君達が始めたゲームだろう?
「ブリキです」
「……ハヤミだ」
シクヨロ☆と、わざと左手で握手をする。
手の平が硬い。肉刺で歪になった指。確かに残る『本気』の名残。「……」。少し、さっきイカルガに言った自分の言葉を訂正したくなった――が――フェンスの向こう側にいる明らかにそのスジと分かる数人の観客と、こちら側の審判に加えて、眼前のハヤミ氏の顔にも浮かぶ嗜虐の滲む笑顔を見て安心する。
僕のやろうとしていることは、正しい。間違いなく正しい。
手。あの手。歪な指。アレを造った時代のハヤミ氏の為にも、今のコレは終わらせるべきだ。そう決める。そう決めた。決意。それを揺らす。
「そっちの提案でのポイント全賭けだけど……良いのか?」
「稼ぎ時だと判断したので」
「……今からでも変更するか?」
お前、まだガキだろ? とハヤミ氏。
「……完全に腐ってはいないのか……」
「あ?」
「いえ、ご心配なく」一息「まだ稼ぎ時だと思っているので」にっこり笑顔。
「……」
「自身がないなら特別ルールでフォアボールは無しで良いですよ?」
「――あぁ、そう。そんじゃ遠慮なく……イタダキマス」
軽い怒りを滲ませるハヤミ氏との会合はそれで終わり。
互いに背を向け、歩きだす。非公式戦らしい雑な計測での18.44メートル。それがテープで区切られたバッターボックスとプレートも無い平なピッチャーボックスの距離。
吸って、吐く。
意識して肩を動かす。
そうして力を抜いて、一度バットで肩を叩いてから、高く掲げ、構える。
いつものルーチンワーク。僕を殺そうとする投手に向かい合う儀式。
それだけで視界から世界が消える。見据える先に立つハヤミ氏と、ハヤミ氏が放つ様々な感情だけが僕の視界を支配する。
――観え過ぎている。
その事実に相手に同情したくなる。
これは尋常の勝負では無い。僕はチートを使っている。
ハヤミ氏の履歴書を思い出す。
速球派。全盛期は百五十越え。これは少し、僕には荷が重い。変化球はSFFと、カットボール、そして決め球にチェンジアップ。ストレートとの落差が二十程と言う球速差で打者を殺す球だが……緩い球。
そうである以上、僕に圧倒的に有利。
結局はタイミングなのだ。
投手と打者のタイミングが合えば打者が勝つ。
投手と打者のタイミングがズレれば投手が勝つ。
雑に要素を抜きだすと投手と打者の勝負はそこに行きつく。
だから投手は投球フォームで、球の緩急、或いは変化で打者のタイミングを外そうとする。
そんな中、百五十超えのストレートと、そこから落差二十以上のチェンジアップと言うのはこれ以上ない武器だ。
だが、残念。
緩い球は来るのが分かって居ればカモで、僕は割と決め球を投げるのが分かってしまう。
今日の僕なら猶更だ。
更に――と言うべきか、僕は遠慮なくさっきまで物陰からハヤミ氏の投球練習を見ていた。ストレート、SFFにカットボール、チェンジアップーーは僕に気が付いて投げて貰えなかったが、それ以外はどういう変化をするのか、どう言うテンションで投げるのか、それを凡そ把握した。
後は投球モーションだが、それも今回は掃除なので五十澤店長からしっかり動画を回して貰っている。
投げるタイミングが分かって、投げる球種が分かるのだから負ける方が難しい。
――それは天才の理論だよ、鋼。
「は、」
ふいに、誰かの言葉を思い出して思わず笑う。雑音。それを嫌う様に軽く手を前に出し、タイム、とやりながら一度バッターボックスから離れてスニーカーでアスファルトをがりがりと鳴かせる。止めろ。思い出すな。集中しろ。集中しろ。集中しろ。
三度の呪文で僕を沈めて、“怪物”を起こし、再度バッターボックスへ。
対峙する。
彼方と此方。
視線の交差は刹那/意志の交差は那由他
月すら見えぬ灰色の空の下。日の光とは違う街灯とスマホのライトで照らされたバトルフィールドの中、僕はハヤミ氏と交わり、溶ける。
