アンダー
――吐き気がした。
五十打席連続――ですらない、五十球連続のヒット。
そのフィクションの中の様な大記録を為した打者を見て、心底から吐き気がした。
体型を隠す為の大き目のウェアのファスナーを引き上げ、キャップを深く被り視界を絞る。
直視出来ない。
直視したくない。
ままごとの様な、弱いモノ虐め。
かつて絶対に負けたくないと思った打者の不様で無様な晴れ舞台。
そんなモノを真っ直ぐに見たら自分は多分、アレを殺してしまう。
許せない/選手である自分を殺したアレが
許せない/その癖、こんな場所で遊んでいるアレが
許せるはずがない。
だって――
だって、お前は――
「はがねくん。私、今日もバス停までで良いから」
「……」
僕の仕事の結果、一人の男がもう二度と野球が出来ない身体になり、五十澤店長の機嫌が良くなっての三日。あの朝の悪意は何処へやら。
代わりに、ザ・義姉とでも言いたげな傲慢さでだから『早く食べ終われ』と隣に座ったマイシスター。
「……」
念願かなって朝食にご飯を用意して貰える様になった僕はどんぶり飯を前に納豆二パックををねりねりしながらそれを聞いていた。森のくまさんを歌いきるまで混ぜると美味しくなると言う噂を聞いたので、脳内で流しながら混ぜていたのだが――気が付いたら輪唱になってたので中々終わらなくなっていた。
兎も角。
僕の納豆は兎も角として。今日も義姉は絶好調。
色々と文句はあるが、最終的に「口答えしない」で締められて、それでも反抗した場合は学校まで乗せて行く羽目になるので、大人しく言うことを聞いていた……の、だが……
「……」
助けを求める様に視線を上げる。
何やら義父さんが今日は朝から用事がある様で台所に母さんが、僕の目の前には食パンを齧る義父さんが居た。
実の息子の虐めの現場であり、実の娘の加害の現場である。
きっと僕の頼りになるパパとママなら――
「あ。鋼、漬物二切れだけ残ってるから全部食べちゃって」
「……」
母さんは頼りにならない、と。
たくわんをぽりぽりしながら義父さんを見る。
「……仲が、その、鋼くんは燕と仲が良いみたいだが――もしかして――つ、付き合っていたり?」
「ねぇよ」
思わず飛び出る汚い言葉遣い。
義父さんは輪を掛けて頼りにならない、と。
「そ、そうか? それなら、まぁ、うん……でも、姉弟と言っても血が繋がっていないんだから、別に――あぁ、いや、うん。何でも無い。何でも無いんだ」
親心から出ていた言葉が、最終的に恐怖に染まる。「……」。隣の義姉がキレてるからだろう。僕もその怒りの対象だから超怖いぜー。
「お父さん、来月の父の日、プレゼント貰えると良いわね?」
うふふ、と義姉。
またあの目だけは嗤っている笑顔をしているのだろう。怒りの割合が義父さん多めだったのが有り難い。次のターゲットにされない内に――と納豆ご飯を食べて、味噌汁ずずー。
そうしてからいつもの調子で玄関に向かい、いつもとは違い両親がいるので「いってきます」。そうしてから自転車を引っ張りだせば、僕のバットケースを持った義姉がいつもの調子で通学カバンをカゴに入れ、僕はその隙間にリュックを捻じ込む。そこで「ん?」となる。
「今日、体育ないですよね?」
言いながらカゴに追加で入れられた手提げを指差す。
二組と一組は体育は合同で、今日は体育無かったはずだ。他のことに使うのだろうか? 僕も持って来た方が良いのだろうか?
「えっち」
「……えっちではないと思うのですが?」
「はがねくん、レディーの荷物をじろじろ見るのはやめなさい」
「成程。レディーの荷物“は”じろじろ見ない様にします」
で、これは何でしょう?
