番外編① 辺境伯ディルク、雪の街で客を待つ
王都からの使いが帰っていったあと、執務室にはしんとした静けさが落ちていた。
机の上には、一通の書状。
王家の紋章。封蝋は、乱れなく押されている。
「……公爵令嬢リリアナ・フォン・グランツの、婚約破棄および辺境追放、か」
読み上げた自分の声が、妙に乾いて聞こえた。
聖女を虐げた罪。王太子の婚約者にあるまじき振る舞い。王都の秩序を乱した悪女。
並んでいる文言は、どれもよくある「都合のいい悪役」の形だ。
俺は書状を指先でとん、と叩く。
「聖女を苛める公爵令嬢、ね」
王都は、そういう物語が好きだ。悪役がいれば、責任をそいつに押しつけて終わらせられる。
辺境が何度、援軍を渋られたか忘れたように、都合よく。
窓の外では、細かい雪が降り始めていた。山から吹き下ろす風が、城壁をかすかに震わせる。
この冷たさを知らない場所で書かれた紙切れ一枚で、人間ひとりが送り込まれてくる。
「罪人……なあ」
口の中で言葉を転がしてみるが、どうにも馴染まない。
過去に一度だけ、王都から「問題のある貴族」を押しつけられたことがある。
酒癖が悪く、兵に絡み、領民からはすぐに嫌われた。あいつは、確かに「問題」だった。だが――
(今回は、匂いが違う)
罪状の羅列にしては、妙に具体性がない。証言というより、噂の寄せ集めだ。
何より、公爵家があっさりと黙認しているのが引っかかる。
俺は深く息を吐き、椅子から立ち上がった。
「マリアを呼べ」
扉の外に控えていた兵に告げると、ほどなくノックの音がした。
「失礼いたします、ディルク様」
栗色の髪をすっきりまとめたメイドが、緊張した顔で入ってくる。長く仕えているが、王都絡みの話になると、いまだに身構える癖が抜けないらしい。
「例の件だ。公爵令嬢がこちらに送られてくる」
マリアの肩がびくりと揺れた。
「……本当に、あの、聖女様をいじめたという?」
「王都はそう言っている」
俺は書状を軽く掲げた。
「だが、この領では、俺が決める。罪人としてではなく、客として扱う」
「客……でございますか?」
「ああ。少なくとも、身の安全と寝床は保証する」
マリアは安堵と戸惑いが混ざった顔をした。
「でしたら、滞在用のお部屋を領主館に……?」
「いや」
俺は首を横に振る。
「街の家を一軒、空けておいただろう。暖炉付きの木造の家だ。あれを彼女の住まいにする。
城の中に閉じ込めれば、余計に『幽閉された令嬢』だの何だの、噂の種になる」
貴族は噂が好きだ。その餌を、わざわざやる必要はない。
マリアが少し考え、うなずいた。
「分かりました。暖炉の掃除と寝具の用意、すぐに取りかかります。……あの、ディルク様」
「何だ」
「その……本当に、怖い方では、ないのでしょうか」
マリアらしい心配だ。王都の噂に上る「悪役令嬢」の姿を、彼女なりに想像しているのだろう。
俺は少しだけ目を細めた。
「怖いかどうかは、会ってから決めろ。
だが、少なくともこの領では、彼女に噂のままの役を押しつけるつもりはない」
マリアの顔に、ほっとした色が浮かぶ。
「はい。心してお迎えいたします」
彼女が下がったあと、今度は裏口側から、がちゃがちゃと騒がしい音がした。
「おーい、マリアさー……って、うわ、領主様!」
顔を出したのは、買い出し担当の少年、ノエルだ。両腕いっぱいに野菜の入った籠を抱えたまま、見事に固まっている。
「……ノエル。扉を蹴るなと言ったはずだが」
「す、すみません!」
音だけで誰か分かるのだから、ある意味才能だ。
「ちょうどいい。お前にも話しておく」
「え、俺にも?」
「近いうちに、公爵令嬢がこの街に来る」
ノエルの顔が、分かりやすく曇った。
「貴族のお嬢様、ですか。また……」
「また、何だ」
「い、いえ。ただ……どうせ、俺たちなんか見向きもしないんだろうなって」
ノエルが目をそらす。
こいつには、貴族に冷たくあしらわれた過去がある。そう簡単には消えない傷だ。
「今回来るのは、王都で断罪された公爵令嬢だ。だが、この領では、客として扱う。
お前も……余計な先入観で見るな」
ノエルは、意外そうに俺を見上げた。
「客、なんですか?」
「そうだ。少なくとも、そう扱うまではな」
彼女がこの地でどう振る舞うかは、まだ分からない。
だが王都の都合で放り出された人間を、今度は俺まで都合よく裁くつもりはない。
お前が来るなら、今度は俺が守る側だ。
心の中で、誰にともなくそう言い聞かせる。
◇
数日後。
北門の見張り台で、俺は街道を見下ろしていた。白い息が、空に溶けていく。
「殿、そろそろ見えてきます」
隣の兵が指さす先、遠くの雪原を、黒い点がひとつ進んでくる。王都からの馬車だ。護衛の数は最低限。追放処分らしい扱いだ。
門の前に降りて並ぶと、兵たちの背筋がぴんと伸びた。
やがて馬車が止まり、扉が開く。
雪を踏む、軽い足音。
姿を現したのは――思っていたよりも、ずっと小柄な少女だった。
亜麻色の髪を丁寧にまとめ、厚手のマントに身を包んでいる。寒さに頬を赤くしながらも、その背筋は真っすぐだ。
目が合った。
王都の貴族特有の、こちらを値踏みする視線ではない。疲れと、少しの警戒。それから、遠い雪山を見つめるような、奇妙な静けさ。
(……これが、公爵令嬢リリアナ・フォン・グランツ)
「北辺境を治める、ディルク・ノルドハイムだ」
名乗ると、彼女は裾をつまみ、礼を取った。
「リリアナ・フォン・グランツと申します。……お世話になります、辺境伯様」
声は震えていない。大広間で罵倒を浴びせられてきたとは思えないほど、落ち着いた口調だった。
俺は、王都からの書状の文言を一瞬思い出し、それを頭の中で破り捨てる。
「寒い。続きは中で話そう」
短くそう告げて踵を返す。
背後から、小さく雪を踏む足音が続いてくるのを確認しながら、俺は心の中で言葉を継いだ。
(ここでは、お前は罪人じゃない。
王都がどう言おうと、この土地での在り方は、俺が決める)
守るべきものが、またひとつ増えた。
白い息を吐きながら、俺は城壁の中へと歩みを進めた。
お読みいただきありがとうございます、作者です。
今回は第1章の番外編として、ディルク視点でリリアナ受け入れ前夜と到着シーンを書いてみました。王都から送られてくる一通の書状と、それを読む側の不信感や迷い、そして彼なりの「客として迎える」という決意が少しでも伝わっていたらうれしいです。
リリアナの物語は彼女の一人称で進んでいきますが、陰でこんなふうに段取りしている無愛想辺境伯がいるんだな、くらいにニヤリとしてもらえたら大成功です。
少しでも続きが気になる、ディルクの印象が変わった、リリアナとの今後が楽しみ、と思っていただけましたら、評価やブックマーク、感想をぽちっとして応援していただけると本当に励みになります。
これからも追放令嬢と無愛想辺境伯の、のんびりだけど甘くなる予定の日々を書いていきますので、どうぞお付き合いいただけたらうれしいです。