初動/初動
踏み込み/踏み込み
力を回し/力を回し
一拍、呼吸を止め/ボールに悪意を乗せ
そして――
打撃動作/投球動作
炸裂音。
初球から放たれた投手の決め球をバットが食い破り、放たれるのは空に突き刺さる弾丸ライナー。
手応え、あり。
観客にはスタンドに入った幻視を、僕とハヤミ氏にはスタンドに入ったと言う確信を見せたその球は――
「ファール!」
一部の観客と、ハヤミ氏と、何より審判の悪意により、そう言うことになった。
「……良いんですね?」
バットを軽く揺らしながらハヤミ氏に問いかける。
「何がだ?」
ハヤミ氏がにやにや笑ってで応じてくれた。
「――そうですか」
ぷー、と肺の中の空気を思い切り吐き出し、ちら、とイカルガに視線で合図を送り撮影班を呼ぶ。
あぁ、もう、本当に――残念だ。
僕は弱いモノ虐めは大嫌いなのだが――お望みなら仕方が無い。
撮影班が来るまで、十球程投げられた。
緩急に、コース、そして気合。それらを駆使して僕を殺そうとするハヤミ氏を――露骨なボール球が無かったこともあり――僕はことごとく砕いた。
全部が全部、コンクリートの空に突き刺さる弾丸ライナーで――
全部が全部、他の試合ではホームランと判定される様な当りであり――
全部が全部、審判によりファールと判断された。
そうなってしまえば最初は審判の判定に戸惑っていた一般の観客も気が付く。
――あぁ、今日はそう言うゲームなのだ、と。
五球目くらいからだろうか? 審判に合わせる様に一部の観客からも「ファール!」と言う歓声が上がり、十球目を数える今では露骨に嫌そうな顔をする人の方が『一部』となり、ほぼ全員から歓声が上がり出していた。
場に満ちる悪意はいつしか嘲笑混じりの笑いへと色を変え、『虐め』は最早『娯楽』に形を変えていた。
公式撮影班であることを示すワッペンを付けた正社員が来たのはそんな時だった。
審判とハヤミ氏のオトモダチはその登場に軽い嫌悪を、大してハヤミ氏は同じ感情に混ぜて僅かの安堵を見せた。
ゲームの終わりとゲームからの解放。彼等が連想したのはソレだろう。「……」。一応。一応の気遣いとして、どちらがどちらかは言わないでおく。
ハヤミ氏の初動に合わせてバットを引く。
投手に打者である己を溶かし、同調。
呼吸を合わせ/タイミングを合わせ
バットで白球を打ち砕く。
本日十一度目の叫びを灰色の空が上げる。
空気が弛緩する。
ハヤミ氏陣営は失望の溜息を吐き出し、大多数の観客からも楽しい愉しい虐めが終わったことに対するつまんねぇと言う囁き。
そんな中、解放されたことを僅かに喜ぶ様にハヤミ氏が力を抜き、肩を落とす。安堵。
だが残念。
やっと負けられる。そんな甘さに浸る気持ちで――
それでも僅かばかりのプライドを持ってアウトローに投げ込まれた直球は――
望み通りに天井に突き刺さり、ハヤミ氏を終わらせてくれたはずなのに――
「ファール!」
今度はやって来た正社員の判断によりそう言うことになった。
楽しいお祭りの終わりを察していた皆様の顔に困惑が浮かぶ。
だが正社員の皆様は気にしない。「ファールだ」と言い切って僕とハヤミ氏に勝負の続行を促す。楽しい楽しいゲームが続けられる。それに気が付いた観客の雰囲気が変わる。
ライトイエロー。それは愉悦。
十一球目/弾丸ライナーがまたも天井へ/「ファール!」/楽し気に
十三球目/焼き増しの様な光景/「ファール!」/やはり楽し気に
十六球目/同じ場所に刺さった白球が天井に影を残す/「……ファール」/困惑が混じる
十八球目/二か所、白球の残した影が濃くなる/「……」/遂に歓声が消える
そして二十球。遂に――
「いっ、今っ! 今のはっッ! ――今のはぁッ! ヒットだろっっ!」
ハヤミ氏自らの絶叫に近い敗北宣言。
それを首を横に振って否定しながら、僕は言葉を返し、出来た影をバットで指し示す。
