本物と偽物
「一リットルの牛乳パックって学校のゴミ箱に捨てるの、ちょっと抵抗ありません?」
「……そう思うなら買って来んなよ」
「好物なんですよ、牛乳」
身体能力は実力に繋がり、身体能力を積むにはデカい身体が有利だ。金が要る。そんな理由だが、上を目指した名残。栄養、大事。タンパク質とカルシウム、超大事。いぇー。そんな訳でハガネくんは一日に最低でも牛乳二リットル飲まないと調子出ないのです。
「そんならパック持ったまま授業受けるか?」
「……窓際の日光で発酵が進みそうですね」
そんなことになったらただでさえ居場所がない教室から更に居場所が無くなってしまうぜー。
「不登校にはお前一人で成れよ?」
「何だ。友達がいがないじゃないですか?」
「友達ねぇ? はは、ウケんな、ソレ」
「……」
言葉尻に確かに混ざる本気の殺意。それに気が付かないフリをしつつ、背を向け丁度良い所にあった美術室に入り込み、そこのゴミ箱に空の牛乳パックを叩き込んだ。
ま、そりゃそうですよねー。
復讐。
まぁ、それなんだろうな。
「……ははっ」
それにしては随分と可愛らしい。
育ちが良いのか、性格が良いのか……嫌がらせにしても中途半端な強制的な強敵とのエンカウント。ガチの高校球児――の上澄み。甲子園の土を踏んだことがある相手と組まされた対戦の決闘状は公園だった。サウダージ氏曰く『ちゃんと許可は取ってあるので安心して欲しい』。こちらもこれまた育ちが良い。「……」。何となく。本当に何となく肩に背負ったバットケースを背負い直す。黒いモノが、一瞬過った。このテンションはよろしくない。――参ったな。そう思う今日は相手が相手だし、レート調整も兼ねて負けるつもりだったのに……このテンションだと多分勝っちゃうぞ、僕。
そんな懸念を抱きつつ、自転車を漕ぎつつやって来たのは午後八時半の名前も知らない公園。噴水があるとこ。僕がそんな風に覚えている公園だ。
直ぐ近くに大きなショッピングモールがある関係か、太陽が昇っている時間帯であればそこそこ人が集まることから割と市が力を入れて整備している公園だが、日が沈んだ今の時間帯には殆ど人がいない。ワンコがごすじんに連れられて楽しそうに歩いていたりするが、そのごすじんが何時もと違う客層――ぎゃははーと笑う少年少女の集団に眉をひそめて散歩コースを変更してしまうので本当に人が少ない。
そんな公園の今晩の主。ご近所迷惑になりそうなボリュームで笑い合う楽しそうな五人の少年少女。恐らくアレがサウダージ氏と愉快な仲間達なのだろう。そこまで育ちはよろしそうじゃない。「……」。テンション、ややダウン。勝率もダウン。
さて、どうしたものか? プレイボールは九時。未だ三十分ほど先だが……メインではなく、野良試合。それも表の実績でレートを上げているであろうサウダージ氏と言う新人と、あまり人気の無い僕と言う組み合わせだ。それ程ギャラリーも博徒も集まりそうにないからもう始めてしまっても良い気がする。
……でも楽しそうなパイセン方の邪魔をするのもよろしくない気もする。
「……」
どうしよ?
本日二本目の牛乳パックくんをずこーと鳴かせながら隅っこのベンチに体重を預けつつ、スマホなどを弄ってみる。着信十件とメール三通。……十件!? 多いな。何だろ? ってか誰から――義姉だった。メールも。「……」。折り返す前にメールを確認。タイトルが緊急。とても嫌な予感がするのですが?
それでも見ないと言う選択肢は浮かばない。流石にバイトの前にコレは気になり過ぎる。無視は出来ない。開く。
そこには――
そこに在った文字が意味する所は――
「は、」
――金が要る。
やはり僕にとって野球は金を稼ぐ手段でしかないらしい。
午後九時二十八分。
予定からもう直ぐ三十分過ぎて無効試合が成立しそうな二分前。
先ずは中々来ない対戦者に苛立ち、次に迫ったタイムリミットに緊張が弛緩。リミット三分を切った辺りでお仲間の少女が「帰ろうよー」と言い出してサウダージ氏の気持ちがそっちに傾き出した所に――
「すいません。遅れました。ブリキです」
「……」
一時間前からベンチに座っていたギャラリーだと思っていた少年Aが悪びれもせずにそんなことを言って来たのでサウダージ氏の目には確かな怒りが揺らいだ。
「どうしました? 早くやりましょう」
少年A――と言うか僕はその怒りを煽る。冷静になどさせない。歩きながらバットケースから金属バットを取り出し、ケースを放り投げる。剣豪同士の立ち合いで、ここが島であれば僕の敗北フラグだが――生憎と僕は打者で、サウダージ氏は投手。そしてここは公園だ。
故に勝敗は未だ決まらない。
遅刻した僕に突き刺さる視線は剣呑なモノだ。
