第24話 スカウトと拒絶、そして領主の一喝
瀕死だった兵士さんが「腹、減った」と笑ったあの日から、数日。
うちのカフェは、良くも悪くも少しだけ騒がしくなっていた。
「カフェの聖女様って、本当かい?」
「また変なあだ名が増えましたね……」
穀物コーヒーを注ぎながら苦笑すると、マリアがくすりと笑う。
「でも、皆さん本気で言ってますよ。兵士さんの件、教会でも『奇跡』だって」
「奇跡じゃなくて、ちゃんと食べて寝てもらっただけなんだけどなあ」
そうぼやきつつも、胸の奥が少しざわつく。
あの日から、礼拝所の神官たちの視線も、どこか探るようになった。
昼前、店内がいったん落ち着いたころ。
入口のベルが、控えめに鳴った。
「いらっしゃいま……せ?」
扉の向こうに立っていたのは、見覚えのあるローブ姿の神官と、その隣にもう少し年配の男だった。
胸元には、中央教会の紋章入りのペンダント。今日はやけに正式な格好だ。
「先日は失礼いたしました、リリアナ様」
「その節は、うるさい質問ばかりしてしまって」
前に来た若い神官が頭を下げ、年配の方が一歩前に出る。
「光の母なる神に仕える者、エルンストと申します。中央大教会よりの文を預かって参りました」
差し出された手には、重そうな封蝋付きの書状。
店内の空気が、ぴんと張り詰めるのが分かった。
「マリア、ノエル。少しだけ席を外してもらえる?」
「は、はい」
「……分かった」
2人を厨房側に下がらせ、私は神官たちを奥のテーブルへ案内する。
そのさらに奥、暖炉脇の席には、いつも通りディルク様が腰掛けていた。
穀物コーヒーのカップを持ったまま、何も言わずこちらを見ている。
(聞かれて困る話なら、そもそもここではしないってことよね)
そう判断して、私は向かい合って座った。
「それで、そのお手紙は……?」
「単刀直入に申し上げます」
エルンストと名乗った神官が封を切り、文面を一瞥してから私を見据える。
「中央教会は、あなたを聖女候補として正式に迎えたいと考えております」
……やっぱり来たか。
「聖女、候補……ですか」
できるだけ落ち着いた声を出すと、若い神官が勢い込んで続けた。
「瀕死だった兵士が、あなたの食事と世話で回復した件。詳細な報告が王都に届きました。女神の加護の波長が、明らかに常人のそれとは違うと」
「加護の……波長、ですか」
難しい単語に、思わず瞬きをする。
私の中では《生活鑑定》の数字とバーでしか見えていないのだけれど。
「今、王都は瘴気の増大と魔物の被害で疲弊しています。公式聖女クラリス様お一人では、とても全てを担いきれない。そこで……」
エルンストの声が、淡々と続く。
「あなたが王都に上り、第二の聖女として国を支えてくだされば、多くの民が救われましょう」
王都。
かつての私の居場所であり、同時に断罪の舞台でもあった場所。
頭の中で、ゲームのシナリオが勝手に再生される。
本来なら、聖女はクラリスただ1人。
けれど今の現実は、シナリオよりもずっと厳しいのだろう。
(私が王都に行けば、クラリスの負担は確かに減るかもしれない)
それは分かる。
でも。
ふと、私は《生活鑑定》を起動した。
視界の端に、店内の空気がふわりと色づいていく。
カウンター席に座る兵士たちの「安心」。
窓際で穀物コーヒーを飲むおばさまたちの「おしゃべりの楽しみ」。
暖炉そばでうたた寝している子どもの「ぬくもり」。
全部、この店の中で育ってきたものだ。
胸の奥が、きゅっと痛む。
「……ありがたいお話です」
私は両手を膝の上で組み、言葉を選んだ。
「でも、今の私には、この店とここでの暮らしを守りたいという気持ちの方が強いのです」
神官たちの眉が、わずかに動く。
「もちろん、王都が大変な状況だというのは理解しています。聖女クラリス様のご苦労も、想像すれば胸が痛みます」
