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最終話


 アイーシャの叫び声が聞こえたのだろう。

 墓標の前に立っていた人物は、弾かれたように振り向いた。

 アイーシャと同じ躑躅(つつじ)色の髪の毛が揺れ、髪の隙間からシルバーの瞳がちらりと覗いた。その瞳が僅かに見開かれ、そして愛し気に細められる。

 それを見たら、もう駄目だった。


「おとうさま……っ!」

「アイーシャ」


 耐えていた感情が堰き止められず、次々に溢れ出てくる。

 溢れ出る感情と比例してアイーシャのエメラルドグリーンの瞳からはぼろぼろと涙が零れ落ち、その場で足を止めてしまう。


 アイーシャの手を引いていたクォンツは、そっとアイーシャから手を離しその場から少し遠ざかる。

 親子の再会に、自分は必要ないだろうというクォンツの配慮だった。

 そんなクォンツの行動に、ウィルバート、もといウィルは「ありがとう」と口の動きだけで伝え、そのままアイーシャに歩み寄る。


「アイーシャ。心配かけたな……すぐに会いにこれずにすまん」

「いいえ、いいえっ」


 ぶんぶん、と頭を振るアイーシャの手を取り、いつものようにウィルはアイーシャの頭を優しく撫でた。

 子供の頃からアイーシャの頭を撫でるのがウィルの癖になっていた。撫でられる感触も、優しい眼差しもウィルが「ウィルバート」本人だということを証明している。


 アイーシャはたまらずウィルに抱き付き、「お帰りなさい!」と大きく声を上げた。




「最初は極刑になっても仕方ないと思っていたんだ」


 三人は場所を変え、ルドラン子爵邸のサロンにやってきていた。

 サロンにはウィルを知っている家令のディフォートと使用人のルミアが同席しており、三人の話の邪魔にならない場所、扉付近に控えている。

 ディフォートも、ルミアも目元を真っ赤に染め、ハンカチで覆っている。


 サロンのソファに腰を下ろし、用意された紅茶を一口飲んだ所で、ふと息を吐き出したウィルが言葉を発した。


「僕はイライアを殺し、僕自身も殺そうとした弟ケネブを同じ目に遭わせてやろうと思った。……実際、遭わせてやろうと行動に起こした。その結果が、邪教の男の合成獣(キメラ)化だ。……アイーシャも殿下からある程度話は聞いているだろう?」

「――はい、聞いております」

「ケネブを死ぬ寸前まで恐怖で貶め、彼の大切な家族も、僕たち家族のような目に遭わせようと思った。……あの時は道徳心とか、人道とか……人の道を外れるかもしれない行動になんの疑問も抱かなかったんだ。ただただケネブを憎む気持ちが強くて……同じような目に遭わせてやろう、としてた。それが普通なんだって」


 途中で言葉を切ったウィルは、ふと視線を落として自分の手元を見つめる。


「だけど、そう思って実際に行動して、闇魔法を使っていく度に……」

「……闇魔法が強化され、感情が抜け落ちていく感覚に陥ったんじゃないですか?」


 言葉を止めてしまったウィルの言葉の続きを、クォンツが紡ぐ。

 クォンツの言葉に、ウィルも、クォンツの隣に座っていたアイーシャも驚きで目を見開く。


「どう、いう……感情が抜け落ちる……? でも、今のお父様は今までと変わりません。何も変化、なんて」


 言葉を発しながらアイーシャは思い出す。

 でも、確かに。


(確かに……お父様と再会した当初は闇魔法の発動までにクォンツ様たちの手助けを必要としていたわ……けど、いつから? いつからか闇魔法の発動までの時間が短縮されて……闇魔法が及ぼす効果がどんどん広域に、本当に文字通り何でもできるようになったのは、いつから……?)


 まさか、とアイーシャは真っ青になる。


「闇魔法、とは……術者の感情の欠落と共に、強力な魔法を……?」


 ぽつり、と落ちたアイーシャの言葉が嫌に室内に響く。

 そんな事、あっていいのだろうか。

 アイーシャの言葉に、ウィルは苦笑いを浮かべた。否定しない、と言う事は肯定しているも同然だ。


「殿下の考えも、僕の考えも同じだ。……まさかクォンツ卿も勘付いているとは思わなかったけど」

「あんなに短い期間で、魔法の精度と効果が拡大してますから……。それに、闇魔法を発動する度に、ケネブ・ルドランと対峙する度に……ウィル、卿の感情が……その、顔が……能面みたいになってましたよ」


 そんなに顔に出てたんだ、参ったな。と眉を下げて後頭部をかくウィルに、アイーシャは不安が押し寄せる。

 それじゃあ、このまま闇魔法を使い続けたらウィルは一体どうなってしまうのだろうか。


「僕が()()()()を失っていく度に、闇魔法は強化される……。それに気付いて……確かに変化している感情に僕も戸惑ったよ。……これで、更にケネブを苦しめるためにエリザベートや、エリシャに惨たらしい死を与えたら、僕の感情は、人として、僕は僕らしくいられるんだろうか、って。僕はどうなるんだろう、って」