「今のは、レフト方向のそこはファールだ。二球目、四球目、六球目、八球目、十球目――偶数の時に審判がそう判断した。疑うんなら……そこ、キャッチャーグラウンド側から撮影している人に確認すると良い。僕はちゃんとそこに打った」
SFFもあった。チェンジアップもあった、ストレートもあった。コースだってバラバラだ。だが偶数の球はそこに、その場所に打ったと僕は言い切り、バットを動かす。
「逆にライト方向のそこもファールだ。初球、三球目、五球目、七に九――奇数の時に審判が判断した。それも映像を確認すると良い」
その為に分かりやすい様に同じ場所に打って影を付けたのだ、と続ける。
だから――
「ヒットと判定できるのはそことそこの間だけだ」
だから。そう、だから――
「まだ続けましょうよ――ピッチャー」
――ばりっ。
次は二十一球目。だから僕はライト方向のポイントを指しながら犬歯を剥き出しに嗤ってみせた。
「ファール!」
ハヤミ氏が投げて、僕が打つ度に歓声が観客から上がる。
悪意から始まって、いつしか嘲笑混じりの笑いへ。感情の移り代わりは焼き増しの様に行われ、それでもその感情が向かう対象だけが異なっていた。
彼等のヒーローはゆるゆるとバットを構える僕へと代わり。
彼等の玩具は肩で息をするハヤミ氏へと代わった。
ボール球、四球で逃げようにも、残念ながら特別ルール。僕の提案でソレは始めの会話で封じてある。
だから四球では逃げられない。
ヒット性の当りを打たれても、ハヤミ氏達の遊びの結果、ヒットと判断されない。
このゲームを終わらせる為にハヤミ氏が出来るのは僕を三振に取る。それだけなのだが――
僕はそれをさせない。
才能と性能の差を見せつける様に同じ場所を狙って当て続ける。
「ピッチャー、頑張れー!」
声援の形をした嘲笑が投げかけられる。糧にもならないソレに背を押される様にハヤミ氏が投げる。カットボール。勝負では無く、芯をずらして『どうかヒットを打って下さい』と僕に懇願するエロい球。「……」。微調整。疲労も考慮に入れ、球のブレを考慮して、僕はそのラブレターに返信する。
偶数だったので、レフト方向。「……」。流石に僕も疲れている。狙いはズレて、少し内に。ライト方向に。それでも楽し気に上がる「ファール!」の声が勝負の天秤を不自然に傾ける。
「――、――」
良い様に使って来た会場の空気。それに首を絞められ、ハヤミ氏はとても苦しそう。煙草で病んだ肺が痛むのか、胸に手を当てながら汗だくで呼吸をしている。
「どうか、しましたか……ピッチャー?」
遅延行為ですか? 良くないですよ? と僕。
「……もっ……許し……っ……」
疲労で閉まらない口の端から汗に紛らす様に涎を垂らしながらハヤミ氏。
「それはこちらのセリフなのですが?」
ヒットゾーンがアホ程狭いのですが?
レフト、ライトって言ってるけど、ぶっちゃけ全部センター返しなのですが?
難易度がぱねぇのですが?
「……なっ、が……何、が、何がっ! 何がしたいんだよ、お前っ!」
「こっちが訊きたい。これは君が、いや――君達が始めたゲームだろう?」
なぁ? と審判に視線を送る。「――」。返答はなく、頷いてもくれず、ただ、ただ、瞳の中で怯えを揺らすだけ。
「――っ!」
助けを求める様にハヤミ氏が観客の中にいる会社の先輩に視線を送る。
だが残念。
五十澤店長の縄張りを荒らす気は有っても、五十澤店長と、引いてはその会社と喧嘩をする気までは無いパイセンたちは動かず、負け犬を見る目を向けて来るだけだった。
「……同情は、します」本気で。心から。「けど――」
吸って、吐く。
意識して肩を動かす。
そうして力を抜いて、一度バットで肩を叩いてから、高く掲げ、構える。ルーチン。
「悪いが、それだけだ」
――野球辞めたくなるまで殺してやるからさっさと投げろ。
尚、実際には結構な本数がフライアウトになっていた模様。