93話
「ああ、来たか二人とも」
「王太子殿下にご挨拶いたします」
部屋に案内され、入室するなりマーベリックに話しかけられたアイーシャは、自分の胸に手を当てて礼を執ろうとしたが、マーベリックに「硬い挨拶はいい」と言われ、戸惑ってしまう。
クォンツは慣れた様子でマーベリックに軽く片手を上げ、すたすたと足を進め、ソファに座ってしまう。
あまりにも自然な動作のクォンツに呆気に取られていると、アイーシャの近くまでやってきていたマーベリックが苦笑しながらクォンツを示し肩を竦めた。
「クォンツを見ろ。全く、あいつには少しくらいルドラン嬢を見習って欲しいくらいだがな」
マーベリックの言葉に、アイーシャは何とも言えず、へらりと笑みを浮かべる。
「さあ、座ってくれ」とマーベリックに促され、アイーシャもおずおずとクォンツの隣に腰を下ろした。
室内にはアイーシャとクォンツ、マーベリックとそれに彼の護衛の四人しかいない。
マーベリックの護衛とは何度も顔を合わせており、最早顔見知りになっているような気がする。
アイーシャが護衛に軽く頭を下げると、護衛もにこやかな笑みを浮かべ、軽く腰を折ってアイーシャに挨拶を返す。
既に用意されていた紅茶のカップにアイーシャが視線を落とし、湯気の立つカップに手を伸ばした所で隣に座っていたクォンツが何の脈絡もなく突然ウィルバートの件を口にした。
「――で? 彼をアイーシャ嬢に会わせるつもりはあんのか?」
「けふっ」
アイーシャは紅茶についつい咽せてしまった。
今日、マーベリックとの会話の中でそれとなくウィルバートの事を聞ければ、と思っていたのだが顔を合わせて早々クォンツが本題を切り出すとは思っていなかったアイーシャはけほけほと咽せてしまった。
大丈夫か? とアイーシャに声をかけつつクォンツはマーベリックに「で?」と答えを促している。
「……いきなりか、クォンツ」
「ここで世間話……、なんてしないだろ? マーベリックは俺達に話があって呼んだ。俺達も聞きたい事があったから来た。……それに、さっさと帰らねえと妹の家庭教師が帰っちまうからな」
クォンツが「家庭教師」の単語を出すと、マーベリックの雰囲気が和らぐのが分かった。
それまでクォンツに向けていた視線をアイーシャに向け直したマーベリックは、軽く肩を竦めてから何の気なしに告げる。
「――私は彼について処刑したなどとは一言も言っていないだろう?」
「ああ、確かにな。処刑されたって勘違いしたのは俺達だ。よくよく思い出してみりゃあ、マーベリックは彼の名前を一切口にするな、彼は存在しなかった、とだけ言ってただけだ」
「……そう言う事だ」
ふっと息を漏らし、口角を上げるマーベリックにアイーシャはじわじわと実感が湧いてくる。
二人とも明言はしないが、確実に「彼」は生きているという認識で話をしている。
アイーシャは震える指先をきゅう、と握り締めマーベリックに向かって口を開いた。
「殿下、本当にありがとうございます」
言葉と同時に、最大限の感謝を伝えるように深々と頭を下げるアイーシャにクォンツとマーベリックはお互い顔を見合わせて笑い合った。
◇
マーベリックとの話が終わったアイーシャとクォンツは、来た時と同様、使用人に案内されながら廊下を歩く。
アイーシャは隣を歩くクォンツにちらり、と視線を向けた後に自分の手元に視線を落とす。
(お父様は、間違いなく生きている……。今日、予感が確信に変わった。これも、クォンツ様が殿下にはっきりと聞いてくれたお陰よね。私では、殿下にあそこまではっきりと聞けなかったもの)
アイーシャから視線を感じたのだろう。
クォンツは不思議そうに首を傾げ、アイーシャに視線を返している。