 ウィルが言葉を続ける度にウィルの表情が痛みに耐えているような、泣き出してしまいそうなのを我慢しているような表情に変わる。

 辛そうに顔を歪めるウィルに、アイーシャも泣きそうになってしまう。


 背後からは扉付近に控えているディフォートとルミアが声を殺し、嗚咽を堪えているような気配がする。


 ウィルの辛さ、悩み。

 アイーシャ自身も違和感を感じていた。それなのに、深くウィルに話を聞こうとしなかった。

 ウィルが一人で辛い思いをしていたのに、呑気に過ごしていたなんて、とアイーシャは自分の行動を恥じ、強く後悔の念を抱く。


「ごめ、ごめんなさいっお父様……っ、わたしっ、お父様の様子が何だか変だ、って気付いてたのに……っ、お父様が悩んでたのに……っ」

「違う! アイーシャは何も悪くないんだから、そうやって自分を責めないでくれ! これは、僕が……僕自身の心が弱かったからいけないんだ。よく考えれば、復讐なんてイライアは絶対に望んでない事はわかるのに……だから、これは僕の弱さが招いた失態だ」


 ぼろぼろ、と涙を流しごめんなさい、と謝るアイーシャに駆け寄ったウィルは、床に膝を着いてアイーシャの手を握る。

 話を黙って聞いていたクォンツは、ふと口を開いた。


「でも、ウィル卿が直接手を下したのは邪教の人間と、ケネブにのみ。エリシャ・ルドランの脱獄にはちょっと手を貸しただけ、ですよね……?」

「あ、ああ……」

「……闇魔法を使い続けても、人道に反した魔法を使わない限り……感情は失わない……?」

「クォンツ卿は流石に魔法に関して、理解が深いな。殿下も同じ考えだった。あそこで……馬車の横転事故の際に私がエリシャに手をかけていたら……命を奪うような真似をしていたら、話は変わっていたかもしれない」


 ウィルの言葉を聞き、アイーシャは俯いていた顔をぱっと上に上げた。

 溢れていた涙が、顔を上げた拍子にぽろりと落ちる。


「お父様は、今はもう……大丈夫、なのですか……? 辛い思いをしたり、悩んでたり……」

「ん? そうだね。その確認のため、殿下に暫く監視されていたんだ。感情の欠落も、人らしさも、問題ないと判断されて、やっと堂々と会いに来られたんだよ。……そう、もう何も問題ないんだ」


 どこかすっきりとしたウィルの笑顔に、アイーシャはくしゃり、と顔を歪めて勢い良く目の前のウィルに抱き付いた。

 どこかひょろりとした印象のウィルだが、アイーシャを危なげなくしっかりと抱き留める。


「これからはこの邸で、また昔のように一緒に過ごせるようになるよ、アイーシャ」

「よかっ、良かったです……!!」


(有事の際は、国のために闇魔法を使う事を厭わない。それを承諾して、殿下には手打ちにしてもらった事は……アイーシャには言わなくてもいいか)


 本当は、色々とマーベリックと契約を交わした。

 今後、この国は以前より多少荒れるだろう事は分かっていた。

 ウィルを罰し、処刑するよりも闇魔法の使い手を味方として手元に置いておく方がいいと判断された上で、ウィルは赦されたのだ。


(実際、踏みとどまれたからこそ、処刑する程の罪ではない、と判断されたからな……。殿下には頭が上がらない)