「……」
じろじろ見ながら指差したら抓られた。ザ・理不尽。
罰として学校まで送らされた。
とても勘弁して欲しい。
と、言うのも近年共学になったばかりの我が鳳学園は中等部までは女子部しかなく、義姉はどうやらその女子部時代、学園の王子様的ポジションだった様なのだ。
なので未だにファンがいっぱいいる。中には過激派も居る。義姉を学園まで乗せて行った日、そのことが過激派の耳に入った様で、僕はその日初めて本気の殺意を向けられた。とても怖かった。
ファンの皆さんには僕が義弟であること。決して恋愛感情はないこと。エロイ目で見てしまったことはあるけど、それは男の子なので仕方が無いこと。男子とはそう言う馬鹿で哀れな生物であること。だから消しゴムを拾ったら笑顔で手渡していけないこと。そんなことをされたらうっかり惚れてしまうこと――等々を一時間程説明する羽目になった。
後半、珍獣の説明になってしまったが……そう言うしんどい目にあったのだ。
あんな思いはもうしたくない。
余談だが。
その説明を聞いていたお嬢様の一人がその日の授業で拾った消しゴムを笑顔でイカルガに手渡していた。手渡していたので、その内にイカルガと非公式戦やってホームランでも打ってやろうと思っている。ハヤミ氏ルートをやらないだけ僕は人格者である。
「……」
尚、以前に非公式戦を挑んだ時、イカルガが僕との勝負を本気で楽しんで居たので、そのことを思うとちょっと心が痛むことも記しておく。
そんな僕のことが好きなのか嫌いなのか良く分からないイカルガは今頃いつもの河川敷で僕の到着を待ちながら自主練をしているのだろう。今日は調子が良いこともあり、僕はスマホでメッセージを送っておいた。『きょういかない』。変換すらしていない雑な文だが、別に朝練の約束をしていた訳では無いのでこの程度でいいだろう。早朝で教師に見咎められることが無いのを良いことにそのままスマホを弄りながら廊下をぺちぺち歩いて一年二組に向かう。
自転車を止めている間に教室に行かせた義姉はどこへやら。途中前を通った一組に人影は無かった。この分だと我がクラスも僕が一番乗りだろうか?
「おはざー」
それでもドアを開ける時に挨拶をする僕、えらい。
「おは? ざー? あぁ! おはようございます」
「……」
帰って来ると思ってなかった挨拶が帰って来たので、少し驚く。スマホから顔を上げれば既にクラスメイトが登校していた。見覚えはある。名前は知らない。あだ名は付けてる。ニット帽さんだ。
SO博徒である不良お嬢様であるニット帽さんはそのあだ名の由来であるニット帽をかぶらず、とても深夜徘徊しているワルイコであるとは思えないお嬢様然とした楚々とした雰囲気で「朝、早いんですのね鋼さん」とか言ってる。
大変麗しくていらっしゃるのだが――
『な・ん・でっ! ――何でっ! 今の球をっ! 振りますのっ!? 有史以来そこがストライクゾーンになったことは有りませんわよ!? 石器時代? もしかして頭石器時代でいらっしゃいますの? ブリキのお名前に恥じない様にママのお腹でストライクゾーン勉強する所からやり直したらいかがですの! はっ!? もしかしてお目々とお身体が錆びていらしゃいますのね? 油刺して出直してこいやですわー!』
と言う渾身の野次を受けたことがある身としては非常に微妙な気分である。
因みにイカルガは――
『グロスビーク! ちょ! このっ! グロスビィィイィクっ! このエロ鳥! 何なんですのそのエロい球は!? 発情期? 発情期でいらっしゃるのね? ストライクゾーンで勝負するのは怖いから様子見、でもただボールにするのも嫌だから際どい所に変化球で運が良ければストライク取れてラッキー? ハレンチ! ハレンチですわよ! わたくし、殿方のそんなはしたない姿見たくないですわ! チ〇コだすよりもエロい恰好する度胸があるなら奪三振ショー演じるくらいの根性見せて下さいまし!』
と言う野次を貰っている。
ニット帽さんが選手でなく博徒なのに何故かファンが付くのは多分、この辺が理由だと思う。美少女だけど躊躇なくチ〇コ言える所だと思う。
「鋼さんが来たと言うことは……燕も登校してますの?」
「? 義姉さ――、誰のことデスカ?」
「あら? 御存じなくて? わたくし、燕の親友ですので、貴方が燕の義弟だと言うことは存じてますよ?」
「あぁ、そう言う――」
だから御堂でなく鋼なのか。
可愛いクラスメイト女子に行き成り名前を呼ばれたから危うく恋に落ちるところだった。危なかったぜー。
「義姉さんなら、何故かクラスには居なかったですけど、校内にはいるはずですよ」
「そうですか。それなら、わたくし――ちょっくら燕と駄弁って来ますわ」
では失礼しますわ、とお嬢様。
手提げを片手にスキップする様に教室を出て行った。
「うぃー」
「おはざー」
「今日はどしたん? 何でこんかったん?」
「義姉さんにパシられて学校まで送らされたん。……今日って体育ないですよね?」
「? 無かったと思うけど――どした?」
「……いや、別に大したことではないです」
一限、現国だっけ? と言いながら朝のショートルーム前の空気の中、ゆるゆると駄弁る。
僕とイカルガなので当然話題は野球、もしくはSO関連なのだが――
「そう言えば今更なんですが……君、ニット帽さんの名前しってます?」
「? 桜宮沙織だろ?」
そろそろ面通ししとくか? 現場でバレると拙いだろ? と、イカルガ。その言葉に「あー」となる。言われて見ればそうした方が良いのかもしれない。現場でバレて本名を呼ばれたらそれは中々に面倒くさい。だが――
「昨日までならその意見に賛成だったんですが……」
「ですが?」
「義姉の親友らしいんです、彼女」
「あー……そらそうか。そうならどうする? カミングアウト、止めとくか?」
「と、言うかですよ? 向こうも気が付いて気が付かないふりをしてるんじゃないですか?」
だって僕が気付いてるんですよ? と僕。
「……すげぇ説得力だな、おい」
イカルガ、余りの説得力に驚愕。
「……今、僕をディスったか?」
「……気のせいだよ」
――おら、先生来たぞ。前向こうぜ。
そんな風にイカルガは僕の追求を逃れて行った。
昼飯の時に詰めてやろう。
そんなことを考えていたはずだが、既に一時間目の途中でどうでも良くなったので止めておくことに。
そんな訳で今日も僕とイカルガは仲良く女子の支配する一年二組から離れ、部活棟の空き教室目指して旅を開始した。
「あ、牛乳買ってくから先行っといて下さい」
「いや、俺も行く。何かフレンチトーストが美味いらしい」
クラスの女子が言ってた、とイカルガ。「……」。それはあれか? もしかして消しゴムちゃんか? 消しゴムちゃんに聞いたのか?