ここは、まだ城の中だ。
廊下を歩いているのは何もアイーシャとクォンツだけではない。
目の前には案内役の使用人もいる状態で、誰がどこで聞いているかわからない。
アイーシャは隣をあるくクォンツの服の裾をつん、と指先で軽く引く。
「――ん?」
ぐ、と耳を近づけてくれたクォンツに、アイーシャは背伸びをして近付くと。
「クォンツ様、殿下に聞いて下さってありがとうございます」
耳元で小さくお礼を口にする。
常より近くなったクォンツの顔、横顔にアイーシャはどきどき、と心臓を高鳴らせたが嬉しそうに口角を上げるクォンツに頭を撫でられてつい声を出して笑った。
声を出して笑えたのは随分久しぶりだった。
城を出て、馬車に乗り込んで少し。
向かいの座席に座ったアイーシャとクォンツは晴れやかな気分で世間話に花を咲かせていた。
帰路について暫く。
もうすぐ邸に到着する頃合いだ。
ふ、とアイーシャはマーベリックに言われた言葉を思い出し、口にした。
「そう言えば、殿下からルドラン邸に戻っても大丈夫だ、とお許しが出ましたね。学園への登校も再開していい、と仰っていました」
「ああ、確かにそんな事を言ってたな。学園か……随分久しぶりな気がするな」
「ふふ、確かにそうですね。入学してすぐ休学する事になってしまったので……大分休んでいたので、ついていけるか不安です」
「不安なら、リドルや俺が教えるさ。座学は苦手だが、実技なら俺に任せろ」
得意げに胸を張るクォンツに、アイーシャは微笑みながら頷く。
「確かに、魔法の実技をクォンツ様に教えていただけたらとても助かります!」
「ああ、任せろ。演習場をリドルの名前で貸し切ってとことん教えてやるよ」
「お、お手柔らかにお願いしますね?」
「それはアイーシャ嬢の腕前次第だな」
くすくす、と笑うアイーシャにクォンツも目を細め嬉しそうにはにかむ。
ようやくアイーシャが心からの笑みを見せた事にクォンツがほっとしていると、アイーシャが眉を下げて些か残念そうに呟いた。
「学園に行けるようになるのは嬉しいのですが……。今日でユルドラーク邸を出て、邸に戻るのが少し寂しいです。ここ数日、シャーロット嬢と沢山お話できて仲良くなれたのに……」
「ちょくちょく遊びに来ればいいさ。もしアイーシャ嬢が良ければ、シャーロットを茶会に誘ってやってくれ」
「本当ですか!? 是非誘わせていただきます!」
「ああ。そうしてやってくれ。シャーロットも喜ぶ」
クォンツはそこで一度言葉を切ると、だが、と続けた。
「シャーロットの家庭教師の彼とは、未だに会えずじまいだな」
「……そう、ですね。ですが、きっと遠くない未来に会える、とそう思っています!」
拳を握り、気丈に告げるアイーシャに「確かにな」とクォンツもごちる。
「近くにいるのは確実なんだよな……。どこで見ているのか……時折鋭い視線が飛んでくるからすぐ近くにいそうなモンなんだが……」
「鋭い視線、ですか……?」
そんなの、どこで? ときょとんと眼を瞬かせるアイーシャにクォンツははっとして居住まいを正す。
こんなところでとてもじゃないが言えない、とクォンツは押し黙った。
クォンツが射るような視線を感じるのは、不必要にアイーシャに触れた時。励ますだとか、転びそうになった時に庇うだとか、気遣うような接触の時はその視線を感じない。
クォンツが好意を持って――ちょっぴり下心を持ってアイーシャに触れる時だけ、その視線はクォンツに突き刺さる。
(下心があります、なんて言えねえよ……まだ気持ちも伝えてねえってのに)
こんな所で、こんなタイミングで言えるわけがない。
クォンツは誤魔化すように笑い、そうこうしているうちにユルドラーク侯爵邸に到着した。




