第30話 初めての領都総力戦と、カフェ後方支援
夜と朝の境目で、北の見張り塔に赤い光が咲いた。
「……狼煙」
胸の奥がぎゅっと縮む。すぐに扉が乱暴に開いた。
「リリアナさん、北から魔物の大群が! 総出撃です!」
報告に来た兵士の顔色は真っ青だ。《生活鑑定》を走らせる。
恐怖+3
緊張+3
疲労+1
(本番、来た)
前世ならここで「徹夜確定」の通知が飛んできた。でも今の私は、辺境伯領のカフェ店主だ。
「ありがとうございます。――マリア、ノエル!」
「はい!」「なにごとですか!」
「予定変更です。ここから戦士用スープを量産します。ノエルは水と薪の確保。マリアは具材を刻んで。《集中力アップスープ》を戦闘仕様に組み換えます」
「戦闘仕様!」
「持久力と体温維持、あと緊張ほぐしです。出撃前も、戻ってきた時も、すぐ渡せるように広場に臨時カウンターを出します」
怖くないわけがない。けれど、胸の奥で小さな炎が灯る。
(今度こそ、誰も見捨てない)
◇
夜明け前の中央広場に、焚き火と大鍋が並ぶ。穀物コーヒーの香りが、白い息に混ざって立ちのぼる。
「こっちが戦士の一杯! こっちは持久力スープ! こっちは緊張ほぐしハーブミルクです!」
ノエルの声に、列を作った兵士たちの視線が集まる。
私は鍋と兵士を交互に《生活鑑定》した。
恐怖+2
集中力+1
スープを渡すと、数字が変わる。
恐怖+1
集中力+3
体温+1
強張っていた顔が、少しだけ人間味を取り戻していく。
「うま……」
「胸がすっとする……」
「今日のは特別仕様なので。『ちゃんと戻ってくる』人の味付けです」
笑い声が、小さく波紋のように広がった。
「出るぞ!」
よく響く低い声に、顔を上げる。
完全武装のディルク様が、騎士団と兵士たちを従え、北門へ向かって歩き出すところだった。
「ディルク様!」
一瞬だけ、灰色の瞳がこちらを向く。
「リリアナ。ここは任せた」
「はい。皆さんを、ちゃんと送り出して、ちゃんと迎えます」
「必ず戻る」
短くそう告げて、彼は背を向ける。
「……行ってらっしゃいませ。全員、帰ってきてくださいね」
白い息に乗せた願いが、鎧の列を追いかけていった。
◇
そこからの時間は、速いのか遅いのか分からない。
角笛の音。城壁の向こうから届く獣のうなり。空気を震わせる衝撃。
私は鍋をかき混ぜ、追加スープを前線に運び込もうと駆け込んでくる兵士をつかまえては、《生活鑑定》を叩き込む。
疲労+3
士気+4
「あなた、ぎりぎりです。この回復スープを飲んでから行ってください」
「でも――」
「倒れたらもっと遅くなります」
きっぱり言うと、兵士は観念したようにカップをあおった。
倒れてから休むより、倒れる前に休ませた方が、全体の効率はいい。戦場でも。
「リリアナさん!」
ノエルの叫びに顔を上げると、北門側から担架が運び込まれてきた。
鎧はひしゃげ、衣服は血と黒い煤で汚れている。瘴気の焦げた匂いが鼻を刺した。
「教会はもう満杯だ! これ以上は運べないって……!」
私は担架のそばに膝をつき、《生活鑑定》を発動した。
出血:中
瘴気汚染:大
体温:下降中
意識:不安定
(間に合わせる)
頭の中でレシピが組み替わる。鉄分多め、消化に優しい具材、浄化ハーブ。塩分と水分は少しずつ。
「マリア、回復スープを戦場仕様に変えます。あの時のメモ、覚えてますね」
「もちろんですとも!」
「ノエル、火を強めて。浄化ハーブを全部」
「了解!」
野菜と豆を刻み、骨から取った出汁に放り込む。《生活鑑定》で鍋を覗く。
体温+1
瘴気浄化補助+1
精神安定+1
「……よし」
私は慎重に冷まし、小さなカップに注いで兵士の唇にあてた。
「少しずつでいいです。飲めますか?」
喉がかすかに動く。一口、二口。
数字が変わる。
体温:下降中→横ばい
瘴気汚染:大→中
意識:不安定→微弱
胸の奥がじん、と熱くなる。
「ちゃんと戻ってきてください。皆さんのところに」
呟きながら、私は次の鍋に向き直った。
◇
気づけば、東の空が淡く白み始めていた。雪の上に朝焼けの色が滲みはじめる。
「……終わったのか?」
誰かの声。それに答えるように、北門の方角から歓声が上がった。勝鬨だ。
膝から力が抜けそうになる。でも、その前に。
「マリア、ノエル。ラストスパートです。戻ってきた皆さんに、一番あったかい一杯を」
「はい!」「任された!」
すぐに、傷だらけの鎧をまとった兵士や騎士たちが、雪を踏みしめて広場になだれ込んできた。
疲労と安堵が入り混じった顔。そのどれもが、生きている。
「おかえりなさいませ」
カウンター越しにそう告げると、何人かが照れくさそうに笑う。
「ただいま、カフェ聖女さん」
「だからその呼び名はやめてくださいってば!」
抗議すると、周りの空気がふわりと和んだ。
カウンターの端に、どさりと腰を下ろす気配がする。
「ロルフさん!」
「大丈夫じゃねえけど、生きてるからセーフ」
へろへろ笑う彼の前にスープを置くと、一口飲んだ瞬間、《生活鑑定》の数字が跳ね上がる。
士気+5 安心感+5
「この店が、後ろにあったから生き残れたんだと思う」
返す言葉に困っていると、別の兵士が笑う。
「戦いの合間に一口飲むたび、『まだ行ける』ってな」
胸の奥がじわりと熱くなり、視界が霞む。
「皆さんが前で戦ってくださったからです。私は、後ろでお湯を沸かしていただけで」
「そのお湯が、命綱なんだ」
奥の特等席から、よく通る声がした。
見ると、甲冑の留め具を外したディルク様が、静かにこちらを見ていた。腕には新しい傷、けれど瞳は、どこか誇らしげだ。
「ここがあったから、俺たちは戻ってこられた。……ありがとう、リリアナ」
真正面からの感謝に、何かがぷつりと切れる。
「っ……ずるいです、そういう言い方」
頬を熱いものが滑り落ちる。今日は、泣いてもいい。
「こちらこそ。帰ってきてくださって、ありがとうございます」
カップを握りしめながら、強くそう告げる。
この小さなカフェは、もう私だけの夢じゃない。
戦う人たちの背中を押し、街の人たちが帰ってくる場所。
(だったら私は、ここで、何度でも鍋に火を入れよう)
私はここで、辺境のカフェ店主として、皆のごはんを作る。
薪がぱちりと音を立て、白い湯気が新しい朝に溶けていった。
今回も読了ありがとうございます!
命がけの戦いの裏側で、リリアナたちが必死に「日常」を守る回でした。
ようやくカフェが街の「心臓」として認められつつありますが、その分「カフェ聖女」の噂や教会・王都との火種も、じわじわ育っています。
続きを書く力は、みなさまの評価やブックマーク、感想からいただいています。
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