「でしたらなおのこと……」
若い神官が身を乗り出しかけ、エルンストが手で制した。
「即答はいかがなものか、と言いたいのです。これは、あなたお一人ではなく、国全体の問題でもある」
「ええ。だからこそ、簡単には首を縦には振れません」
私が微笑むと、エルンストの目が細くなる。
「熟考の上で、改めてお返事を……」
「その必要はない」
低く静かな声が、店内の空気を切り裂いた。
いつの間にか、ディルク様が席を立ち、こちらへ歩み寄っていた。
足音はほとんどしないのに、床まで震えるような圧。
「ここは俺の領地だ」
彼は神官たちの真正面に立ち、淡々と告げる。
「俺の許可なく、領民を連れて行くな」
店の中の全員が、息を飲んだ。
「で、ですが辺境伯殿」
エルンストが慌てて言葉を継ぐ。
「これは王都と教会が協議した上での――」
「王都とて、この領の命を勝手に動かす権利はない」
ディルク様の声は、怒鳴っているわけでもないのに、ひどく冷たく響いた。
「リリアナは、ここで店を開き、この街の者たちを支えている。俺にとっても、大切な“領民”だ」
思わず、心臓が跳ねる。
「彼女を必要とするのは、王都だけじゃない。この街もだ」
短く、しかし一切の隙がない断言。
神官たちの顔色が、目に見えて変わっていく。
「……辺境伯殿。中央教会としても、これは引き下がれぬ案件であると」
「ならば、正式な文書を通じて王家と話せ」
ディルク様はぴしゃりと言い切った。
「少なくとも今ここで、彼女を連れて行く話ではない」
完全に、退路を塞ぐ言い方。
エルンストはしばし沈黙し、やがて深く息を吐いた。
「……承知しました。本日はこれ以上、無理強いはいたしません」
そう言って立ち上がり、深く頭を下げる。
去り際、ふと私に視線を向けた。
「本当に、ここに留まるおつもりなのですか、リリアナ様」
問いかけは穏やかなのに、目の奥には探るような光。
私は少しだけ俯き、けれど、はっきりと答えた。
「はい。私、ここが好きなので」
自分でも驚くほど、すとんと出てきた言葉だった。
暖炉の火。
穀物コーヒーの香り。
笑い声と、時々泣き声と、あったかい溜息。
そして、その全部を黙って見守る、無愛想な辺境伯様の背中。
……全部ひっくるめて、「ここ」なのだ。
「そう、ですか」
エルンストは一瞬だけ目を細め、それ以上は何も言わず店を後にした。
扉が閉まる音と同時に、張り詰めていた空気がほどける。
ノエルが、お盆を持ったままへなっと膝をついた。
「な、なんか……すごかった……」
「ディルク様、格好良すぎます」
マリアがぽそっと漏らし、私の方を見る。
「ね、ねえお嬢……リリアナ様。さっきの『ここが好き』って……」
「お店のことよ、お店の」
慌てて手を振ると、カウンター席の兵士たちまでニヤニヤし始めた。
「領主様、耳が赤いぞ」
「うるさい」
ディルク様はそっぽを向く。
けれど《生活鑑定》でそっと彼を見ると、「安心」のゲージが、少しだけ上がっていた。
(……よかった)
胸の奥がふわりと温かくなって、私も小さく笑う。
その日の夕方、教会の使者たちが馬を急がせて王都へ向かったと、あとで聞いた。
「辺境に、もう1人の聖女がいる」と。
あの報告が、王都の空気をどう変えていくのか。
その時の私は、まだ何も知らなかった。
お読みいただきありがとうございます。
ついに教会&王都サイドが本格的に動き始めました。リリアナの「ここが好き」という一言と、ディルク様の一喝、少しでも胸に刺さっていたら嬉しいです。
この先は王都とクラリス、そして二人の聖女の物語が大きく動いていきます。続きが気になると思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援してもらえると励みになります!