 わあっ、と声を上げて泣くアイーシャを愛おし気に目を細めて見つめるウィルは、つい、と隣に座っているクォンツに視線を向けた。


 堪え切れず、声を漏らして泣くアイーシャには聞こえない程度の声量で、クォンツに話しかける。


「――悩みといったら、アイーシャに乱暴を働いたあの無法者をどうしようか、と思っているんだけど……。僕が手を下したら、やりすぎちゃいそうな気がするんだよね」

「俺がやります」


 しゃき、と背筋を伸ばして即座に応えるクォンツに、ウィルは満足気に目を細め、口角を上げた。


「そうか? それじゃあクォンツ卿に頼もうか。彼にはたっぷりお仕置きをしといてもらってもいいかな?」

「勿論、任せてください。俺も話を聞いて、殺してやろうかと思ったくらいなので。……殺しはしませんが、一生後悔するくらいの目に遭ってもらいますね」


 二人はお互いに顔を合わせ、頷き合う。

 そうして互いにふっと噴き出して笑った。


「さて、僕もこの邸に戻ってこれたし、これから先の事を考えないとな」


 例えば、アイーシャの婚約について、なんて。とウィルが楽しそうに話した言葉に、クォンツはぎょっと目を見開く。

 慌てたように「え」だとか「婚約」だとか口にするクォンツをその場に残したまま、ウィルはアイーシャの手を取って歩き出した。


「アイーシャ。一緒にイライアの所に行こう。二人でただいま、って言ってなかっただろう?」

「……う、はい。すみません、泣きすぎて……恥ずかしいです」

「大丈夫だよ。これから先の事で、色々不安になったり、悩む事があると思うけど……アイーシャには優秀な領地管理人がついているからね。何でも相談するといい」

「ふふ、はい! そうですね、成人して領地を返還いただいたら、色々大変だと思います。お願いしますね、お父様」

「ああ。僕にどんと任せておきなさい。……ああそうだ。アイーシャの婿の事も色々と考えないとなぁ」


 婿、という言葉を聞いてアイーシャはずきり、と自分の胸が痛むのを感じた。


(そう、よね……そうだ、私は子爵家の跡取り……私が跡を継いで……そして代々子爵家を子孫が継いでいく、のよね。クォンツ様は、侯爵家の跡取り、だもの……)


 そっとウィルにはばれないように自分の胸に手を当てる。

 アイーシャの表情が陰った事に気付いたウィルが何かを口にするより早く、慌てて後を追ってきたクォンツが叫んだ。


「それは……っ! 俺が……!」


 思わず口走ってしまった、というような表情のクォンツがはっとして自分の口を咄嗟に塞ぐ。

 クォンツの言葉に驚き、振り返ったアイーシャの顔がみるみる赤く染まって行く。


「え……、ええ……?」


 混乱したように何の意味もなさない言葉を発するアイーシャに、ウィルはじとっとした視線をクォンツに向けた。


「クォンツ卿は侯爵家の跡取りだろう? 安心しなさい、アイーシャ。私にはたっぷりと()()()()()からじっくり、ゆっくり時間をかけて相手を探そうな。子爵の継承には色々な手があるから大丈夫だ」

「いや、だからそれは……! 駄目ですウィル卿! ああ、くそっこんな所で告うつもりじゃ……っ、もっとちゃんとした所で、って! 準備してたのに!」

「え、あ、うぅ……」


 アイーシャの手を引いてずいずいと足を進めて廊下を歩いて行くウィルに、真っ赤な顔のまま手を引かれ、ちらちらと後ろを振り返るアイーシャ。

 混乱して色々な事を口走ってしまいながら、アイーシャとウィルの後を追うクォンツ。


 三人がサロンを出て行き、廊下から騒がしい声が聞こえる中、サロンの片付けを始めるディフォートとルミアはふふふ、と楽し気に笑い合いながら手を動かす。


「これから先、賑やかになりそうですね、ディフォート様」

「ああ、そうだな。奥様も喜びそうだ」






 廊下を通り、庭園までの道もウィルとクォンツの会話は続き、間に挟まれたアイーシャは顔のみならず、首まで真っ赤にしつつようやっとイライアの墓標までやってきた。

 背後から漏れ聞こえるクォンツのアイーシャへの気持ちやら、提案やら、今は聞かない事にした方がいいような言葉たちが飛び交っている。


 ウィルも揶揄って楽しんでいるのか、楽し気な声から表情を見なくてもウィルの顔が生き生きとしているのが想像できる。



「お母様……騒がしくしてしまい、ごめんなさい……」


 イライアの墓標の前で、アイーシャはそっとしゃがみこむ。

 アイーシャの背後では、ウィルとクォンツの賑やかな声が未だに聞こえてくる。


「まだ、色々と考えなきゃいけない事もあるし……。これから先、国が大変な事になるかもしれない、って殿下が仰っていたんですけど……」


 アイーシャはちらり、と背後を振り返る。


「でも、お父様も戻って来て下さいました。……それに、私の側にはいつも頼もしくて、優しくて、かっこいい人がいるんです。これから先も一緒にいれたらいいな、って思う人で……。その……」


 アイーシャは墓標に近寄り、内緒話をするようにこそこそと囁く。


「お母様にだけ、教えてあげます。まだ、誰にも言っていないんですよ? クォンツ卿、私が大好きな人なんです」


 へへ、と照れたように笑うアイーシャが告げた瞬間。


 まるで返事をするように一際強く風が吹いて、周囲に咲き誇る美しい花がまるではしゃぐようにさわさわと揺れた。

 母娘が恋の話をして、はしゃぐように、揶揄い合うように。

 そして、アイーシャの頭を優しく風が撫でた――。





―終―

 

これにて完結です。

長らくお付き合い下さり、ありがとうございました!


少しでも楽しんでいただけてたら嬉しいです(^ ^)

もしよろしければ、下の☆をぽちっとしていただけると私が小躍りします。

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