第27話 偽旅人たちと、居心地の良さという罠
「……情報部の仕事って、たまに寒すぎません?」
毛皮のフードを押さえながら、若い男がぼやく。末っ子密偵のミゲルだ。
「仕事に気温は関係ない」
先頭を歩く黒髪の男、ユリウスが淡々と答える。
「王都から『辺境のカフェ聖女を確認せよ』と任務が下った。それだけだ」
「聖女って、あのクラリス様みたいな?」
隣で歩くレナが、白い息を吐きながら首をかしげる。
「食事で瘴気を和らげる女だそうだ。教会筋は半分警戒、半分期待。俺たちは、反乱の芽かどうかを見極める」
「また物騒な」
レナは肩をすくめ、ちらりと前を見た。
「でもさ。女の人が自分のお店を持って、そこで人を癒やしてるって話、ちょっと憧れるなあ」
「任務中だ、レナ」
「はいはい、分かってますって。ね、ミゲル?」
「俺はうまい飯が食えればだいたい賛成です」
「お前は少しは警戒しろ」
ユリウスがため息をついたところで、城壁と門が見えてきた。雪に縁取られた石造りの街、ノルドハイムだ。
◇
「旅の方ですか? でしたら――」
城門で通行証を確認した兵士は、三人をじろりと眺めたあと、にかっと笑った。
「この寒さなら、中央広場のそばのカフェが一番ですよ。暖炉もあるし、腹も満たせる。領主様もよく通う店でして」
「領主も?」
ユリウスが小さく反復する。
「ええ、『のんびりカフェ』って店で。……あっしらもよく世話になってます」
兵士の声には、隠しようのない誇らしさが滲んでいた。
三人は互いに目配せする。
「……狙い通りだな」
短くそう告げて、ユリウスは雪道を広場へと向かわせた。
◇
「いらっしゃいませ。本日も、のんびりカフェへようこそ」
昼どきの波がひと段落したころ、私はカウンターの中で穀物コーヒーの粉を量っていた。
扉の鈴が鳴り、見慣れない三人組が入ってくる。厚手のコートの裾には、街道の雪がまだ残っていた。
「お、お客さんだ。いらっしゃいっす!」
ノエルが元気よく飛び出し、席へと案内する。
「旅の人? だったら、これがおすすめだよ。リリアナさん特製、旅の疲れほぐしセット!」
「旅の……?」
黒髪の男が片眉を上げる。私は慌てて補足した。
「長旅で冷えた体に優しい、根菜と豆のスープと、自家製の香ばしい穀物コーヒー、それからハーブクッキーの三点セットですわ。塩分と水分、糖分をほどよく補給できますの」
「なんか説明が理詰めだ……」
末っ子らしい青年がぽつりと漏らし、隣の女性がくすりと笑った。
「じゃあ、そのセットを三つ。あと、席は窓際で」
「かしこまりました」
スープ鍋のふたを開けると、湯気と一緒に、根菜の甘い香りが立ちのぼる。
(寒さ対策:体温+2、 疲労−1。今日も数値は悪くないわね)
《生活鑑定》の文字をちらりと確認しながら、私は三人分のトレイを用意した。
◇
「……うま」
一口スープを飲んだ途端、ミゲルの肩から力が抜けた。
彼はこっそりと掌を自分の胸に当て、《生活鑑定》を起動する。
疲労:−2
冷え:−2
幸福感:+3
「顔が緩んでますよ、ミゲル」
「だって、これ……帰りたくなくなる味なんですよ……」
思わず本音が漏れたところで、ユリウスの軽いデコピンが飛んできた。
「任務中だと言った」
「いだっ」
レナは笑いを噛み殺しながら、穀物コーヒーの香りを深く吸い込む。
「……いい香り。焙煎してるのかな。ねえ、あのカウンターの人が店主?」
「さあな」
ユリウスは視線だけを動かし、店内をぐるりと見渡した。
炉端の席では、常連らしい老騎士が新聞を広げている。
奥まったテーブルには、書類の束とマグカップ。無表情な男が穀物コーヒーを口に運びながら、静かに客席を見ていた。
(あれが、この領の辺境伯か)
黒いコートの肩に乗る空気は、明らかにただの客とは違う。
ふと、彼の灰色の瞳と視線がぶつかった。
一瞬の沈黙。
互いに、気付く。
(……こいつは、ただの旅人じゃないな)
(領主自ら偵察か。やりにくい店だ)
しかしどちらも、表情一つ動かさない。ただ穀物コーヒーを一口すすり、それぞれの視線を自分の席へと戻した。
◇
「旅の方ですのね。寒さは大丈夫かしら」
配膳の合間に声をかけると、レナがにこりと笑った。
「ええ、おかげさまで。こんなに落ち着くお店があるなんて、うらやましいです。貴族さまの店なのに、全然偉ぶってなくて」
「えっ」
「領主様もよくいらっしゃるって、門の兵士さんが教えてくれましたよ。みんな、この店の話ばかりで」
そんなふうに言われると、くすぐったくてどこを見ればいいか分からない。
「それは……ありがたいことですわね」
レナはそれ以上踏み込んでこず、代わりに隣の席のおばさまと世間話を始めた。
「この街には、長くお住まいなんですか?」
「もう三十年はいるわねえ。腰は痛いけど、この店に来ると楽になるのよ」
「まあ、素敵」
さりげない会話の端々から、彼女は器用に情報をすくい取っているようだった。
一方のミゲルは、クッキーをかじりながら、また小声で呟く。
「……やっぱり帰りたくない」
ユリウスは、もはやツッコむ気力もないのか、穀物コーヒーをひと口飲んでから、静かに息を吐いた。
「長居はするなよ」
「はい」
そう返事をしながらも、三人は気付けば、予定していた時間をとうに過ぎていた。
◇
その夜。
借りた宿の一室で、ユリウスは小さな油灯の下、暗号用の紙を広げていた。
「本日の報告。噂の中心は、領都ノルドハイムの一店『のんびりカフェ』」
さらさらと、簡易暗号で文字が走る。
「店主リリアナ・フォン・グランツ。貴族身分を隠していないが、領民からの評判は概ね良好。敵対的な空気は薄く、むしろ人を生かす場として機能している」
ペン先が、一瞬だけ止まる。
「国にとって、脅威となる可能性よりも――」
ユリウスはわずかに眉をひそめ、別の言葉を選んだ。
「――むしろ必要な拠点となり得る。しばらく観察を続行したい」
書き終えた紙を折り畳み、封蝋の準備をしながら、彼は小さく息を吐いた。
「……任務だ。任務だぞ」
それでも、脳裏に浮かぶのは、湯気の立つスープと、温かな笑い声に満ちた店内。
気付かぬうちに自分も、居心地の良さという罠に片足を突っ込んでいることなど、まだ認めるつもりはなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
偽旅人三人組、ただのモブの顔をして物語に深く関わってきます。
彼らが今後どう「のんびりカフェ」に絡んでくるのか、少しでも続きが気になるな、と思っていただけたら、評価やブックマークで応援してもらえると、とても励みになります。
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