第2話 悪役令嬢の死亡フラグ整理会議
ガタゴト、と車輪が揺れるたびに、体が小さく跳ねる。
さっき王城の門を出た。見送りは公爵家の使用人が少しだけ。門の外では、着飾った令嬢たちが扇子で口元を隠しながら、こちらを見ていた。
「見た?」「悪役令嬢の追放よ」「ざまぁね」
わざとらしい声を背に、私は一度だけ王都の尖塔を振り返る。
(……二度と帰ってこなくていい)
きらびやかで、うるさくて、誰もが誰かを値踏みしていた街。そんな場所より、雪に埋もれた辺境の方が、まだ息ができる気がする。
私は足元の小さな革鞄を手繰り寄せ、前世からの癖で持ち歩いているメモ帳とペンを取り出した。
「さて、と」
ページを開き、膝の上に置く。
(ここから先は私の新ルート。だったらまず、死亡フラグの棚卸しからだよね)
社畜だった頃、炎上案件を押しつけられるたび、私は最初に「問題点リスト」を作った。敵は見えないと対処できない。それはゲームでも現実でも一緒だ。
ページの一番上に、ゆっくりと書き込む。
──今後のシナリオ。
その下に、思いつくまま箇条書きする。
「王都ルート」「辺境壊滅バッドエンド」「聖女過労死エンド」
(うん。字面からして物騒)
まずは王都ルート。ペン先を滑らせながら、前世の記憶をなぞる。
(本来のゲームだと、私はヒロインの邪魔ばかりして、最後には断罪からの処刑エンド)
王太子アルバートと聖女クラリスは、いくつもの困難の末に大団円。……の、はずだった。
(でも今回は、処刑じゃなくて追放で済んだ。ここ重要)
本来なら物語中盤で発生する断罪イベントが、なぜか前倒しになった。そのおかげで、私は死亡フラグを一本折ったことになる。
「死亡フラグその1、処刑エンド……回避済み」
書き込んだ瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
問題は、その次だ。
私はページを少し空け、「聖女過労死エンド」と書いた行を丸で囲む。
ゲーム終盤、王都の周辺では「瘴気」と呼ばれる黒いもやが発生し、魔物が異常繁殖する。浄化できるのは聖女クラリスだけ。
王宮も教会も、救世主を手放したくなくて、彼女に無理をさせ続ける。前世のブラック企業みたいな働かせ方で、やがてクラリスは倒れ、魔物の氾濫は手がつけられなくなり、王都は半分壊れる。
瓦礫と炎と悲鳴。ゲーム画面では一枚絵で済んでいたそれが、今度はこの世界の現実になる。
「このままだと、二人ともかなり悲惨」
ぽつりと呟き、ペンをくるりと回す。
(だからといって、未来の話をしても誰も信じないよね。むしろ悪役扱いが加速するやつ)
ページの端に小さく書き足す。
──他人のフラグは、基本スルー。
「まずは自分の生活。社畜は自衛を学んだのだ」
小声で宣言してみると、妙にしっくりきた。
私はクラリスの上司でもなければ、王都の危機管理担当でもない。今度こそ、自分をすり減らすだけの人生からは卒業したい。
(とりあえず目標は一つ。辺境でカフェを開いて、よく食べてよく寝る)
前世では夢物語だった「普通の生活」を、この人生で手に入れてやるのだ。
メモ帳を閉じようとしたところで、コンコンと扉が叩かれた。
「グランツ公爵令嬢、失礼します」
低くよく通る声。護衛隊の隊長だ。
「はい。大丈夫ですよ」
扉を少しだけ開けた隊長は、私の顔色を確認してから短くうなずいた。
「揺れが続きますので、気分が悪くなったらすぐ知らせてください」
「お気遣い感謝しますわ」
それだけ告げて扉は閉まり、再び静寂が戻る。
(現場で鍛えられた人って感じ。噂だけで判断しない目をしてたな)
私はメモ帳を開き直し、ページの隅にさらりと書き足す。
──護衛隊長。現場タイプ。話は通じそう。
ふと、窓の外の景色が気になって、カーテンを少しだけめくった。
石畳はいつの間にか土の街道に変わり、周囲には低い木々が増えている。空はどんよりと曇り、冷たい風が馬車を揺らした。
(あ、もう森が近いんだ)
ゲームでも、この先の森は魔物イベントが多発するポイントだった。とはいえ、今はまだ安全なはずだ、と自分に言い聞かせたその時。
視界の端を、黒いものがかすめた。
「……え?」
思わず身を乗り出す。
街道脇の木々の間を、墨を薄めたような黒ずんだ霧がふわりと流れていた。森の影とは違い、それは輪郭のぼやけた塊になって、地面すれすれを滑っていく。
(何、あれ)
前世なら「エフェクトのバグかな」で笑って終わったかもしれない。けれど今、馬車の中にいる私の頬を、ひやりと冷たいものが撫でていった。
外気の冷たさとは別種の、骨の内側まで染み込むような冷気。
馬が短くいななき、御者の怒鳴り声が聞こえる。
「落ち着け!」
黒い霧は森の奥へと、ゆっくり溶け込んでいく。
(……まさか、瘴気?)
喉の奥で言葉が引っかかる。
ゲームでは、瘴気は主にテキストで語られる存在だった。画面の隅に出る薄暗い演出なんて、「はいはい、不穏フラグね」と流していたのに。
実物を目の当たりにすると、とてもただの演出では片付けられない。
私はそっとカーテンを閉め、メモ帳の空いたスペースに震えないよう意識しながら書き込んだ。
──瘴気、もう発生している?
(王都からそう離れていない場所で、これってことは……)
胸の奥がじわりと冷たくなる。それでも、ペン先は止めない。
(大丈夫。私は、このまま北に行く)
王都がどうなろうと、私がそこにいなければ、とりあえず巻き込まれて命を落とすことはない。
馬車の揺れに合わせて、ページの文字がわずかに滲む。
私が今見た黒いもやが、やがて王都全体を呑み込む瘴気の最初の片鱗だったのだと──
この時の私は、まだ知らなかった。
読んでくださってありがとうございます。
第2話では、追放直後の馬車の中で、主人公が社畜メンタル全開で死亡フラグ整理をしていました。ゲーム知識で冷静に分析しているようでいて、内心けっこうビビっているところが、少しでも伝わっていたらうれしいです。
これから先、辺境でのカフェ準備や、無愛想だけど優しい辺境伯との出会いが本格的に始まっていきます。のんびりカフェライフと、じわじわ育っていく恋愛を一緒に楽しんでもらえたら幸いです。
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