番外編1 社畜式お片付け講座、はじまります
その日の営業を終えたカフェには、スープと穀物コーヒーの名残の香りが、ふんわりと漂っていた。
「今日も、よく働きましたね」
カウンターの中からそう言うと、マリアがふうっと息をつき、ノエルは椅子に突っ伏した。
「足、終わってる……。オレ、もう動けない……」
「ノエル、まだ床の拭き掃除と、食器の片付けと、在庫チェックが残っていますよ」
「地獄の追い打ちだ……」
分かりやすく絶望するノエルに、思わず笑ってしまう。
「じゃあ今日は、私の前世……じゃなくて、実家仕込みの時短片付け術を教えます」
「じったん……?」
「時短、です。短い時間で、さっさと片付けるやり方のことです」
社畜時代、終電前のオフィスで身についた技術である。あれをカフェ用に応用すればいい。
「まずは、分類です」
「ぶんるい……?」
「はい。ノエルは、洗い物になるものだけを一箇所に集めてください。マリアは、明日も使うものと、今日はもう使わないものを分けて、カウンターの上からどかしていきましょう」
「な、なんだか急に指示が飛び始めました……!」
「いいから動けってことだろ。分かった分かった」
軽口を叩きながらも、ノエルは素直に立ち上がる。まだ育ち盛りだからか、回復が早くてうらやましい。
私は《生活鑑定》で店内の様子をちらりと見渡す。
床の汚れ 小
食器の汚れ 大
在庫メモ 未作成
(うん、在庫メモが真っ赤に光る前に終わらせたいな)
「リリアナ様、集め終わりました」
「ありがとうございます。ではマリア、その山を一度に全部洗おうとしないで、種類ごとに分けてください。カップ、皿、カトラリーで山を作る感じです」
「種類ごとに……ですか?」
「はい。その方が、洗って、拭いて、しまう時に動きが少なくてすみますから」
前世の自分の声が、頭の中で蘇る。
同僚と一緒に、書類の山を前に叫んでいたのだ。
(とりあえず、種類ごとに分けましょう。話はそれからです)
思い出して、少しだけ苦笑する。
「ノエルは、テーブルを拭きながら、汚れがひどいところだけ声をかけてください。そこは、あとで私が仕上げます」
「なんで?」
「ノエルは手が早いですけど、力が強いので、木目が傷むといけませんから。細かいところは、私の仕事です」
「……分かった」
ノエルは、ちょっとだけ嬉しそうに頷いた。褒められたのだと理解しているのだろう。
「では、片付け開始です。目標は、穀物コーヒー一杯ぶんの時間で、カウンターの上を空っぽにすること」
「なんか急にゲームっぽいこと言い出しましたね、リリアナ様……」
「ゲーム感覚でやると、案外楽しいんですよ?」
私は袖をまくり、洗い場に立つ。
カプ、と蛇口をひねり、お湯をためていく。その間に、カトラリーを一気に放り込んだ。
「小さいものから片付けると、目に見えて減っていきます。達成感が出て、やる気が続きますよ」
「た、達成感……」
「なんか、分かる気がする。山が減ると、ちょっと気持ちいいんだよな」
ノエルの言葉に、思わず笑う。
(うん、その感覚、大事)
私もそれで、何度も残業を乗り切ってきたのだから。
◇
「カウンター、だいぶすっきりしましたね」
「テーブルも全部拭けました」
「食器も、最後の一枚です」
本当に、穀物コーヒーを飲み終えるくらいの時間で、店内は一気に片付いていった。
マリアがきょろきょろと周囲を見回し、感嘆の声をあげる。
「いつもより、ずっと早いです……! まだ暖炉の火も、たっぷり残っていて」
「そのぶん、少しゆっくり温まってから帰れますね」
「ノエル、薪を一つ足してきてください。燃えすぎないように」
「了解」
ぱたぱたと動く二人を見ながら、私は帳簿を開いた。
これも、前世で叩き込まれた習慣だ。今日の売上、使った食材の量、次の買い出しで必要なものをざっとメモする。
「……リリアナ様、数字を見る顔が、なんだか怖いです」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「どういうこと!?」
ノエルが戻ってきて、思い切りツッコミを入れてきた。
「数字の怖さを知っている方が、お店を長く続けられますからね。赤字続きだと、いくら楽しくても終わってしまいます」
「赤字って、そんなに怖いの?」
「はい。前の人生で、何度も見ました」
つい口が滑って、ノエルとマリアが同時に首をかしげる。
「前の……?」
「実家の帳簿の話です。気にしないでください」
さすがに、社畜OLだったとは言えない。
私はさらさらとペンを走らせ、今日の最後の一行を書き込んだ。
今日も、みんなで笑って終われた。
それだけで、十分に黒字だ。
◇
戸締まりを終え、店の灯りを落とす。
「おつかれさまでした」
「おつかれ……」
「お疲れさまでした、リリアナ様」
店の前の雪道に、私たちの足跡が並ぶ。
ふと、ノエルがぽつりと呟いた。
「なんかさ。前より、片付け嫌いじゃなくなったかも」
「それは、いい傾向ですね」
「オレ、あんまり頭よくないからさ。こうやってやり方教えてもらえると、ちょっと自信つく」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
「じゃあ今度は、在庫管理と仕込みの段取りも、一緒にやってみましょうか」
「……え、まだなんかあるの?」
「いくらでもありますよ。社畜……いえ、働き者の世界は、奥が深いんです」
「ちょっと今、変な単語混ざりませんでした?」
ノエルのツッコミに笑いながら、私は夜空を見上げる。
白い息が、星の光に溶けていった。
(この子たちと一緒なら、きっと大丈夫)
カフェのお片付け講座は、まだ始まったばかりだ。
お読みいただきありがとうございます!
社畜式お片付け講座、楽しんでいただけましたでしょうか。
リリアナのブラック企業サバイバル術は、今後も本編や番外編でちょこちょこ出していく予定です。
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