お連れのお姉さまは勿論、態々サウダージ氏が用意したキャッチャーも当然の様にあっち側なので超アウェーと言う奴だ。博徒の皆さんも待たされた苛立ちをぶつける様に僕の敗北を望んで……うわ、ニット帽さんいる。有名選手ではなく、有名博徒。選手で無いのに何故かそこそこのファンを持つ彼女が来てるとなると――あぁ、クソ。公式チャンネルの撮影班来てる。
「今回の勝負ですか? わたくしはブリキに賭けましたわ! えぇ、確かにおっしゃる通り、レートはブリキが不利ですし、年齢差もあります。それに相手も相手、今までの相手と違って“本物”! 普通なら勝てる訳は無いですが――じゃん! 今回のポイントはここ! フィールドに注目! ですわ!」
ニット帽さんが楽し気にポイントを解説していらっしゃる。
あのお嬢様、無駄に容姿が良くて無駄に野球に詳しくて無駄に勝率高いから来ると試合の注目度が上がるので僕はメイン以外では会いたくないのだ。
実はクラスメイトだし。
……あっちは気付いてないみたいだけど。
……僕も名前覚えてないけど。
「……」
吐き出す溜息に迷いを混ぜて細く、長く。そうしてから念の為帽子を深く被り直して準備はオッケー。と、と、ととん、と何の意味も無く公園の地面を叩いてからバッドを担ぎなおす。とん。軽い衝撃。「――」。それだけで意識が切り替わる。
ルーチンワーク。いつものソレ。
音が消えて、ギャラリーが消えて、僕とサウダージ氏だけが世界に残る。
「――」
流石は甲子園経験者。僕のその姿を見てサウダージ氏の目から苛立ちの『赤』が消えて冷静さの『青』が浮かぶ。
ワインドアップ。
ランナー無しの状況故、ダイナミックに、高らかに。
本物が偽物を殺す為に手を空に向ける。
その手には左にグローブ、右に白球。
日本刀でも、拳銃でもない。
それでも掲げられたソレはバッターを殺すには十分過ぎる程の凶器だ。
一球目。外。アウトロー。ストレート。「……」。いや、少し動いた。クセ球気味だ。多分、変化球派。そんな匂いがする。
二球目。もっかい外。外れた。結構露骨。お気に召さないのか、大きく息を吐き出しながら帽子を被り直すサウダージ氏。制球は鈍い……と言うよりはゾーンの線上で勝負出来るタイプじゃなさそう。変化球派でこのコントロール? 甲子園経験者が? 脳裏に浮かぶ紫。それを振り払う様にサウダージ氏を視界の中心に置く。「……」。目に苛立ちの『赤』の残滓。あぁ、そうか。未だキレてる。未だ怒ってる。三球で仕留める気だったな。そう思う。なら。それならば――
三球目。予想通りに外。高め。ストレート。こんどは入った。やっぱり速球派と言う訳では無さそう。予想通りだったので全力空振りスイング。「……」。あからさま過ぎたか? そう思いながらも、『今の入ってた?』と言いたげにキャッチャーを振り返る。
四球目。甲子園出場者故の不利。全国ネットで晒された持ち球の種類を僕は覚えている。サウダージ氏の持ち球はフォーク系とチェンジアップ。一打席勝負で緩い球は使い難い。サウダージ氏にそこまでの度胸は無いし、眼に悪戯心も無い。外、外、外で分かってはいても僕の意識は外に向いている。だから来るのは内。しかも変化球。即ちフォーク。
それを意識する/それを意識しない
脳に思考を任せつつ、身体の力を抜き、柔軟性を確保。
狙い球を決めつつ/それを否定しながら
踏み込み。そして回転。
勝つ。日の光が当たる場所からやって来た彼に対する確かな黒い感情が身体を動かし――匂い。
瞬間の判断に身体が動く。腕が動く。回転軸は動かさない。畳む。コンパクトに。振る。その分速く。理論と眼でなく直観が捕らえた四球目は――シュート。
内側から、更に内に。
フォーク狙いだった僕を殺す為に放たれたソレを僕のバッドは逆に噛み砕いた。
――二遊間を貫く弾丸ライナー。
まぁそんな所だろう。予想は外れたが、逸った気持ちの分だけバットが前に出た。あと一拍。待てなかった結果だ。
だが上々。
SOの――と言うか一打席勝負における構造上の不平等。
投げなければ始まらない野球と言うスポーツにおけるどうしても発生するピッチャー有利な知らないボールを喰ったのだからお腹はいっぱい、ポイントもいっぱい。
元甲子園球児相手だからか、それとも三球目の空振りが見事過ぎて博徒の皆様が動いたお陰か、野良なのに昨日のメインよりも良い稼ぎだった。
「大学デビューに合わせて用意した秘密兵器だったんだけどな……」
そんな幸せいっぱいの僕に「やられたよ」と良いながらサウダージ氏。
「そのせいですよ」
だから完成度が低かったです、と思っても居ない適当な返しをしながら握手に応じる僕。
「そかー……フォークで勝負しとけば良かったかな?」
「僕はその方が怖かったですね」
出てくるのは適当な返し。だって早く切り上げたい。
――金が要る。
僕が野球をやる理由だ。だから喰い終わった相手には興味はない。そんな相手と話をする気は無いからさっさと帰りたい。
それだけだ。
どういうチートか明言しないけど、ハガネはチート持ち。