番外編2 辺境伯様、初めてのテイクアウト
その日、ノルドハイムには、久しぶりに厳しい冷え込みが来ていた。
いつも冷たいというのに、今日は空気の質が違う。扉の隙間から入り込む風だけで、指先がきゅっと縮こまる。
「今日は、外回りの人たちが大変そうですね……」
カウンターの内側から通りを眺めると、厚手のマントを着こんだ兵士たちが、小走りで駆け抜けていくのが見えた。
《生活鑑定》
外気温 低
風 強
兵士たちの体温 やや低下
(これは、さすがに気になるなあ)
いつもなら、休憩の合間にカフェに寄ってくれる兵士たちも、今日は顔を見せずに持ち場へ走っていく。
「リリアナ様、スープの鍋、どうなさいますか? 今日は残りそうな気がしますが」
「そうですね……」
私は鍋の中をのぞき込み、もう一度鑑定する。
特製温野菜スープ 体温+2 疲労感−1
「このまま余らせてしまうのは、もったいないですね」
「冷やして明日に回すには、少し具材が多すぎますし」
マリアと顔を見合わせていると、扉のベルが鳴った。
振り向けば、マントから雪を払う黒髪の人影。
「ディルク様」
「ああ」
いつもの席に向かう前に、ディルク様はカウンターに歩み寄り、窓の外をちらりと見る。
「外回りの連中は、今日に限って忙しい」
「やはり、そうなのですね」
「北門周りの雪崩の気配があってな。念のため見回りを増やしている」
さらっと物騒なことをおっしゃる。
私は慌ててスープの鍋に視線を戻した。
(雪崩なんて起きたら、冷えどころの話じゃない)
ぐつぐつと煮える鍋から立ち上る湯気が、いつもより頼もしく見える。
「……ディルク様」
「なんだ」
「スープを、持ち帰りにすることはできますか?」
「持ち帰り?」
聞き慣れない単語に、灰色の瞳が瞬いた。
「はい。カフェに来る時間も惜しい人たちに、温かいまま渡せるような形で」
「運ぶ間に冷えるだろう」
「できるだけ冷えないように、工夫してみます」
私は棚の奥から、小さめの蓋付きの器をいくつか取り出した。もともと出前用に使われていたものらしいが、今はほこりをかぶっていたものだ。
《生活鑑定》をかける。
携行用スープ容器 保温 中 密閉 中
(うん、まだ使えそう)
「マリア、器を温めておいてください。ノエル、羊毛の古いマントか布はありませんか?」
「え、布?」
「器を包んで、さらに籠に詰めます。そうすれば、だいぶ冷めにくくなりますから」
前世のコンビニおでんと、冬場のスープジャーを思い出しながら説明すると、二人ともきょとんとした顔になった。
「よくそんなこと思いつきますね、リリアナ様……」
「寒い帰り道に温かいスープがあると、生きててよかったって思えますから」
「妙に実感こもってるな」
ノエルのツッコミを聞き流しながら、私は器を次々に満たしていく。
湯気と一緒に、にんじんと豆と、香草のいい匂いが立ち上った。
「ディルク様」
「ん」
「兵舎は、北門のそばでしたよね」
「ああ」
ディルク様は、無言で籠を一つ手に取った。
「……運ぶ」
「ありがとうございます。ただ、これはお店からの差し入れということで」
「代金は払う」
「そこは、頑張っている兵士さんへのサービスです」
「だめだ」
ぴしゃりと言われて、私は思わず瞬きをする。
「ここで働く者の苦労も、俺は知っている。タダ働きさせる気はない」
「ですが……」
「いいから、後で帳簿を見せろ」
なんだか、王都の経理担当のようなことを言い出した。
けれど、その目は真剣で。
自分の領地で働く全ての人間の汗を、ちゃんと見ようとしていることが分かる。
(この人、本当に、責任感の塊だなあ)
少しだけ胸が温かくなりながら、私は小さく頭を下げた。
「では、兵舎特別価格で」
「……それならいい」
ほんの少しだけ、口元が緩んだ気がした。
◇
しばらくして。
店の扉が再び開いた。
寒さに負けないように厚着をした兵士たちが、入れ替わり立ち替わり顔を出す。
「領主様から聞きました。持ち帰りのスープがあると……」
「こちらです。熱いので気をつけてくださいね」
器を手渡すたびに、《生活鑑定》がふわりと色を変える。
冷え 大 → 中
疲労感 中 → 小
士気 中 → 中+
「香りだけで、もうあったまる気がします」
「見回り、もうひと頑張りできそうだ」
素直な感想に、こちらまで嬉しくなってしまう。
最後の一人を送り出したとき、ふと気配を感じて振り向いた。
いつの間にか、ディルク様が奥の席ではなく、入口近くに立っていた。
「どうでしたか、兵舎の様子は」
「……うるさかった」
短い言葉に、しかしどこか満足そうな響きが混じる。
「うるさい?」
「普段は、寒い日は必要なこと以外あまり口を開かん。今日はやけに多弁だった」
なるほど、それは良い兆候だ。
「それは、スープのおかげだと思っていいでしょうか」
「お前のおかげだ」
あまりにもさらっと言われて、逆に言葉が詰まる。
「わ、私なんて、ただ鍋をかき回しているだけですよ」
「その鍋で、ここの連中の体も心も温めている」
低い声が、ストーブの火に混ざるように落ちてくる。
「街を守る兵士には、剣と盾が必要だ。だが、それだけでは折れる。折れかけたときに踏みとどまらせるのは、こういう場所と、こういう一杯だ」
真っ直ぐな言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……ディルク様」
「ん」
「では、これからは時々、『持ち帰り』を増やしてみてもいいですか?」
「構わん。そのぶん、容器が足りなくならんように、鍛冶屋に相談しておく」
「さすが領主様、仕事が早いです」
思わず笑うと、ディルク様は視線を逸らした。
「俺が楽をしたいだけだ」
「え?」
「兵舎で静かにスープを飲ませれば、ここにどっと押し寄せて椅子を占領されずに済む」
「本音がちょっと出ましたね」
くすくす笑っていると、ふいに視線を感じた。
ノエルとマリアが、カウンターの影からじっとこちらを見ている。
「な、何ですか」
「いえ。領主様って、本当に分かりやすい方だなと」
「ディルク様、リリアナ様のためなら喜んで働きますねえ」
「余計なことを言うな」
小さく咳払いをして、ディルク様は奥の席へ向かう。
「穀物コーヒーを」
「かしこまりました。今日のは、特に体が温まるようにブレンドしてあります」
カップに注いだコーヒーから立ち上る湯気は、いつもより少し高く、まっすぐ伸びていくように見えた。
外の寒さは、まだ続くだろう。
けれど。
この街には、温かいスープと、穀物コーヒーと。
そして、あの無愛想な辺境伯様がいる。
(なら、きっと大丈夫)
そう思いながら、私はディルク様の席へ、そっとカップを運んだ。
番外編2までお付き合いありがとうございました!
極寒の中のあったかスープと、ぶっきらぼうな辺境伯様の優しさを楽しんでいただけていたら嬉しいです。
兵舎テイクアウト計画やディルク視点のお話も、いつか書けたらと思っています。
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