「あのアルミで包んだいかにも自家製みたいな奴ですか?」
「ばっか。このばかミドー。そう言う自家製のヤツこそ拘りが入って美味いんだろーが」
「そうですか。……お駄賃くれるならついでに買ってきますが?」
「飲みもんも欲しいから良い」
「そうですか……」
手数料で五割請求しようと思ったのに……。
そんな感じにぐだぐだしながら売店に向かい、牛乳とフレンチトーストを買って空き教室に。何の気無しに窓の外を覗いてみれば――先輩達が今日も野球をやっていた。
「……仲間に入れて貰うか?」
「“最低”と“最悪”ですよ? お呼びじゃねぇですって」
「マジにやってる訳じゃなさそうだから良いんじゃね?」
「……それはそれでお呼びじゃねぇでしょ」
“怪物”と“怪物殺し”。
本気でやっていた僕等はあそこに混じって楽しく遊ぶことは出来ない。
「俺の方は履いてる下駄脱げば行けそうだけどな」
「高一でSOのメインに上がれる位置に居るなら十分上澄みですって」
そういや最近どうなんです? もうメイン上がれます?
いただきます、とお手々を合わせつつ僕。
メインに上がれそうならチームを組んでも良い。投手一人に打者一人であれば、全九打席の成績で勝敗を決めるSOのチームマッチ。あれにも参加できる。だからイカルガには速く上がって来て欲しい。
前に聞いた時、イカルガは「今期中には上がれる」と言っていた。今期は残すところ、今月、五月のみ。その五月も半分過ぎているので――
「……あー、それなんだけどなぁ……」
「?」
あれ? と疑問符。イカルガなにやら言い難そうに頭を掻いている。
「何かあったんですか?」
「今、レートが荒れてんの、知ってるか?」
「……噂程度でしたら」
ただし実感はない。
何故なら荒れているのは僕よりも下のレート帯、しかもピッチャーのだからだ。
「そのせいでキツイ、と?」
「……何か店長もソイツ上げたい見てぇだし、正直、頑張れば上がれるけど、上がろうとしない方が良さそうな空気が投手側にはある」
「それはそれは――店長の部分は少なくとも噂通りってわけですか……」
食べ終わったので、ごちそうさま。そのままパック牛乳にストローを突き刺し、ずこー、とやりながら、何とは無しに空を見上げる。
何でも最近、五月の頭頃からヤバい投手がSOのU18を荒らしているらしい。
登録名はアンダー。
ソイツが突きつける条件は三つ。
一つ。全ポイントを賭けること。
一つ。負けた場合、今期のSOには参加しないこと。
一つ。こちらの情報を一切他人に漏らさないこと。
名前とは裏腹に、その条件で全戦全勝している投手だ。
この内、特に一つ目と二つ目の条件のせいでU18帯はごちゃごちゃになっている。
割と無茶な要求だが、ソイツも相応のリスクを背負っているし、何故か五十澤店長が推してることもあって今の所トラブルには発展していない。「……」。そう言えば――
「『店長』が事実なら……あっちの噂も本当なんですかね?」
「あー……どうだろうな? 気にはなるけど俺、投手だから対戦出来ないしなぁー……お前は? やっぱ興味あんの?」
「……………………………………………………………正直」
「正直?」
「興味しかない」
「エっロいなぁ」
「悪いですか?」
「いや。正直、俺も打者だったら興味しかねぇ」
ですよねぐへへー、とゲスく笑い合う僕等の周りの空気はショッキングピンク。
アンダーが背負っているリスクの一つ。勝てば奴の可愛い巨乳彼女を一晩好きに出来ると言う噂。それが気にならない野郎はいないだろう。
少なくともソレがあるからエロに釣られた奴等の屍が積み上げられているのだから……。
おま環かもしんないけど、ルビ芸多用するこの作品、PCだと読みにくくないですか?
読み難い人はスマホ推奨でっす。




