第3話 道中襲撃と生活鑑定の初仕事
ガタゴトと馬車が揺れるたびに、体が小さく跳ねる。
さっきまで私は、膝の上のメモ帳に未来の死亡フラグを書き出していた。処刑エンドは回避済み、王都半壊エンドはスルー予定、みたいな感じで。
「……本当に、怖くないのですか、リリアナ様」
向かいに座る護衛隊長が、じっと私を見つめてくる。三十代くらいの、現場叩き上げっぽい人だ。
「北の辺境は魔物も瘴気も多い。王都とは危険の質が違います」
「少しは不安ですけど……静かな場所は好きなんです。人より魔物の方が、まだ話が通じそうですし」
軽く笑って返すと、隊長は目を瞬かせ、それから苦笑した。
「公爵令嬢というのは、皆様もっとこう……」
「きゃっ……!」
言葉の途中で、馬車が大きく跳ねた。外から馬のいななきと、怒鳴り声、金属のぶつかる音が雪原に響く。
「魔物だ! 構えろ!」
隊長が扉を開けて飛び出していく。私もスカートの裾をつまみながら外へ出た。
そこには、ゲームで見たままの魔物がいた。
黒い毛並みの大きな狼。赤く濁った目、紫色のよだれ。瘴気で狂った魔狼だ。
護衛たちが剣を構え、必死に応戦している。すでに1体は倒れていたが、残りが2体。馬が怯えて、御者が必死になだめていた。
「リリアナ様、危険です、下がって!」
兵士が私の前に立つ。
「邪魔はしません。ここで見ててもいいですか?」
足は震えそうだけど、引くわけにはいかない。炎上案件だって、現場を見なきゃ始まらない。
しばらくの攻防のあと、隊長の剣が魔狼の喉元を貫いた。最後の1体も、別の兵士がとどめを刺す。
張り詰めていた空気が、ふっとゆるんだ、その瞬間。
「隊長! ヨハンが!」
振り向けば、若い兵士が雪の上に倒れていた。太ももを深く噛まれたのだろう、布が真っ赤に染まっている。
「ヨハン! おい、しっかりしろ!」
肩を揺さぶる声が、やけに遠く聞こえる。
(あ、これゲームだと誰か死んでたイベントだ)
背筋が冷たくなった。
でも。
「……どいてください」
気づけば前に出ていて、その場に膝をついていた。
「リ、リリアナ様?」
「近くで見させてください」
兵士が慌てて身を引く。その隙に、私は血まみれの足に手をかざし、意識を集中させた。
前世から持ち越した、私の固有スキル。
生活鑑定。
視界の端に、ふわりと文字が浮かぶ。
《生活鑑定》
対象:ヨハン・ベルク(推定)
出血:大
毒:小(魔狼由来)
体温:下降中
意識:不安定
(うわ、想像以上にまずい)
「隊長!」
顔を上げると、すぐ目の前に隊長がいた。
「応急処置用の布と、酒か消毒できそうなもの、ありますか?」
「え、あ、あるが……」
「急いでください。このままだと、本当に手遅れになります」
きっぱり言うと、隊長ははっとして腰の袋をあさる。酒瓶と、比較的きれいな布が渡された。
私はスカートの裾を少しだけたくし上げ、動きやすいようにしてから傷口を露出させた。
(前世で見た研修ビデオより、何倍も生々しい……!)
心の中だけで悲鳴を上げつつ、手だけは止めない。
「あなた、ここを押さえてください。できるだけ強く。はい、1から数えましょう。1、2、3……」
近くの兵士に圧迫止血を任せ、自分は酒で布を湿らせて周囲を拭う。前世で叩き込まれた応急処置の手順を、できるだけ忠実になぞる。
生活鑑定の表示が、少し変わる。
出血:中
体温:下降中
「毒は弱いです。薬草で薄めれば、多分大丈夫。近くで採れるものはありますか?」
「あの淡い紫の葉だな……!」
別の兵士が森の端に走っていく。私は隊長に向き直った。
「体を冷やさないように、マントをかけてあげてください。あと、誰かが声をかけ続けてあげてください。呼ぶ声があると、人は戻ろうとしますから」
「……分かった」
隊長が頷き、震える兵士の肩に手を置く。
「ヨハン、聞こえるか。お前、給金の使い道、まだ決めてないだろう」
「たい……ちょ……」
かすかな声が漏れた瞬間、生活鑑定の文字がまた動いた。
意識:不安定 → かろうじて覚醒
やがて薬草が煎じられ、湯気を立てて運ばれてくる。私はそれを少し冷ましてから、ヨハンの口元へ運んだ。
「まずいと思いますけど、我慢してくださいね」
「……うぇ……」
「生きて文句を言えるなら、上出来です」
小さく笑いながら、少しずつ喉に流し込む。
しばらくして、生活鑑定の表示が落ち着いてきた。
出血:小
毒:微量
体温:ゆっくり上昇中
(よし、とりあえず山場は越えたかな)
大きく息を吐いた瞬間、自分の手が震えていることに気づく。
顔を上げると、兵士たちがぽかんとした顔でこちらを見ていた。さっきまで私を罪人扱いしていた人まで。
「……王都の医師より、ずっと手際がいいな」
誰かの呟きに、私は苦笑する。
「前世が社畜だったもので。炎上案件の応急処置には、そこそこ慣れてるんです」
「……前世?」
「あ、いえ。気にしないでください」
うっかり本音を漏らしそうになって、慌ててごまかす。
隊長が、真面目な顔で頭を下げた。
「本当に助かった。リリアナ様がいなければ、ヨハンはもう……」
「皆さんがすぐ動いたからですよ。私一人なら、何もできません」
それは本心だ。
前世でも今でも、一人だけで完璧な対応なんてできない。ただ、少し早く動ける人がいるだけで、結果は変わる。
だから私は、ほんの少しだけ胸を張ってみせた。
「これからも怪我人が出たら、できる範囲で手伝います。そのかわり……」
「そのかわり?」
「私が辺境でカフェを始めたら、ちゃんとお客さんになってくださいね」
冗談半分で言うと、兵士たちの顔にようやく笑いが戻る。
「もちろんだ」「この恩は忘れません」
雪混じりの風の中、少しだけ温かい笑い声が広がった。
ふと空を見上げると、さっきまで漂っていた瘴気のもやは、いつの間にか風に流されて消えていた。
(悪役令嬢のはずの私が、兵士さんたちの役に立つなんて。ゲームのシナリオ、だいぶズレてきたな)
再び動き出した馬車が、ガタゴトと心地よく揺れる。
その揺れに身を任せながら、私はそっと膝の上で指を組んだ。
(どうか、この先も。できるだけ、いい方向にズレていきますように)
そんな小さな願いを胸に抱きながら、私は辺境への道のりを見つめた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第1章第3話では、リリアナの生活鑑定が初めて本格的に役に立ちました。悪役令嬢ポジションだったはずの彼女が、兵士たちに感謝される側に回ることで、少しずつ運命がずれていく……そんな変化を楽しんでもらえていたらうれしいです。
この先は、いよいよ辺境の街ノルドハイムに到着し、のんびりカフェ計画が少しずつ動き出していきます。ふわっと甘くて、時々きゅんとするお話にしていきたいと思っていますので、続きを読みたい、応援したいと思っていただけましたら、評価やブックマークをぽちっとしていただけると、とても励みになります。
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