第17話 雪祭り当日、パンケーキ行列と星空ダンス
雪祭りの朝、ノルドハイムの中央広場は、いつもの倍どころか別世界になっていた。
雪を削って作られた獣や竜の氷像が並び、白い息と笑い声が、冷たい空に立ちのぼる。
「看板、曲がってませんか?」
「大丈夫ですって、リリアナお嬢様――じゃなくて店長」
マリアが器用に布を結び直し、ノエルが鉄板の前で腕まくりをする。
雪解けパンケーキ屋台、本番仕様だ。
「火加減は任せた、と言いましたよね?」
「言いましたね? プレッシャーかけないでください店長」
笑い合いながらも、ノエルの手つきは真剣だ。私もベリーソースの壺と蜂蜜、粉砂糖を並べていく。
(前世の断罪ルートと比べたら、同じ雪祭りでもだいぶ平和なスタートだわ)
開会を告げる鐘が鳴り、ノエルが生地を鉄板に流し込む。じゅう、と音が弾け、甘い匂いが一気に広がった。
「リリアナお姉ちゃん、ほんとにパンケーキ?」
「ええ、ミアちゃん。祭り限定、雪解けパンケーキよ」
小さめに焼いた一枚に、薄くベリーソースを垂らし、粉雪みたいに砂糖をふらせる。
《生活鑑定》
幸福感+3
元気+2
(うん、祭りのおやつとしては上々ね)
「はい、熱いから気をつけて」
「ありがと! ……ふわふわだぁ」
ミアが目を輝かせるのを見ていた子どもたちが、一斉に列を作り始めた。
「俺もそれ!」「甘いの多めで!」「兵士用にでかいの頼む!」
いつの間にかロルフ率いる兵士たちまで並んでいる。
さらに、雪を踏みしめる重い足音。
「おいお前ら、列はこっちだ。押すな、子どもとおばさまが先だ」
猟師頭のグンターさんが、いつもの声で人をさばき始めた。
「団長、あの人仕切り慣れてますね」
「ロルフ、お前の口を塞ぐパンケーキはないぞ」
「それは困ります!」
そんなやりとりを聞きながら、私はただひたすら焼き上がったパンケーキに雪を降らせていく。
兵士用には少し大きめ、子ども用にはベリー多め。鑑定で数値を確認しつつ、手を止めない。
「はい、お待たせしました。雪解けパンケーキと穀物コーヒーのセットです」
「……生き返る……」「これ、明日もやらない?」
そんなことを言われても、材料的にも体力的にも今日だけが限界である。
気づけば列は、広場の端まで伸びていた。
焼いて、盛り付けて、笑って、謝って。気がつくと、空はすっかり茜色になっている。
「……完売ですわね」
「よく焼きました……」
「もうパンケーキ見たくない……うそです、見たいです」
三人でぐったりと笑い合い、屋台を片付ける。
◇
日が沈むと、広場は焚き火とランタンの明かりに包まれた。
楽団の奏でる笛と弦の音に合わせて、人々が輪になって踊り始める。
私は、少し離れたベンチに腰を下ろし、こっそり取り分けておいた小さなパンケーキをひとかけらだけ口に運んだ。
冷えた空気の中でも、甘さはちゃんと舌に広がる。
(ゲーム本編だと、この時間帯に王太子と聖女がメインステージで踊ってるはずなんだけど)
(スケジュールを自由に書き換えられる悪役令嬢ライフ、悪くないわね)
「リリアナお姉ちゃん、踊らないの?」
気づけばミアが目の前にいた。広場の真ん中では、ノエルが子どもたちと半分ふざけながらステップを踏んでいる。
「私は見学係ですの。こういうのは若い方に」
「お姉ちゃんも若いよ?」
「そこは優しく流しておきましょう」
ミアはくすっと笑い、また輪の中へ駆けていった。
入れ替わりに、影が一つ、私の前で止まる。
「……祭りは、楽しめているか」
顔を上げると、厚手のマントをまとったディルク様が立っていた。焚き火の光が、黒い髪に揺れる。
「はい。おかげさまで。屋台も無事完売いたしました」
「ああ。朝から様子を見ていた。行列が途切れなかったな」
そんな内心を隠して笑うと、彼は少しだけ視線をそらし、それからこちらへ手を差し出した。
「……踊れるか」
「わ、私はあまり得意ではありませんわ」
「俺もだ」
即答。なぜか自信ありげである。
緊張で喉がきゅっと鳴ったけれど、気づけば私はその手を取っていた。
広場の中央へ出ると、周囲の視線がふわっと集まるのが分かる。
「閣下が踊るぞ」「相手はカフェの……」「見すぎ、見すぎ!」
マリアとロルフの小声が、音楽に紛れて聞こえた。
「片足から、ゆっくり出せばいい」
「……はい」
言われた通りに一歩。二歩目で早速タイミングを外し、私は盛大にディルク様の靴を踏みつけた。
「す、すみません!」
「問題ない」
表情はほとんど変わらないのに、耳だけがほんのり赤い。
それを見つけてしまい、胸の鼓動が余計に早くなる。
ぎこちないステップを続けるうちに、不思議と呼吸が合ってくる。
手のひら越しの体温と、焚き火の熱と、白い吐息。全部が混ざって、世界が少しだけ柔らかくぼやけた。
曲が終わるころには、足を踏みつける心配もなくなっていた。
「……意外と、様になっていた」
「お互いさまですわ」
手を離さないまま、ディルク様は人の輪から少し外れた場所へ私を導く。
雪原の向こう、街明かりから離れた空には、星がこぼれそうなほど瞬いていた。
「ここの空、こんなにきれいだったんですね」
「ああ。冬は空気が澄む」
しばらく、ただ隣で星を見上げる沈黙が続く。
やがて、ディルク様がぽつりと言った。
「今度、もっときれいな場所へ連れていく」
「え……?」
思わず顔を向けると、彼は視線を夜空から外さないまま続けた。
「街の明かりが届かない山の上だ。道を整えれば、お前でも歩ける。……約束だ」
それがこの辺境でどれだけ特別な言葉か、私にも分かる。
領主が自ら「道を作る」と言うのは、ただの思いつきではない。
胸の奥が、ゆっくりと温かく満たされていく。
「……楽しみにしていますわ、閣下」
「ああ」
短い返事なのに、焚き火よりずっと近くで、静かな熱を感じた。
(断罪ルートを全力回避した結果、星空デートの予約を入れられる悪役令嬢になるなんて、誰が予想したかしら)
白い吐息が星の光の中に溶けていく。
雪解けパンケーキの甘さと、手のひらに残るぬくもりと、頭上の星の瞬き。
この辺境の雪の街で始まった第二の人生は、まだまだ甘くなりそうだと、私は静かに確信していた。
雪祭り編、ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
パンケーキ行列から星空ダンスまで、少しでも胸がきゅっとしていただけたなら嬉しいです。
「続きも読みたい」「二人をもっと見守りたい」と思っていただけましたら、
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