
北門の方から、泥と血と雪まみれの兵士たちが戻ってくるのが見えた。
怪我をしている人もいる。肩を貸し合っている人もいる。
それでも、その足取りははっきりしていた。
「お帰りなさい! 座れるところからどうぞ!」
リリアナさんの声が響く。
俺も、空いている椅子を引っ張り出して、次々にスープを配っていく。
「はい、戦士の一杯!」
「……生きて帰って、飲むのが目標だったんだ」
カップを受け取った兵士が、笑いながらそう言った。
その笑いは、さっきよりずっと柔らかい。
隣でスープを飲んだ別の兵士が、小さく息を吐く。
「これ飲むとさ、不思議と怖いのがちょっと薄くなるんだよな」
「それ、多分塩分と温度と栄養と愛情のせいですよ」
リリアナさんが冗談めかして言うと、周りの空気が少しだけ弛んだ。
俺はカップを持つ手を見つめる。
冷たいはずなのに、指先まであったかい。
ここは戦場じゃない。剣も槍もない。
でも、誰かが帰ってくる場所を守るのだって、戦うことだ。
「なあ、小僧」
さっきも列にいた、髭面の兵士が手招きした。
「さっきのスープ、うまかった。今度、戦い抜きじゃなくて……休みの日にも飲みに来ていいか?」
「当たり前でしょ。次はもっと落ち着いて飲ませるから」
「約束だ。生きて、また来る」
そう言って笑う顔を見ながら、俺は胸の中でそっと、同じ言葉を繰り返した。
(生きて、また来いよ)
カフェの看板も薪もカップも、俺が守る。
ここは、戦士たちの帰る場所で、俺の戦う場所だから。
◇
夕方、やっと一段落した頃。
片付けをしながら、リリアナさんがぽつりと言った。
「ねえ、ノエル。今日、すごく頼りになったわ。ありがとう」
「べ、別に。俺は走ってただけだし」
「走る人がいなかったら、スープもコーヒーも届かないもの」
ふわっと笑う顔を見て、なんだか耳のあたりがむずがゆくなる。
「……じゃあ、次も走ってやるよ」
「次は、もう少し穏やかな理由で走れるといいわね」
「例えば?」
「新作おやつの試食とか」
「それは全力で走る!」
思わず笑ってしまった声が、まだ少し冷たい夕焼け空に吸い込まれていった。
番外編1を読んでくださりありがとうございます!
今回はノエル視点で、「剣を持たなくても守れる場所がある」をテーマに書いてみました。
戦士たちの帰る場所としてのカフェを、少しでも好きになってもらえたら嬉しいです。
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