第19話 記録的寒波と、カフェ避難所化計画
店の扉を開けた瞬間、肺の奥まで刺すような冷気が入り込んだ。
「……今日の寒さ、普通じゃありませんね」
通りを見ていたグンターさんが、毛皮の帽子を押さえながら空をにらむ。
「風向きが変わった。あの鉛色の雲は、やべえ冷えの前触れだ。昼から本気で凍るぞ」
「そんなに、ですか」
「年寄りと子どもにはきつい。何かするなら、まだ動けるうちだ」
私はそっと《生活鑑定》を起動した。
体感温度 −2
冷えやすさ +3
(やっぱり、いつもよりずっと厳しい)
◇
モーニングが終わるころには、通りの人影が目に見えて減っていた。
窓の外、住宅街の煙突から上がる煙も、いつもよりずっと少ない。
「薪、節約してるんでしょうか」
皿を拭きながらつぶやくと、マリアが頷いた。
「今年は薪の入荷が少なかったそうです。古いストーブだと、火を強くすると煙が逆流してくるとか」
「それじゃ、温まるどころじゃないですね……」
頭に浮かぶのは、腰の悪いおばあさまや、小さな子どもを抱えたお母さんたちの顔だ。
(このまま寒波が来たら、家の中でも震えてる)
胸のざわめきが、形になっていく。
「マリア、少しだけ店をお願いします」
「はい。お気をつけて」
◇
「避難所、か」
領主館の執務室。私の提案を聞き終えたディルク様が、短くそう呟いた。
「はい。昼間だけでも、カフェを皆さんの避難所にしたいんです。暖炉がありますし、大勢で集まった方が薪も節約できます」
「スープとパンは?」
「節約スープを大鍋で作れば、材料はなんとか。パンは……耳をカリッと焼いて添えれば、きっと喜んでもらえます」
「店の収入はどうする」
「今日一日くらいなら大丈夫です。お金より、命の方が大事ですから」
前世の冬、暖房費を惜しんで震えながら残業していた記憶がよぎる。あの、骨の芯まで冷えた感覚を思い出しただけで、背筋が強張った。
「凍えながら我慢するくらいなら、ここで温まってもらった方がいいです」
しばらく沈黙が落ちたあと、ディルク様は小さく息を吐いた。
「……領の支出として計上する。炊き出しだ。スープの材料と薪の一部はこちらで持つ。兵も回そう」
「そ、そんな、そこまで」
「お前の店に全部負担させるのは違う。それに」
視線をわずかにそらしながら、言いにくそうに続ける。
「お前の店はもう、この街の設備だ。使える時に使わないでどうする」
設備、という言い方に、苦笑がこみ上げる。
「光栄です。じゃあ、“設備”として働きますね」
「働き過ぎるな」
その一言が、妙に胸に残った。
◇
「ノエル君、ジャガイモと根菜はざくざく切って、この大鍋にお願いします。皮は剥かなくて大丈夫です」
「皮ごとっすか?」
「栄養が詰まってますから。たぶん」
刻んだ野菜と乾燥豆、少しの干し肉を鍋に入れ、水をたっぷり注ぐ。《生活鑑定》を起動すると、鍋の上に文字が浮かんだ。
体温 +2
腹持ち +2
疲労回復 +1
(よし、コスパ重視スープ)
「パンの耳は薄く油を塗って焼きましょう。香りだけでも贅沢に」
「了解っす!」
マリアは大きなポットに穀物コーヒーを仕込みながら言った。
「今日は少し薄めにして、たくさんの方に行き渡るようにしますね」
「お願いします。味より量、でも気持ちは濃いめで」
◇
昼前には、店先に列ができていた。厚着の子どもを抱えたお母さん、お年寄り同士で肩を寄せ合う人たち。
「いらっしゃいませ。順番にご案内しますね。扉はできるだけ閉めておいてください」
扉が開くたび、刺すような冷気が床を這う。だが、奥の暖炉は力強く燃えていた。
「薪だ、どけどけ!」
いつものがなり声。振り向けば、グンターさんが薪の束を担ぎ、その後ろには領主家の紋章入りマントを羽織った兵士たち。
「ディルク様の命令だ。ここを温めろってよ」
「助かります!」
店内は、あっという間に人でいっぱいになった。
暖炉の前には毛布にくるまった子どもたち。その後ろにお年寄り。端の席には、赤ん坊を抱いたお母さんたち。
「まずはお子さんとご年配からどうぞ。熱いので気を付けてくださいね」
私はスープをよそい、ノエル君がパンを配り、マリアが穀物コーヒーを注いでいく。
そんな声を聞きながら、私はふと《生活鑑定》を発動させた。
今度浮かんだのは、誰か一人の情報ではなく、「この店全体」のステータスだった。
店内空気 体温+1
不安 −1
安心感 +2
(……空気が、さっきより柔らかい)
「いらっしゃいませ。席が空くまで、ここでお待ちください。ひざ掛け、どうぞ」
入口近くで縮こまっていた人たちに毛布を渡すと、こわばっていた表情が少しゆるんだ。
(これが、“場の空気”の鑑定……)
私はその色をもっと温かくしたくて、またスープ鍋の前に戻る。
◇
「リリアナ、少し休め」
何杯目かも分からないポットを運んでいたとき、低い声に呼び止められた。
振り向くと、いつの間にかディルク様がカウンターの内側に入っていて、私の手からポットを取り上げる。
「だ、大丈夫です。まだ動けますから」
「動けるからといって限度を越えていいわけじゃない。交代しろ」
「……では、少しだけ」
暖炉から少し離れた場所に立ち、店内を見渡す。
湯気に包まれたテーブル。頬を赤く染めて笑う子どもたち。肩を並べてスープを啜るお年寄り。マリアとノエル君は、息を合わせて皿をさばいている。
「ここは今、この領の心臓だな」
薪を抱えたまま、ディルク様がぽつりと言った。
「し、心臓ですか?」
「ああ。外で縮こまっていた連中が、ここで血を巡らせて、また家に戻っていく。止めるわけにはいかん」
さらりと言われて、胸の奥が熱くなる。
「そんな、大げさですよ。ただの小さなカフェです」
「その小さなカフェを動かしているのは誰だ」
穏やかな声に、返す言葉を失う。
「……じゃあ、止まらないように、ちゃんと動いてもらわないとですね、この心臓」
「だから働き過ぎるなと言っている」
少しだけ呆れたようで、どこか優しい声に、胸が温かくなる。
記録的寒波の雪が降り続く中、カフェだけが小さな焔のように静かに脈打っていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
記録的寒波でカフェが避難所になる回でしたが、少しでも心があたたまっていたら嬉しいです。
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